すれちがい
「ふん、ふん、ふんー♪」
私の町に唯一ある書店。そこの小説コーナーに私はいた。私の前に立ち並ぶのはファンタジー小説の山。私の手には勿論、魔法、冒険、盛りだくさんの本が。
当然のごとく、私は幸せを噛み締めていた。これこそ私の至高。正に最上級の幸せ。
天にも昇るとはこの事を言うのだ。この一時に私は本の世界に潜り込み、ファンタジーの大海原をまたにかける大海賊となれる。この妄想の世界でならば私は何でも出来る魔法使いなのだ。
…と、過去にやってきたタイムトラベラーとなった私だったが、実に無駄な時間の使い方をしていた。
時間を遡るなんて事、めったにない、というか、それこそ本の世界にしかない嘘みたいな状況なのに、私のしている事といえば至極いつも通りの時間の過ごし方をしている。なにせ、する事がないからだ。
時を遡ったとはいえ、所詮半日、正確には十一時間しか戻っていない。しかも、後で宗田さんに接触しなくちゃいけないのを計算に入れると、今が十時で三時頃に学校が終わるので五時間しかない。
どこか遠くに出掛ける訳にもいかないし、目立つ事も出来ない。
大体がさっきも言った様に、私自身が魔法や超能力、超人的な身体能力を身に付けた訳ではないのだ。早い話が、役に立たない人間が一人増えただけ。私が分身を作り出したようなものだ。しかも、オリジナルと同じで平平凡凡、もっと云えば常人にも劣る分身を。
だから、何か非日常的な、ファンタジーの異世界に飛んだ的な、はたまた、SF小説の様に未来の世界の運命を変える的な、全くもってカッコいい事を私はしないで、ファンタジー厨らしく本屋で立ち読みに勤しんでいる、という訳だ。
む、やっぱりどこか残念感が強いのは否めないな。
というか、非常にもったいない事を私はしてしまっているのかもしれない。
だけど、しょうがないじゃいか。考えてもみてほしい。いきなり過去に飛ばされて、何かしてもいいっていう状況になったとして何をするというのだ。未来を改変出来るっていうなら、まだ色々考えられる。実際、今私が何かスゴイ、これといって思いつかないけれど、とにかくスゴイ事を、やったとして。それで世界が変わってもおかしくはない。そんな度胸はないけどね。
けれど、それも許されないっていう状況だったら大分出来る事は限られてくると思うのだ。こうして本屋に身を潜め、チャンスを窺う、これが一番じゃないかな。
っと、この展開は凄い。なんだって! 実はマールは女だったなんて…!
そんな風に感銘を受けながら小説を読んでいると、本屋にお客さんが入ってきた。こんな昼間から、(完全に高校生の私が平日の真昼間から本屋にいるのも変な話だが。…っていうかもしかして学校に通報されてないよな?)客が入ってくるのは一時間おき位で珍しいので他の客が入ってくると気づく。
狭い小さな本屋だから、という理由も大いにあるが…。
とにかく誰かが店に入ってきた。二人組の様だ。しかも、外人。身長がバカみたいに高くて二メートルはあるんじゃないかってぐらい。
何か店先で口論をしていた。英語っぽい言葉で、しかも早口に言いあってるもんだから、何言ってるかは全然分からないけれど。
『だーかーら、こんなボロっちい店の何処に魔女がいるってんだ!? 影も形もねえじゃねえかよッ! マルコフッ、お前の魔力探知、本当に確かなんだろなッ!』
『俺にも分からないよ。ただ、こっちの辺に魔女の存在を感じたのは確かだよ? 実際今も感じてるしね』
『ほおー? それじゃあこの、いかにも日本の大正建築の本屋に俺らの探す、戦乱の魔女―――キルケ・ミル・デッドラインがいるかどうか確かめてやるよッ! ついてこいッ!』
『ちょっと待ってよ、トール! すぐに熱くなって周りが見えなくなるのは悪い癖だって本部のスレイマン様もおっしゃってたじゃないか…ってもう聞いてないか。はあー』
どたどたと一人の外人さんが店に入り込んできて、後ろからもう一人もやれやれといった感じでやってくる。店の廊下を本当に狭そうに歩いてるなー。私には十分なスペースなんだけど、彼らには狭すぎるみたいだ。
近づいてくると、彼らの顔がよく見えるようになってきた。前の男は筋肉隆々って感じで顔も野獣みたい。後ろの人は、長い髪をたなびかせた優男で、もてそうな感じ。二人とも髪の色が奇抜で、前の人は赤色の髪だし、後ろの人は緑色だ。日本人じゃあ、絶対似合わないよなー。でも、まあどちらも、イケメン、という部類に入れて差し支えのない、いい男だった。
ま、私とは別世界の人間なんだけど。
そう思ってまた小説に視線を戻し、ページをめくり始めた。ぺらぺら。
ええ! まさかそんな展開ありかよ! ありえない!
色々と予想外な小説に興奮していると、いつのまにか、件の男が私の前に立って、私を睨んでいた。
鬼みたいな表情で、私を見下ろしている。今にもとって食われてしまいそうだ。
そして、また早口の英語で何かを言った。
『おい! そこどけッ! とおれねえ!』
こんな事を言ってるともしれず、私は急いで本を棚に仕舞うと、つまづきそうになりながら走って店を出た。後ろの男の人にも途中で抱きすめてもらって、何か、大丈夫?的な事を言われた気もするが、お礼も言わないで逃げてきてしまった。
だって、怖かったんだもん。すっごい迫力だった。
『なーにしてんの? さっきの子、すごい勢いで逃げてっちゃったよ。何か怖がらせるような事したんじゃない?』
『何もやってねぇ。ちょっと、場所を空けてもらおうとしただけだ』
『あーあ、可哀そうに。泣きそうだったよ、あの子。可愛い顔してたのになあ』
『何が可愛いだ。眼鏡かけてて、ださかったじゃねえかよ』
『っちっちっち。甘いな、トール君。ああいう垢ぬけてない子を自分の手で変えるのが楽しいんでしょ。いいじゃない、ボク色に染まっちゃってくれてさー』
『てめえの性癖に興味はねえよ。この万年色欲魔が。それよか、どうなんだ。魔女の気配はすんのかよ』
『ん? …あー、もう気配しなくなっちゃったね』
『てめえ…。ちょっとオモテ出ろ』
『ゴメンって、ちょお、やめて。こんな所で本気出したら店が崩れちゃうっていうか、ボクの命が危ないって…。待ってよ! ホントにさっきまでは、してたのにな、気配。おかしいな?』
「はー、はー、はー…。疲れた…」
結構なスピードで本屋から逃げてきた私はひじょーに疲れていた。疲労困憊も困憊。今、寝てもいいって言われたら一瞬で眠れるね。
運動不足の身体に突然のダッシュはプログラミングされてなかったらしい。肺も痛いし、足もガタガタだよ。はー、休みたい。
それでも、暫く歩いたら、それなりに楽になるもんで、気付いたらスキップを踏んでいた。
さっきはよーく観察してなかったけれど、あの二人組、すっごい美形だったよなー。背も高いし、ファンタジー小説に出てくる騎士みたいだった。
あんなのに会えるなんて私、ツイてたかも。もう少しお近づきになるべきだったかな。なーんか昨日から、(気分的には。実際には今日である)不思議な事がたくさん、私に起こってる。戸惑ってばかりだったけど、これって私が望んでた事、そのまんまじゃない?
妄想が現実になった気がする。
嬉しいなったら、嬉しいなー!
自分の現状に気が付いて、大喜びする私だった。
それから、数分後。
「…何やってたんだ、私」
私はひどく冷静に戻って自らの挙動を反省していた。というのも、通行人に白い目で見られたからである。
まあ、学校へ行っている筈の時間に、高校生が公道でスキップしてたら当然のごとく、そうなるだろう。寧ろ、通報されなかっただけでも、感謝すべきかもしれない。
ってか本当に通報されてないよね。大丈夫なんだよね。
取り敢えず、目立つことは避けないとダメだ。
心を入れ直した私は、この制服姿が厄介なんだと思った。制服だから、学生だから、目立ってしまう。差別されてしまう。時に学生という身分は、人に差別されてしまうモノなのだ。
例えば、タバコを吸っていても、私服だったらそうでもないのに、制服を着た途端、すごく調子に乗ってるみたいに思われてしまう。
同じ電車内の騒ぎでも、おばさんの騒ぎ方より、学生の騒ぎ方の方が問題になりやすい気がする。寧ろ、おばさんの方が厄介なんだと思うけど。
とにもかくにも、学生という身分が生み出す様々な実害を避けたい。
手っ取り早いのは着替えちゃうことだろうけど、家に忍び込んで着替えるのも危険性が高いし、お金もないから店で服を買うことも出来ない。
服を変えるのが却下となれば、残りの策は一つ。
アレしかないって訳だ。
ところ変わって私が何処に居るかというと、なんと学校だった。
木を隠すなら森の中ってね。制服だらけの学校でなら、制服姿の私が居ても全くおかしくないって言う訳だ。どうやって入ったかって? それは至極全うに玄関から入らせていただきましたとも。堂々と、疚しい事なんてなくね。え? そういうことじゃなくて?
それはですね…。
眼鏡を外して学校に入ってみたら全然ばれなかった、という事です。
悲しいのやら、ラッキーだったのやら、そもそも目立たないタイプの私は、生徒は勿論先生にすら、眼鏡、という認識しかされていなかった為。私は楽々学校に侵入できたのでした。
クラスメイトとすれ違ったにも関わらず、スルーされて傷付いたのは秘密です。
いいもん、私は時間遡行者だもん。皆に無視されても平気だもん。
なんて強がりを言いながらたどり着いたのは、部活棟のある一室。私はポケットから合鍵を取り出すと、文芸部と書かれた扉にさした。何で合鍵を持っているかといえば、文芸部は実質私一人だからだ。
勿論、他にも所属しているだけの子もいるけれど。こない以上人数には数えられない。
だから、顧問の先生が、「水沢なら、問題も起こさんだろう」と言って合鍵を私に預けてくれたのだ。
まあ、一人しかいない部活の為に、いちいち鍵を渡すのが面倒臭かった、とも言えない訳じゃないけれど。
すみません、顧問の藤木先生。私、悪いことに使っちゃいました。
何処かの教室で教壇をとっているであろう先生に謝罪しながら、部室に入ると、狭い教室に本棚が置いてあって更に部屋を狭くする椅子と机が置いてあった。
鍵を締めてっと…。
これで誰も入ってこれない。私自身も今日は部室に行かなかった筈だから、完璧だ。
後は、…ファンタジーに勤しむとするか。
いつでも、何処でも、やることは同じの私だった。行動パターンが結局少ないのかな? それでも私は幸せですが、なにか?
読み始めると私は時間を忘れる。はー、極楽、極楽。だから、裏の校門で起こっていた騒動には気付いていなかったのだった。
校門では、警備員と揉めている外人が二人。一人は赤髪で、もう一人は緑色だった。
『だー! 話が分からねえやつだな! ここを退けってんだよ! 中に魔女が入り込んでんだよ! 分かるか、ま、じょ、がッ!!』
「んあ? 何か言ったかね? 外人さん。わしゃ、ちと耳が悪うてなあ。大きな声でいってもらわんと分からんよ」
『トール。日本語で話さなくちゃ分からないよ。しかも、声でかすぎ』
『ああ!? 大体こいつ、日本語でも英語でも同じ反応しやがるんだよッ! 聞こえてねえって事だろがッ!』
『でも、あんまり大きな声で騒ぎすぎたみたいよ。ほら、大勢の警備がやってきた…』
『なにッ! おいてめーら、俺に触れんじゃねーぞッ! 触れたらただじゃおかねえ! っおい、触んなって、おい!』
『抵抗しても無駄だよ、トール…。ほら、無抵抗に捕まえられた方がまし』
『く、く、くそッ! ちっくしょーがぁぁああああ!!』
「…ん? なんか言ったかね、外人さん」