魔女
「え? てか何? あなた泣いてるの?」
彼女――魔女と名乗った血で染まった様な朱色のドレスを着た女の子は言った。そう、私よりも小さな女の子だった。
身長は150前後だろうか。声も幼くて、あの笑顔も消えていたのでさっきの魔物らしさもなくなり、本当に普通の女の子だ。
「…な、泣いてなんかないよ。ちょっと休んでただけ!」
私は自分より小さな子に心配されてしまった気恥ずかしさで早口になって言った。けれど、女の子はふーん、と興味なさげに相づちをうって私にまた話しかけてきた。
「それじゃあさ、ちょっと肩を貸して? 一人で歩くのキツいんだ」
真っ白な肌で金色の髪、一目で日本人ではないと分かる子だった。それでも腕をすっと出して笑うものだから断れなかった。
今、思えばあの時無視すべきだったんだ。
魔女と名乗った女の子、あの子のドレスは元々朱色ではなかったのだから。まばらに見えた純白こそが彼女のドレスの本当の色。その赤は血の色だったのだから。
「助かったのよ。結構限界だったから」
背中に乗せた彼女はすごく軽くてまるで人形の様だった。私と身長差があって肩には手を回せなかっ
たのでおんぶになったのだった。始めは背負えるか不安だったけれど案外と大丈夫なものだ。私はお姉さんぶれる事が嬉しくて彼女に聞いた。
「君、名前何て言うの?」
「名前? それはあんまり人間にばらしちゃいけないんだけど…。うん、貴方には恩が出来たしね。私は義理堅いのよ。
私の名前はキルケ・ミル・デッドライン! 高貴な魔女のお姫様なの!」
私は思わず笑みをこぼした。私も小さい頃はこんな風に妄想して遊んでたな。自分で設定を細かく定めて…。大人にとってはお遊びでも子供にとっては本気なんだよな。
でも、こんな夜中に一人で出歩くのは感心しないな。危ない人だっているんだから。
「キルケちゃん? ダメだよ。もう家に帰らなきゃ。きっとお母さんお父さんも心配してるだろーし!」
「お母さんもお父さんもいないよ。私は」
「っえ? …ごめんなさい。私、そういう気が回らなくて」
「別にいいよ。私にはバトラーがいるし!
ねっ、バトラー?」
―――左様ですね、キルケ様。
何処からともなく声がした。誰かいるの? いやいやいるわけない。幻聴だよ、幻聴。…ていうか幻聴でも怖いよ! 一体どうしたんだよ、この子は?
「ねぇ…? キルケちゃん?」
「なーに?」
「さっきさ。誰かとおしゃべりしてたのかなーって?」
私の声は自然に震えていた。まさかね、と思う半分、何かが後ろにいる、という感覚を感じていた。ドキドキ、と心臓が高鳴る。キルケちゃんはその後、あっけらかんと言った。
「そうだ、バトラー! ご挨拶がまだだったじゃない。私の恩人に失礼よ。っさ、挨拶しなさいな?」
ぞそっと寒気がして後ろを振り向いた。回る途中で激しく後悔して、怖くなって目を瞑った。ホントになにかいる! 絶対私の目の前に誰かいるよ! どうしたらいい? このまま目を閉じてるのも失礼だよね。…ええい、ままよ!
私は大きく目を見開いた。
「すみません。ご挨拶が遅れました。私、キルケ様にお仕えさせて頂いております、バトラーと申します。気軽にバトラー、と御呼びくださいませ」
目の前に写っているのは奇妙な光景だった。大きな鉄の棒? っていうかさっきの私が座ってた街灯そのものが意思を持ってるようにくねくねと体をくねらせお辞儀をしている。しゃべる度にピカピカと灯りが点滅しあ明るくなったり暗くなったりした。
私は何にも考えられなくなって呆気に取られる。怖い、とかそんなもんじゃない。有り得ない、ただこの一言に尽きた。
「さ、申し訳ございませんがお嬢様もお疲れになっております。先にすすみましょう、そして、出来ればあの噴水の辺りまで背負っていってもらえますでしょうか?」
「っえ、っあ、はい。噴水まで…」
急かすように街灯が私の背中を押すものだから私はまた歩き出した。残りはもう50メーターもないのだけど、途方もない距離に思えた。
あー駄目だ駄目だ。完全に私の許容範囲を越えた。何にも考えたくない。現実とはとても思えないよ。え、ていうかもしかしてあれじゃないのか。これ、夢なんじゃないか。そうだよ、夢だ、これ。私、メルヘンに憧れるあまり夢見てるんだな。だってそうだもの。街灯が歩くなんてとんでもないよ。
「っあ、ちょっと。よろめいてますよ、気を付けて!」
今も優しく私の体を受け止めてくれたもの。鉄の塊にそんな事できるわけないじゃない。え、どうやって受け止めたのって?私がよろめいた先に街灯がが動いてくれたんだ。良かった。夢で。
む? …夢なんだよね? そうだよね?
「ねえ? キルケちゃん?」
「なーに?」
「ちょっとお願いしたい事があるの。一回だけ私の頬を思い切りつねってくれる? これが夢か現実かはっきりさせときたいの」
「夢? 現実? まあ、いいけど」
キルケちゃんが後ろから片手を外して、私の頬をぎゅっとつねった。うん、やっぱり…
「痛いっ! っつー…」
メチャクチャ痛いじゃない! つまりこれって現実?そんなバカな事があるなんて…!
私が目を白黒しながら歩いている内にいつの間にか噴水の前までたどり着いていた。バトラーの回りだけ明るく照らされていて公園には一切の光はない。虫のなく音さえ住宅街の公園にはしなかった。
キルケちゃんが私の背中を降りるかと思ったけど只一言、もう少し近付いてくれるかな、と言って降りなかった。
「近付くって? これ以上行ったら噴水の中まで入っちゃうんだけど…?」
「それでいいの。私がストップって言うところまで行って。…お願い」
仕方がないから足で靴だけ脱いで水の中にちゃぽんと入る。透明な水が波を立てて私の進みを遅くする。思ったより冷たく、綺麗な水だった。
後ろからちゃぽっと音がしてバトラーさんが入ってきたのが分かった。一歩ごとにザバザバと波音がたった。
キルケちゃんが噴水の真ん中、多分水が吹き出す辺りでストップと言う。すぐにバトラーさんもジャバジャバと追い付いてきた。
「お嬢様、お急ぎになられた方がよろしいかと。お嬢様の魔力が落ちてきております。それに、そろそろ彼らにも追い付かれます。早く結界の中に…!」
「分かってるわ。…恵美さん、もう下ろしてくれて大丈夫よ」
私が下ろすとキルケちゃんはなんだかひどく疲れきった様子だった。魔力がなんたらとか聞こえたから何か危険な状態なのかもしれない。私の進みが遅かったからキルケちゃんを危険な目にあわしてしまっているのかもしれない。そう思って、大丈夫?と聞こうとした時だった。
ビカッ。
耳をつんざく轟音と目も眩む強烈な光と共に私達を何かが襲った。鼓膜が破けたんじゃないかと錯覚するようなザクッとした音に苛まれ、私は思わず耳を塞いでしゃがみこんだ。私はどうなった? 怖い、怖いよ。
だが、思っていた衝撃はこない。いつまでたっても何も起こらなかった。私はうっすらとまぶたを開けてみた。あれ、てっきり雷にでも打たれたかと錯覚したけれど――
「それは当たらずも遠からずといった所ですよ、恵美さん。私達は確かにイカヅチに打たれていますが、貴女方一般の方のご想像しているものとは似て非なるもの、でございます。魔力による擬似的な雷、まやかしのものにすぎません。が、威力は段違いですが…!」
バトラーさんの言う通りだった。確かに、私達は雷に打たれていた。耳をつんざく様な轟音はまだ依然としてするし、地面がゴロゴロと地鳴りをたてる。しかし、私達は無傷だった。私の周り、ちょうど噴水の水溜まりを囲って透明の壁があるみたいに雷は四方へ弾き返されていた。
「お嬢様、ここは私にお任せください。なに、人間の魔術師程度私の敵では…」
「そうしたいのはやまやまだけどね、相手は人間って言ったって規格外中の規格外。人間の範囲に押し込めておくのが不思議な位の、罪使いの連中よ! だいたいその姿でどう戦うのかしら? いいから私に任せておきなさい」
いってる間も雷は断続的に降り注いだ。その度に轟音が響き私は耳を塞いだ。なんでもいいから早くどうにかしてほしい。私は人間なんだから。
「――回れ、回れ、私の世界。くるりと回ってひっくり返れ! 回れ、回れ、私の世界。くるりと回ってひっくり返れ…回れ、…」
キルケちゃんが呪文を唱える毎に噴水の中の水が流れをもって循環し始めた。私を、正確にはキルケちゃんを中心にして水が回転する。段々とそれはスピードを増していき、遂には水が宙に浮かびながら回りだした。水分の一粒一粒が意思を持ってるように回ってるみたい。
けれど、イカヅチは止まない。なんだか周りの壁も削れて薄くなってきている様だった。これはもしかしてピンチってこと? 絶対死んじゃうよ! ヤバイって!
「やはり私が!」
最早スピードが速すぎて完全に霧の様になった噴水の水と見えない透明の壁を突き破ってバトラーさんは飛び出した。鉄の塊が勢いをつけて跳ぶものだから衝撃はすごくて私はよろめいた。
キルケちゃんもそれに気づいて呪文を唱えながら文句を言った。
「っもう! 命令もしてないのに! いい加減クビよ、バトラー!」
私がキルケちゃんの顔を覗き込むと、文句を言いながらも顔は心配げな表情をしていた。キルケちゃんは私に気付くとニコリと作り笑いをして私に言った。
「大丈夫! もうすぐ扉が開けるから! こういうのは私も苦手だから時間かかるけどね。というかだいたいこんなにロックをキツくしたからいけないのよ…」
文句とも言えない後悔じみた声を出してキルケちゃんは笑う。こうしてみると随分と私より大人びて見えた。それでも疲労の色は色濃いし、バトラーさんのことも心配だろうに。私は彼女に、私のことは良いからバトラーさんを、と言おうとした。が、その時私の立っている所が光りだして、そして、
「開けた!」
キルケちゃんが嬉しそうにそう言った瞬間、地面が鬼の様な大きな口をあーんと開けると私達を飲み込んだのだった。
「ふわっ!」
ばっと起き上がる形で私は目を覚ました。その時、足元、というか私が寝ていた場所そのものがガラガラと崩れ始めた。小さくて見えない虫に運ばれているみたいに私は流され落ちていく。ヤバい! 何だか分からないけど、不味いのは分かる! でも時すでに遅く、打つ手なし。私は、長いものに巻かれるように、流れに身を任せるように、抗わない。否、抗いようがなかった。私は奈落の底に落ちていって…ってあれ?
「いてて…。私、足がついてる? てかこれって…ゴミの山…?」
そこはゴミの山だった。廃材から鉄屑、木屑、ビニールみたいなものも見えるしコンクリートが砕けた破片もある。ただ、そんなものが随分と遠くまで広がっている。地平線の彼方までゴミ山が続いている様に見えた。
今まで気づかなかったけれど、私の体にはボロボロの布が掛けられていた。薄くて汚くてとても使えたものではなかったけれど…。
「っそういえば、キルケちゃん!」
すぐに起き上がって周りを見渡した。その時、毛布がずり落ちてゴミの地面に紛れた。でも、きっとこれってキルケちゃんが私にかけてくれたんだよね。そう思って私は出来るだけ丁寧に毛布を畳むとなるたけ綺麗な廃材の上に置いておいた。
転びそうになるのを堪えてゆっくりとゴミ山を登る。何処なんだろう? ここって? さっきの公園ではないし、空も…昼っぽい…よね。空は妙に白く明るくてそれでも綺麗とは言い難い。青くもなければ雲もなかった。
5分くらい辺りを歩き回って私は漸くキルケちゃんを発見した。発見した、と言うよりは声に導かれた、と言うべきか。キルケちゃんは何やら騒ぎながらゴミ山を漁っているのだった。しかも、裸で。
「な、な、ななな何してるのっ! 服着ないとダメじゃない。いくら魔女だからって…服は着るべきだよ! 社会には社会のちゃーんとしたルールがあるんだから…。って魔女だから関係ないのかな? いやいやそんなことないはず。年頃の女の子が公衆の面前でそんな決め細やかで真っ白で繊細な、雪みたいな素肌を見せちゃダメに決まってるわ…」
私は急いでゴミに引っ掛かっていた彼女の紅いドレスをかなぐりとってキルケちゃんの元へ走った。キルケちゃんはこれも違う、それもこれもどれも全部違う、と叫んでいて私には気付いていない様だった。私は大きな声でキルケちゃんに呼び掛ける。
「キルケちゃん! 服着ないと! ってダメ! そんなに動いちゃ色んな所が丸見えになっちゃうから! 危ないよ、ダメだよ、公共の福祉ってやつだよ」
「ちがーう、これも、形が! これは色が! これはちょっと小さすぎ! こいつはしわくちゃだしよ!」
全然全く話を聞いてないよ。ああ、色んな所が…。具体的に言えば彼女の控え目だけど健康的にはっている胸とか、きゅっとしまったお腹まわりとか、色めかしいうなじとか、身体中の傷…とにかく見えちゃあ駄目なとこが。っていうか傷?
「わぁっ! …か、か身体中、傷だらけだよ! すぐに病院行かないと!」
「ん!」
キルケちゃんが急に唸ってしゃがみこんだ。私は驚いて言葉を失う。やっぱり、傷が酷いんだ。早く、早く治療しないと。でも、こんな汚れたところじゃバイ菌がすぐに入っちゃうし、私に医学の知識があるわけでもない。私以外にいないんだ、どうにかしたいよ。
その時、私の考えているのを遮るようにまた彼女はふらっと立ち上がった。
「これも…ちがーうっ!」
キルケちゃんは手に持っていたものをポイッと投げ捨ててまた何かを探し始めた。私は意を決してキルケちゃんの腕を掴んだ。その瞬間、私は後悔することになる。私が腕を掴んだ一瞬キルケちゃんは私を睨んだ。それは子供の怒ったレベル…ではない。クラスメイトの白い目線の恐ろしさ…どころでもなかった。それは、捕食者の獲物を見つけた時の目。ライオンに睨まれた方がマシだと私は思った。冷や汗が背中にだっと流れた。
でも、それはほんの一瞬のことでキルケちゃんはすぐに私の顔を見ると、表情を和らげて笑った。
「あれ、もう起きたんだ、恵美さん! もうしばらくは起きないと思ってたのに。大丈夫? 何にもおかしいとこないかな? 普通のあっちの世界の人間をこっちに連れてきた事ってないから。迷惑かけちゃったね」
「…うん。私は大丈夫。でも…」
「ああ、これ? 大丈夫だよ、すぐに治すから。早くしたいんだけどね、なかなか良いのがなくて…。早くしないとバトラーのバカがやられちゃうかもだし、急がないと!」
キルケちゃんは私に何にも説明しないでまた何かを探し始めた。私は不満に思ったけど、今彼女がやってることがきっと今一番すべき事なんだと信じてキルケちゃんを手伝おうと思った。
でも、そこで始めて私はキルケちゃんが探しているゴミ山の中身に気付いたのだった。
「き、キルケちゃん。これって…?」
「ああ、手伝ってくれるの? ありがたいな。恵美さんはホントに親切な人間だね。それじゃあ、この辺お願いできる? 私はもう少し上の方、探しに行ってくるから。ちょうど私の体とおんなじ位のモノを見つけたら教えてね?」
私と、キルケちゃんとの前にずっと広がっていたのは人間の体の部位、つまりは腕とか、足とか、首といった人の死体とも云えるモノだった。死体といっても血が通っていた痕跡もないほどに真っ白でマネキンのよう。首にも顔がなくて、ちょうどのっぺらぼうみたいなものだった。それでも私が人間のモノだと分かったのは、勘というほかないのだろうか。肌で感じ取ったのだ、これは確かに人間の体そのものだと。
私は勢いよく逃げ出した。その場に少しでも長くいたくなかった。転んでも構わなかった。傷だらけになって地面を這いつくばって腕と足の四本で犬みたいに走って。それでも逃げた。
さっきの起きた場所辺りに着いたところで吐き気を催した。耐えられなくてその場に吐く。そんなに物は食べていなかったから出てきたのは苦い胃酸ばかりだったけど、止まらなかった。数分間ずっと吐きつづけて漸くおさまる。何でか分からなかったけど涙が止まらなかった。
「恵美さん、大丈夫?」
まるで最初からいたみたいにキルケちゃんは私の前に立っていた。心配そうな顔で、さっきの毛布を私に渡してくる。
「そうだよね。初めてコレ見たら、普通の人間だったらそういう反応とっちゃうよね」
しみじみと言う彼女の手には腕。真っ白な、彼女の腕と同じサイズぐらいのウデが握られていた。私はそれを見て、また吐き気を催す。
「あっ、ゴメン。すぐに処理するから。気持ち悪いかもだけど、よーく、私の腕を見ててね」
キルケちゃんはそう言うと、そのウデを口元に持っていった。大きな口を開けて、キルケちゃんは一口。そのウデをまんま平らげてしまうのだった。
その瞬間、キルケちゃんの右腕がピカッと発光する。そして、光の輪がキルケちゃんの右腕を包んだと思うと、パッと光が消えて、残ったのはキルケちゃんの元通り、つまりは傷ひとつない、しみさえないんじゃないかと思うほどの綺麗な彼女の右腕であった。
「ほーら! どう? すごいでしょ。完璧に治っちゃった!」
「………」
「っあ、そうか。まだどうゆーことか分からないな。さっきのアレはね、本物じゃないの。本物の人間の体じゃない。偽物よ」
「…にせも、の?」
「ちょっと偽物って言うと言い過ぎかもしれないけれど。決して本物じゃないよ!人間の肉なんて食べるわけないじゃない。魔女だからってあんまり酷いこと思われても困るわ。アレは人間の、っていうかココにあるもの全部ね。ぜーんぶ貴方の世界から出た脱け殻、つまりゴミよ!」
何を言ってるのか全く理解できなかったし、理解しようとも思わなかったけど、取り敢えずさっきのが本当の人の死体ではなかったわ分かり、私は落ち着いた。荒くなっていた息をゆっくりと深呼吸して元に戻す。段々と私は冷静になっていった。毛布で顔を拭いて、再度、キルケちゃんに問いかけた。
「どういう意味?分かるように説明してほしいわ」
「さっきも言ったように時間がないからね。手短に説明するけど、よーく話を聞いてね。二回は言わないから。
まず、ここは貴方の世界とは違う。同じ座標軸には存在してるけどね。魔女の世界って言えばいいのかな? まあ、私がここに住んでるって訳じゃないけど。とにかく貴方の世界には何処にもない場所なの。上手く説明になってないかもだけど私にもそれ以上説明は出来ない。する気もない。だって貴方は普通の人間だもの」
「…分かった。それで…?」
「それじゃ、さっきの続き。アレが本物じゃないとは言ったよね。正確に言えばアレは貴方の世界の残留物なの。だから、ゴミ。貴方の世界ではさ、人間が死んだらどうなる?」
「えっ? どうなるって、…消えちゃう?」
「そうだね、消える。でもさ、人間を構成してる物質とかは消えないよね。バラバラになっても、燃え尽きても、腐ってもさ、何らかの形、原子って言うんだっけ? そっちでは。とにかく残るよね、普通さ。けど、その元の形はどこに行ったんだろう?」
正直、私はちんぷんかんぷんだった。彼女が何を伝えたいのか、理解できない。それでも、彼女の話は続いた。
「その元のカタチ、つまりは原子がかたどっていた像。それは貴方の世界の何処にも残らない。それが流れ込んで来るのが此方の世界なの。人間だけじゃない。どんな物質も、それこそ、石だって機械だって自然そのものだって…。カタチを成していたモノの処分場がここっていう訳よ。だから、さっきのアレは偽者。魂が抜け落ちた只の脱け殻よ。そして、それを摂取することで私達魔女は生きている。さしずめ、私達、魔女は貴方の世界の残飯処理みたいな仕事をしているって訳ね。…自分で云うのもなんだけど空しいわね、この仕事って…」
「ごめんなさい、あんまり意味を、理解できなかったわ」
「それで普通よ! こんな話されてハイそうですかってすぐに理解されてもね。だからそれでふつう。貴方の世界に戻ったら忘れてくれて構わない話よ。
でもね、今、私は困った事になっている。…さが…すのにじかん…かけすぎちゃっ…た…、っく、くらくらしてりゅ…。だ、だめだ…バカの、ば、と、らー…」
そこでキルケちゃんはふらりと倒れてゴミ山に崩れ落ちた。私は急いで駆け寄った。抱き寄せるとキルケちゃんの顔は真っ青で唇も黒く、弱りきっていた。私は何度も大丈夫、と呼び掛ける。十回ぐらい呼び掛けて漸く彼女は目をうっすらと開いた。
「あー、…きっつい、なー。動け、ないや。やば、いかも」
「…待ってて! 直ぐにさっきの所からとってくる!」
死ぬほど嫌だったけどキルケちゃんの命には変えられない。私は急いでアレを取りに行こうと思った。でも、キルケちゃんは私を止めた。
「ダメ、だよ。私で見つから、なかっ、たんだから。この辺には、ない。他の、魔女に、さき、こされ、ちゃったかな?」
「そんな! それじゃあどうすればいいの!」
「私も、死にたくは、な、い、から。だか、ら、ちょっと、だけお願いしても、いいかな?」
「何でもするわ! 言ってちょおだい!」
「貴方を今からあっちに、もど、すから。少し時間も、遡って、おくわ。そ、こで、貴方に、やって、もら、いたい、こと、が、ある。
一回しか、い、わ、ない、から。よーく、き、い、てね?」
そこから彼女は呪文を唱えるように私の耳元で囁くと、全ての指令を私に伝えた。何でか分からなかったけど私は何も考えずにそれを聞いていた。話終わってキルケちゃんは私のおでこに何かを書いた。
「なにしてるの?」
「コレはお守り、よ。貴方に、何か、あった時の、ため。きっと、貴方を守って、くれる」
そして、彼女は此方に来たときと同じ呪文を唱え始めた。
「回れ、回れ、私の世界。くるりと回ってひっくり返れ。回れ、回れ、私の世界。くるりと回ってひっくり返れ…」
周辺のゴミ山が形を崩して私達の周りを回り始めた。たくさんのモノがくるくる回る。そのどれもこれもが哀しげだった。回転は速くなる。そして、
「バトラーのこと、お願いね…」
キルケちゃんのその一言だけが聞こえて、私の視界はブラックアウトした。
ひじょーにゆったりですが。
キルケちゃん登場ですね。バトラーも少ないですが…。