起
やわらかな春の風が香りを運んできた。私は知っている。この香りを。
_5年前_
「やっばー。なにこれ。赤が4つもあるやん。おかーはん怒るやろなあ」
年末に配られる例のブツが私の気分を重くした。
「香織は期間中遊び歩いてたやん。自業自得や。ほれ、見てみ。」
目の前にだされた彼女のブツには赤いインクは使われてなかった。
「そない遊んでないけどなあ・・・」
それは半分嘘で半分ホントだった。
不覚にもたまには真面目にテスト勉強でもしようと図書館に行ったことが始まりだった。
知的そうな顔に、ノンフレームのメガネ。髪はさらさらで、身長は高く、細め。
そこにいるだけで独特の雰囲気を持ち、あたりの空気をなごやかにしていた。
落としそうになった教科書を持ちなおしてもうすこし周囲を見ると、同じようなことを考えているであろう女がいっぱいいた。
それから毎日図書館に通うようになったが、そのくそ女達と静かに争っていたので、もちろん勉強は身に入らなかった。
「あんたねえ、何様のつもり?」
赤点を取ったので少し悩んだけど、ついつい今日も図書館に来てしまった。 でも今日は入ろうとしたら、何人かの女に呼び止められ、今はその図書館の裏で囲まれている。
(こんなのは学校だけと違うんやなあ)
私は半ばあきれながら彼女たちの顔を見渡してみると、何人か知ってる顔があった。
「うわあ。お姉さん二重人格やねえ。いつもと全然違うやん」
彼女たちの顔があきらかに不機嫌そうになった。顔をますます鬼の形相にしていった。
「うるっさいのよ。あんたうざいのよ。佐々木君に悪いと思わないのっっ!!?」
私は不謹慎にも「らっきー」と思った。それが顔に出たんだろうな。さっきから怒鳴りちらしてた人がとうとう右手をあげた。
・・・音はしなかった。でもそれよりすごいもんを見たなあと思った。
「・・・みゆき、いいかげんにしなよ。そんなことばっかしてるから佐々木君にうざがられるんだってば」
みゆきと呼ばれた彼女の右手を止めた人がいた。彼女は知っている。
彼が唯一本当の笑顔で話しているのを見た事があった。やきもちを焼かないといえば嘘だけど、でも彼女なら許してもいいなと思えた人だった。なぜなら彼が本当に笑顔だったから。
彼は誰と話しをしていても、嘘の笑顔だった。必死で笑顔を作ってごまかしている。話している相手は気づいてないだろうけど、ずっと見ていればわかる。あれは嘘の笑顔だ。
なぜそんな笑顔をするんだろうと思った。だから、彼のことが余計気になっていつも見ていた。
「佐々木君がそう言ったわけじゃないでしょっ。あんたこそ偉そうなのよ。あきっっ」
みゆきさんはあきと呼ばれた彼女にまで手を出そうとしたので、私は思わず声をかけてしまった。
「あの人が言うわけないじゃないですか。でも見ていればわかりますよ」
みゆきさんは私をやはり鬼の形相で見据えた。でも私もなれっこだし、だいたいこうなるのは予測もできたので、 ひるむ事なく続けた。
「好きで他の事が目に入らないってのもわかりますけどね。彼が何をしに図書館に来ているか考えたらあんなに騒いだら本人が迷惑だってことくらい小学生でもわかりますよ。みゆきさん」
私はあえて彼女の怒りをあおる言い方をした。彼は本人とは笑顔で話ししていた。でも図書館ではしゃぐ彼女のまわりの人の目を気にして、彼女が去った後にほっとため息をつくことを私は知っている。彼の名前もしらなかったけど、少なくともこのみゆきさんには負けられないと思った。
「みゆきぃ〜」
友達二人が彼女の名前を不安気に呼びかける。でも彼女は答えなかった。
「さち、ゆき、みゆきの家まで送ってったげてよ」
「うん・・・。あきも後からきてよね。」
そのあと、ぼそっとあきさんにさちと呼ばれた人が耳元で言ったのが聞こえた。「うちらじゃ何ともできんよ。これ」
三人が行ってしまって、私はあきさんと二人になった。
「顔ひっぱたかれそうになっても目をあけてる奴なんて早々いないよねえ。えらい度胸だね。名前は?」
最初に声をかけたのはあきさんのほうだった。私はゆるんでいたマフラーをなおしながら答えた。
「安城 香織。高校二年。お姉さんこそすごかったよ」
ふっと笑いながら煙草を口に持っていく。カチンといい音がなり、ゆるい火が年期の入ったジッポーから出ると、彼女は煙草に火をつけた。
「私は、佐藤 亜紀。大学三年よ。祐介くんも、彼女たちも同じ大学で、三年。」
おお。またまたらっきー。彼は佐々木祐介というんだ。そして、私より4つ上になるんだ。
「ふっ。あんた知らなかったんだねえ。名前。おもしろいわ。すぐ顔に出るんだもん」
「まあそれがいいところであり、悪いところでもあるけどね。そのせいですぐに敵作っちゃうもん」
「・・はー。そのせいか。あんなに度胸よかったの。いいね、香織ちゃんのこと私好きよ」
「私もずっと亜紀さんのこと好きだった」
そのとき、私もしまったなあと思ったんだけど、亜紀さんも顔がこわばった。
「ありがと。ねえ、どうして祐介くんのこと好きなの?」
「好きなのかなあ。彼が気になるっていうか、観察しているペットのように見てますけど。私」
「はあ?ペット?すごいなあ。なにそれ。高校二年ってそんなに暇だったっけか」
「暇ではないですよ。こないだ赤点とっちゃったし。ただ、気になるの」
「わっかんないなあ。あの子の周りには結構人集まるけど、香織ちゃんみたいなのはいないわ。ね、今度の日曜あいてない?」
「変人扱いですかぁ?日曜に人体実験とかしないでくださいよね」
煙草が亜紀さんの指からパーンとはじけ、火種がちらちらと舞い落ちた。
「後悔はさせないわ。ここにおいで。朝10時頃ね」
彼女はメモを渡すと同時に振り返りもせずに歩いていった。
「亜紀さん・・・やばそうっすよ」
その言葉が聞こえたのか、また亜紀さんはふっと笑った。




