表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/69

第三十九話 燃えた棚の後で

放火の翌日、名前の家の前には大勢の人が集まった。


 保護院の職員、領都の職人、村人、名簿所職員、そして子どもたち。誰かが呼びかけたわけではない。朝になると、少しずつ人が来て、焦げた木材を運び、水を汲み、床を拭き始めた。


 私は煙で喉がかすれていたが、休んでいられなかった。


 アンナには叱られた。


「奥様は指示だけです。釘打ちは禁止です」


「でも」


「禁止です」


 強い。


 私は大人しく、記録の確認と作業の振り分けをした。


 リネリアは子どもたちと一緒に、小さな布を洗っていた。焦げた棚から救い出した名綴り布のうち、修復できるものを選ぶためだ。リンはその隣で、鈴の子たちに布の扱いを教えている。


「こわくない。ゆっくり」


 リンの声はまだ小さい。


 けれど、以前のように消えそうではなかった。


 昼過ぎ、王都からセシリアとミーナが来た。


 新聞で放火の記事を見て、急いで向かったという。セシリアは旅の疲れも見せず、裁縫籠を開いた。


「補修を手伝います」


「無理はしないでください」


「研修を受けた補助員ですから」


 その言い方に、私は少し笑った。


 ミーナはリネリアのそばへ行き、布を洗う手伝いを始めた。


「リネリア、大丈夫?」


「けむり、こわかった」


「うん」


「でも、リン、でた」


「よかった」


 二人はそれ以上、難しい話をしなかった。布を洗い、水を替え、時々黒パンが邪魔をして笑う。


 燃えた棚の再建には、テオドール様も加わった。


 領主が自ら木材を運ぶことに周囲は驚いたが、北境の人々はすぐに慣れた。誰かが「辺境伯様、釘が曲がってます」と言い、彼は真面目に打ち直した。


 夕方、新しい棚の枠が立った。


 以前より低く、子どもでも見える高さにした。忘れない布の棚は、奥にしまうのではなく、明るい窓辺に移すことにした。見たくない日は布をかければいい。見たい日は、自分で布を上げられる。


 テオドール様はエリスの布を新しい棚へ置いた。


「ここへ置いてもよいですか」


「もちろんです」


 彼は少し微笑んだ。


 リネリアがエリスの布の前に、小さな丸い石を置いた。


「これは?」


「きれいだったから」


 理由はそれだけだった。


 でも、テオドール様は深く礼をした。


「ありがとうございます」


 放火犯はその日のうちに捕まった。


 東市場の店主の仲間で、王都の商会から金を受け取っていたという。彼はダリウスの名を知らないと言い張ったが、持っていた指示書には中央局の古い符号が使われていた。


 完全な証拠ではない。


 しかし、線はさらに濃くなった。


 夜、名前の家で小さな名呼びをした。


 火事で怖い思いをした子どもたちに、この場所がまだ自分たちの場所であることを確認するためだ。


 マリベルが名簿を開く。


「リネリア」


「はい」


「リン・エイル」


「はい」


「ノル」


「はい」


「ミーナ」


「はい」


 ミーナの名前が北境の名呼びで呼ばれたのは初めてだった。彼女は少し驚き、それから嬉しそうに返事をした。


 セシリアの目が潤む。


 続いて、鈴の子たち。


 まだ正式名はない。マリベルは慎重に言った。


「ちいさい鈴」


 女の子が小さく手を上げた。


「大きい鈴」


 男の子が鈴を握り、うなずいた。


 それでいい。


 今はまだ。


 名呼びの最後に、マリベルは言った。


「名前の家」


 全員が一瞬戸惑った。


 それからリネリアが大きな声で返事をした。


「はい!」


 子どもたちが笑い、次々と「はい」と返した。


 名前の家も、呼ばれて返事をした。


 燃やされても、ここにいる。


 その夜、私は工房の片隅で焦げた木片を一つ拾った。捨てるためではなく、記録として残すためだ。


 テオドール様が隣に来た。


「疲れたでしょう」


「少し」


「少しではないと思います」


「では、かなり」


 彼は小さく笑った。


 沈黙のあと、彼が言った。


「放火の報告を受けたとき、あなたとリネリア様が無事か、それしか考えられなかった」


 私は木片を持つ手を止めた。


 彼の声は静かだったが、いつもの職務上の心配とは違っていた。


「領主として、全員の無事を考えるべきなのに」


「全員を心配していました」


「ええ。ですが、最初に浮かんだのはあなたでした」


 胸が静かに跳ねた。


 私はすぐ返事をできなかった。


 テオドール様は続けなかった。急がない人だ。感情さえ、こちらへ押しつけない。


 しばらくして、私は言った。


「私はまだ、離縁の手続きが終わっていません」


「分かっています」


「娘の生活が最優先です」


「それも分かっています」


「それでも、あなたの言葉を、なかったことにはしたくありません」


 彼は私を見た。


「それだけで十分です」


 燃えた棚の匂いが残る工房で、私たちはただ並んで立っていた。


 恋と呼ぶには、まだ慎重すぎる。


 けれど、信頼の糸は確かに結ばれ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ