【短編版】【当て馬】妻はもう辞めます 〜自分を殺して尽くしてきた天才錬金術師ですが、前世を思い出したら夫への愛がスッと冷めたので、隣国で気ままに店を開きます〜
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※こちらは短編になります。長編は下記リンクか作者ページ、シリーズから。
https://ncode.syosetu.com/n1859lw/
重厚な扉を開けた瞬間、甘ったるい香水と微かな汗の匂いが鼻腔を突いた。
薄暗いアトリエの中央で、宮廷錬金術師である夫のミッフィオーレが、可憐な少女を強く抱きしめている。
「ミッフィオーレ様……」
リーゼロッテが、呆然とつぶやく。
彼女の名前はリーゼロッテ・ファート。現在、このミッフィオーレ・ファートの妻だ。
元々は伯爵令嬢だったが、代々宮廷錬金術師の家系であるファート家へと嫁いできたのだ。
夫が、自分を愛していないことは、前々から感じていた。
でもリーゼロッテは、彼を深く深く愛していた。
そんな夫が、他の女と浮気していたのである。
「どういう……ことですか、これは」
「見て分かるだろ。彼女は俺の愛しの女」
「ああ、ミッフィオーレ様ぁ……」
甘ったるい声で、夫の名前を呼ぶ。
その女の顔を、リーゼロッテは見たことがあった。
最近、宮廷入りした新人錬金術師だ。たしか、夫が教育係を務めていた気がする。
(うっ、頭が)
激しい怒りからか、あるいは裏切った愛への悲しみからか、リーゼロッテは激しい頭痛を覚えた。
一方、妻の心の痛みなどまるで意に介することなく、ミッフィオーレが続ける。
「お前のような地味で重い女、愛したことなど一度もない。俺の才能にふふさわしいのは彼女だけだ」
ミッフィオーレの腕の中にいる少女は、入り口に立つリーゼロッテを一瞥し、嘲るように唇を歪めた。
ごめんなさぁい、あなたってばただの当て馬なんですね、とでも言わんばかりの優越感に満ちた視線を送ってくる。
冷酷な言葉と態度に、妻であるリーゼロッテはその場にガックリと項垂れた。
これまで彼のために自分を殺し、毎晩徹夜で規格外のポーションを作り続けてきたのだ。
冷たい石の床の感触と、すり減った指先の痛みが、ただただ虚しい。
絶望で胸が張り裂けそうになった、その時だった。
ピシャーンと脳天に雷が落ちたような衝撃が走り、リーゼロッテの目が大きく見開かれる。
前世の記憶が、鮮やかな映像を伴って蘇ってきたのだ。
リーゼロッテはハッとのけぞる。
(そうだ、ここ。『天才錬金術師と運命のミューズ』の世界なんだ)
純粋無垢で可憐な貧乏令嬢ジータと、国に愛される若き天才錬金術師ミッフィオーレの恋愛を描く、人気恋愛漫画だ。
そして、自分がこの二人の恋を盛り上げるためだけの、惨めな当て馬妻リーゼロッテであるという事実に気づいてしまったのだ。
「どうしたのオバサン。あたしに愛しの夫を取られてショックでも受けてるの〜。受ける〜」
「……なんだ、私はただの当て馬だったのね」
ポツリとこぼした瞬間、心の底から泥のように湧き上がっていたミッフィオーレへの愛情が、スッと潮が引くように消え去っていく。
完全に憑き物が落ちたリーゼロッテは、パンッと両手を打って目を輝かせた。
「うん、もうどうでもいいわ」
にこっ、とリーゼロッテは可憐に笑顔を浮かべる。
「そういうことなら、お二人の邪魔はいたしませんわ」
「はっ」
「慰謝料も不要です。今すぐ出ていきますので、これにサインをお願いしますね」
リーゼロッテは執務机の引き出しからスッと離婚届を取り出す。
原作では、ここでミッフィオーレが離婚届を突き出すのだ。
激高した妻リーゼロッテがジータに殴りかかり、その事件がきっかけで離婚する、という流れである。
そのための離婚届だったのだ。
それを満面の笑みでミッフィオーレに突きつける。
「き、貴様、突然何をっ」
「その方が好きなのでしょう。なら私は身を引くとします」
さらさらと離婚届に名前を書いて、そして、彼に渡す。
「さ、あとは名前を書いてくださいませ。それとも、私にまだここに居て欲しいのです。私が居なくなったら、自分が天才ではないことがバレてしまうのが怖いのですか」
「なんだとっ」
(そう、漫画では描かれてなかったけど、実は天才錬金術師なのは、リーゼロッテのほうなのよね)
リーゼロッテの錬金術の才能は、文字通り規格外であった。
これまで彼女は、目立たない裏方としてずっと夫を支え続けてきたのだ。
彼が宮廷で発表した天才的な発明も、最高品質のポーションを作成する見事な腕前も、すべては妻であるリーゼロッテがいたからこそ成り立っていたのである。
しかし原作の漫画では、そのあたりの裏事情は見事にカットされていた。
離婚したあとのストーリーにおいても、リーゼロッテの仕事やその後の足取りについては、ほとんど描かれていない。
あくまで恋愛が主軸の漫画であるため、ヒロインの恋に直接関わらない部分が省略されてしまうのは、仕方がないことなのだろう。
「馬鹿にしやがってっ」
ミッフィオーレは顔を真っ赤にしてサインを書き殴った。
「これで満足か。さっさとでて行け。おまえのようなやつの顔は二度とみたくない」
「ありがとうございます。では……さようなら」
それを受け取ったリーゼロッテは、軽快な足取りで、あっさりと彼の部屋を後にする。
◇
屋敷を出たリーゼロッテは、隣国であるマデューカス帝国へと足を運んだ。
活気あふれる市場の喧騒と、焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂う街角のカフェで、知り合いの女商人とお茶をするためだ。
「はぁい、ロッティ」
「アマンダ。久しぶりね」
女商人、アマンダ。
彼女はこの帝国随一の巨大商業ギルド、OTK商会の副会長を務めている。
彼女とは過去に一度、飛び込みの依頼を受け、それを通じて知り合った友達だ。
リーゼロッテの確かな実力と、複雑な立場をよく知っている。
リーゼロッテは、アマンダに、夫が浮気して、離婚したことを告げる。
「大変だったわ。でも正解よ。あたしから見れば、あんなやつ糞よ。ロッティのおかげでここまで出世できたっていうのに……まったくあの面だけ糞野郎は」
アマンダが不愉快そうに鼻を鳴らす。
(リーゼロッテにも、こんな素敵な友達がいるのにね)
原作だと、リーゼロッテは浮気を目撃したあとも、彼にずっと執着し続けていた。
それで身を滅ぼすことになっていたのだ。
「それで、これからどうするつもりなの」
ベルガモットの爽やかな香りが漂う、湯気の立つ温かい紅茶を優雅に啜りながら、女商人の友人が尋ねてくる。
「そうね。自由に錬金術ができれば、それでいいのだけれど……」
この世界で生きていく以上は金が必要となる。
自分に価値があるとすれば、その錬金術師としての並外れた腕前だろう。
リーゼロッテ・ファートは、祖父に偉大なる錬金術師を持ち、彼から調薬や魔道具生成の技術を直接習っているのだ。
この技術しか、彼女に金を稼ぐ手段はない。
「なら、あたしが支援するから、工房を持ってみない」
「工房……」
錬金術師の工房。
たしかに、自分の城を持ってみたいという気持ちはあった。
友人の思いがけない提案に、リーゼロッテはパチパチと目を瞬かせる。
「いいの」
「もちろんよ。きっちり利益で返してくれるならね」
(着の身着のままで飛び出してきて、手持ちの金はゼロ。肉親ももう死んでしまって、私に帰る家はない。これは……チャンスよ。逃がしてはいけないわ)
「ええ、約束するわ」
二人はテーブル越しに、がしっと優雅に固い握手を交わす。
「しっかし、ミッフィオーレも馬鹿よねぇ。こんな凄い妻を追い出すなんて」
「ありがとう。でも、あの人のことはもうどうでもいいから」
リーゼロッテはふわりと可憐に微笑み、薫り高く心地よい渋みのある紅茶で喉を潤した。
◇
三ヶ月後。
マデューカス帝国の片隅にオープンした小さなアトリエには、爽やかな薬草の香りが満ちていた。
棚には真新しい道具がずらりと揃っている。
リーゼロッテは作業台の前に立ち、気合を入れるように腕まくりをした。
「さて、やるわよ」
彼女の錬金術は、既存のスキルに頼るだけの凡庸なものではない。
透き通った冷たい水に厳選した薬草を浸し、静かに魔力を込めていく。
ただ魔力を注ぐだけではない。
それぞれの物質の分子構造を深く理解する。
流した魔力をナイフのように使い、一度極限まで分解するのだ。
そして魔力を自在に操り、最適な形へと再構成していくのである。
これが、リーゼロッテの祖父、【ニコラス・フラメル】師より習った、【フラメル式錬金術】だ。
魔力と素材さえあれば、どんな凄いものでも、作ることができる。まさに超技術である。
しかしその技術を活かすには、物体への深い理解が必要となるのだ。
現代知識と天才師匠からの教えがある彼女に、作れないものはない。
淡い光とともに、フラスコの中で液体が黄金色に輝き始める。
「うん、良い感じね。とりあえず、どんどん作ってみましょうか」
才能を隠す必要がなくなり、本来の錬金術オタクとして覚醒した彼女は、夢中になって特製ポーションを量産していく。
ややあって。
「ふぅ……ちょっと作り過ぎちゃったわね」
テーブルの上には、目も眩むような黄金色の輝きを放つ大量のポーションが乗せられていた。
「ま、腐るものでもないし、ストックしておけば、何か役に立つことがあるでしょ……」
そのときだった。
アトリエのベルがチリンと軽やかな音を立てて鳴り、女商人の友人アマンダが冒険者ギルドの職員を連れてやってきた。
「ロッティ。急ぎで大量のポーションが必要なの。前線の冒険者たちが物資不足で困っているわ」
「オッケーよ。ここにある分、全部持っていって」
「おおっ、助かりますっ。これだけあれば、みんなの命が救われますぞ」
ギルド職員が黄金色のポーションを見て、感極まったように声を震わせる。
その後の顛末はこうだ。
どうやら前線の冒険者たちは、凶悪なヒドラの毒にやられて死にかけていたらしい。
しかし、リーゼロッテの特製ポーションのおかげで、みんな事なきを得たそうだ。
「すごいわ、ロッティ。あなたのポーションへの注文が、こんなに」
「ふふっ、任せて頂戴。もっとたくさん作るわよ」
リーゼロッテは嬉しそうにぷくっと頬を紅潮させ、やる気に満ちた声を上げた。
◇
後日。
規格外のアイテムの供給源を失ったミッフィオーレの転落は早かった。
国からの高度な依頼に応えられず、作り出すのは泥水のように悪臭を放つ粗悪品ばかり。
度重なる失敗により多額の違約金を背負わされ、名門ファート家の財産はあっという間に底をついた。
宮廷錬金術師としての地位も名誉も、そして財産すら失った彼を、計算高いヒロインは冷酷に見捨てた。
ごめんなさぁい、無能で貧乏な男に用はないの、と鼻で笑い、吐き捨てて去っていったのだ。
マデューカスでの成功を耳にしたミッフィオーレは、泣きながら、彼女の前に現れたのである。
「リーゼロッテっ。俺が悪かった、やはり俺にはお前が必要なんだっ」
ボロボロの服を着て、鼻が曲がるほどの強烈な悪臭を漂わせたミッフィオーレが、爽やかな香りに満ちたアトリエに転がり込んできた。
かつての高慢な面影は微塵もなく、彼はそのまま床にすがりつき、ガックリと項垂れて膝から崩れ落ち、無様に号泣する。
「おまえに散々ひどいことを言ってすまなかったっ。俺がバカだった。すまないっ」
「えっとぉ……どちら様でしょうか」
「お、お前の夫のミッフィオーレだぞっ」
「ああ……。申し訳ありませんが、今新作魔道具を作るので、手が離せないのです」
リーゼロッテはぷくっと頬を膨らませ、迷惑そうに手を振った。
「営業の方なら、お引き取りくださいな」
「そ、そんなっ。助けてくれ、リーゼロッテっ。おまえがいなくなって、俺の評判はがた落ちなんだっ。このままじゃ錬金術師としてやっていけなくなる。戻ってきてくれっ」
「では、錬金術師以外の道に進めばよいのでは」
「そ、それはできないっ。俺の家は代々錬金術師で……」
「じゃあ、ご自分で錬金術を学びなおし、修練を積めば。私に頼るのではなく」
「いやでも……」
「それに、他にも錬金術師はいるでしょう。その人達に頼めば」
「そ、それもできない……。違約金を払って、もう金がないんだ……」
「じゃ、諦めてください」
完全に路傍の石を見るような冷ややかな視線を向けられ、ミッフィオーレはのけぞり、絶望の叫びを上げる。
その悲痛な声を背中で聞き流しながら、リーゼロッテは尻尾をパタパタと振るように、キラキラと目を輝かせた。
「さて、次はどんな魔導具を作ろうかしら」
愛を捨てた天才錬金術師の、痛快で自由な第二の人生が、今ここから始まるのだ。
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※3/4(水)
好評につき、連載版、投稿しました!
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