5. グスタフの潔白
『最近、ずっと体調が悪い。
一番の原因は、食事だと思う。
皆から突き刺さる悪意のある目線が怖い。
もし、もしも私が死んだとしても、この子だけは守りたい。』
——……
「近頃、グスタフと仲が良いみたいだな」
ヴィオレッタが図書の整理をしていると、ふと背後から男の声がかかった。
「ミスター・ノア……」
手に持った本を丁寧において、ノアが自分に話しかけた意図を探る。
「誰からお聞きになったのですか?」
「俺が直接見た」
ヴィオレッタは「そうですか」と小さく呟いて、目を伏せた。
「偶然お話した日から、とても良くしてくださるのですが……」
それ以上は何も言わず、ため息をつく。
ヴィオレッタは沈黙をよく使った。
多く語らず表情で伝える。そうすれば人は勝手に想像で補って都合のいい解釈をしてくれるからだ。
この男は一体何を思うのだろうか。そう考えていると、突然、肩に強い重みがのしかかった。驚いて目を見開くと、ノアがヴィオレッタの両肩をがっちりと掴んでいた。
目線の高さが合い、その黒い瞳が鋭く光る。
「あの……ミスター・ノア?」
「グスタフには気を付けろ」
そして、ヴィオレッタが何も言わないうちに、「それだけだ」と言って去っていった。
一人残された静かな図書室には、自分の心音だけが響いていた。
——今のは、何?
ヴィオレッタふらりと椅子に座り込む。
ノアの様子は怒りの様であり、心配の様でもあった。
思考を巡らせていると、突然窓の外から強い雨の音が聞こえ始め、ハッと意識を取り戻す。
ヴィオレッタはポケットに手を突っ込んで、小袋をぎゅっと握りしめた。
◇
「奥様、本日のお食事です」
給仕係が料理を運ぶ。出されたスープからは芳ばしいハーブの香りが蒸気と共に漂い、エレガルは満足げに呟いた。
「良い香りね」
「乾燥させたハーブを、スパイスとしてまぶしているそうです」
エレガルはスプーンを取ってスープを掬った。
そして、香りを楽しみ、それからゆっくりと口へ運ぼうとした——その瞬間。
「奥様!」
大きな音を立てて、部屋へ女が入ってきた。
その無作法な様子にエレガルは手を止めて目を釣り上がらせるが、その女の正体がヴィオレッタだという事が分かると、ひとまず怒鳴る事はやめた。
「ヴィオレッタ! 貴女……」
「申し訳ございません! しかし奥様! そのスープを飲んではいけません!」
ヴィオレッタは必死の形相で駆け寄り、エレガルの手から乱暴にスープ皿を奪い取った。
熱い中身が指に触れたが、構わず抱え込む。
走ってきたのか息を切らすヴィオレッタの様子に只事ではないと感じ取ったエレガルは、「話しなさい!」と命じた。
「……先ほど、料理長グスタフの調理場で毒が見つかりました!」
その発言に、その場にいた給仕係も驚いて声を上げる。エレガルは顔を青ざめさせて席から立ち上がった。
「グスタフを……グスタフを呼びなさい!」
◇
雨が強く降る暗い夜。ヴィオレッタはその雨の音を静かに聞いていた。
誰を地獄に突き落とそうが、姉が死んだ事実は変わらない。姉が幸せになることはない。
……それでも、構わない。
ヴィオレッタはローズの日記を覆うように机に身を臥した。
しばらくして、雨の音に混ざって喧騒が聞こえ、窓の外に目をやった。
「違う! 俺じゃない! 何もしていない! 潔白だ!!!」
ヴィオレッタの視界に入ったのは、丁度複数人の騎士達に抑えられたグスタフが連行される様子だった。
グスタフの汚い叫び声に酔いしれる。
そう、彼は潔白。全てはヴィオレッタがやったことだ。何もかもが上手くいった。
乾燥させたハーブを一緒に挽きたい、なんて言えばグスタフの調理場に入ることは容易だった。
エレガルの料理が完成し、「君がひいたハーブを散らそう!」とグスタフが息巻いている時、ヴィオレッタは塩の入った瓶を落とした。
大きな音を立てて瓶が割れ、床にぶちまけられた塩を慌てて掃除をする様に見せかけて、別で用意した毒草の粉末を紛れ込ませた。
あとは、大きな声で悲鳴をあげて、グスタフが驚いている隙に走って騎士達の元へ行き「調理場に毒が!」とだけ言って夫人の元へまた走った。
エレガルがスープに手をつけるギリギリだったのは肝を冷やした。
無事スープを回収し、そのタイミングで手に握っていた少量の毒草の粉末を密かにスープに入れ込み、そのまま対応を待った。
「落とした塩を掃除しようと思ってしゃがみ込んだ時、嗅ぎ慣れない香りに驚いたのです。それを手で掬うと、暫くしてからこんな風に……」
少しかぶれた手を見せれば、ヴィオレッタが毒に気付いた完璧な証拠となった。
グスタフは訳もわからず捕らえられ、酷く抵抗していた。
「俺は何も知らない! ヴィオレッタなら、分かってくれるだろう!?」
なんて言っていたが、まさにその通りだ。グスタフの潔白はヴィオレッタにしか分からない。
ヴィオレッタは、涙を流しながら皆の前で言った。
「信じたくありませんが、以前同じ方法で女性を堕胎させたという話を聞いたものですから、今回も……」
エレガルは酷く動揺していた。まさか自分が毒殺されそうになるなんて、と。
明日、人の出入りがない調理場の裏手から、密かに植えられた毒草が見つけられるだろう。
主人の毒殺未遂……良くて処刑、甘くて鉱山送りというところか。
まずは一人。
ヴィオレッタは部屋で涙を流した。
「お姉様の歌が、聴きたい」
とりあえず、一人。
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