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44. エレガルの嫉妬

エレガルは恐れから満足に眠れなくなっていた。そしてそれは、さらなる精神的な苦痛をもたらす。

あのパーティーの日から、何故か頭の中に死んだはずの忌々しい女、ローズが浮かぶ。


ローズの全てが気に入らなかった。

数年前、社交界でアデライドからローズの話を聞いた時は、取るに足らない女だと思っていた。華やかな舞台女優と言っても所詮平民で、娼婦と変わらない。身分も、教養も、それに容姿だって、自分が上だと自信があった。

 

その傲慢な性格から結婚が遅れていたエレガルは、アデライドの頼み通り、裕福なベレナール伯爵家の無害そうなナイジェルに嫁ぐのも悪くないと思っていたし、贅沢さえさせてもらえれば愛人がいようがどうでもいいと思っていた。


しかし、アデライドと手を組んで、強引にタウンハウスで女主人として振る舞う中で——ローズのことがどんどん目障りになっていった。

 

ローズは皆の関心を惹く。

屋敷の使用人達は、貴族であり女主人を名乗るエレガルに頭を下げる。扱いの差も歴然だった。

それなのに、注目を浴びるのはローズなのだ。

 

ローズを蔑む発言をすれば、皆同意する。それなのに目線はローズを追っている。

報酬をチラつかせればローズをぞんざいに扱う。それなのに笑いかけられれば頬を赤らめる。


エレガルが気に入った見目の良い優秀な執事見習いだって、自分には向けたのことない顔をする。


ナイジェルが事故に遭い、都合良くローズのことを忘れたので愛人としても囲わなくて良いとなった時、エレガルの内に秘める残虐性が牙を向いた。

元々折檻と称して怪我をさせることはよくあったのでおかしなことではなかったが。


気に入らない事があった時、気分が悪い時……ただ暇な時でも、その綺麗な容姿をあらゆる手で汚せば溜飲が下がった。


そしてそれはナイジェルが帰ってくることで更に激化することになった。

お互い愛などないとは言え、世継ぎを作るのは貴族の勤め。しかしそこで、エレガルのプライドが無様に砕かれる事件が起きた。女として自信があったエレガルを前に、ナイジェルは一切機能しなかったのだ。


記憶を無くしても、好きだった女、ローズを忘れても私が抱かないと言うのか。それほど奥底に、あの女がいると言うのか。その強い恨みと憤りを晴らそうと侍女を連れていつもより多く殴り、多く鞭を打ち、何度も蹴っているうちに気付いた。


ローズの大きな瞳から輝きが消えていないことに。


そしてその宝石のような瞳に、自分さえも、美しいと思ってしまったことに。


それはすぐに、強い憎悪に変わった。


自分より身分が下で、美しいものなどあってはならない。しかし、何をしても、何を言っても、瞳の輝きは消えなかった。

それこそ、ローズが姿を消していなくなる最後まで。




ローズは死んだ……とエレガルは震える手を抑えた。あの日、小屋の下には血溜まりが発見され、元々かなり衰弱していたこともあって、逃げようとして何処かでのたれ死んだのだろうと関係したものは皆言った。そしてエレガルもそう思っている。幽霊だとか、祟りだとか、非現実なものは信じていない。


まさかそんなはずはない。あり得ない。

ローズに関わった使用人達が事件を起こしていくのも、大量解雇の末に使用人達が入れ替わって融通が効かなくなっていくのも、不可解な噂話も、贈り物も、ガラスの文字も、何もかも偶然に違いない、くだらない……。


エレガルの心臓がドクン、と大きくなった。冷や汗がつうと流れ、暫くしてはっと目を見開いた。

頭が冴え、恐怖から疑念へと変わっていく。


ああ……あの女。これらが起こったのは全て、あの女が来てからでは? 全てあの女が関わっていた可能性は?

美しい容姿、可憐な所作、華やかな舞、そして、誰もの目を惹く存在感。勿論エレガルもそれに惹かれて……。


「誰か! 誰でも良い! 直ちにこちらへ来なさい!!!」


エレガルは紐が引きちぎれるほどの勢いで呼び鈴を鳴らし、煮えたぎるような怒りを込めて腹の底から大きな叫び声をあげた。


ああ、ノアのあの瞳。ノアがパーティーで見せた瞳を、見た事がある。あの瞳は、エレガルには決して向かないあの瞳は——愛に満ちた瞳だ。


「ヴィオレッタを調査して!!!」


———……


ヴィオレッタが目を覚ますと、そこには女性の使用人がいた。人工的な灯りに目をしかめる。

 

「まあ! ヴィオレッタ!」


使用人が声を上げると、はっと男性の息遣いが聞こえた。

そして足音が近づき、こちらを覗き込んだのはナイジェルとノアだった。


「ヴィオレッタ! 良かった!」


ナイジェルがヴィオレッタの手を握る。


「旦那様……」


ヴィオレッタがゆるりと起き上がれば、ナイジェルが慌てて体を支えた。


「痛いところは? 三時間ほど、気を失っていたんだ」

「ご心配をおかけしました……少し体を打った程度だと思います。咄嗟に受け身を取れたので……、」


ヴィオレッタは気を失った振りをしたまま本当に眠ってしまったようだった。

頭を打たないように気をつけて転がり落ちたので、大怪我はしなかった。成功だ。


それにしても……エレガルとアデライドの一件で冤罪をふっかけられる可能性を感じていたが、思っていた通りになったとは。ヴィオレッタは密かに口角を上げた。


それから医者に改めて体を診てもらい、特に問題はないと診断を受けた。そして、ナイジェルから「ゆっくり休んで」と護衛付きの休みを貰った。




次の日の夜、扉を叩く音が聞こえて、ヴィオレッタ……リリーは鍵を開けた。

招き入れるなり、ふわりと優しい重みがのしかかり薔薇の香りに包まれる。


「ノア……、」

「心配した」


ノアの声色からは安堵と無力感を感じさせた。


「君の選んだ行動を否定はしない。……でも、眠っている間生きた心地がしなかった」


リリーは少し震えるノアの背中に手を回して、落ち着かせるように優しくとん、と叩いた。


「……素晴らしいタイミングでした」

「アデライドが席を立つのが見えて、旦那様を連れ出したのは正解だった」


ノアは労るようにリリーの手を引いて、ベッドに座らせる。


「痛いところは?」

「背中と肩周りに少しあざができたくらいで、何もしていなければ特に痛くありません」

「……そうか」


ノアは傷ましそうに顔を歪める。


「君ばかり痛い思いをしている。それなのに俺は、」


苦しげに呟きながらリリーの髪を撫で付けた。


「ノア、違います。私がこんなことをできるのは、貴方がいるから……貴方がきっと助けてくれて、きっと辛い時にそばにいてくれると、分かっているからです」


リリーが少し震えた手でノアの手を握れば、ノアは深く息を吐き、そのまま抱きしめて小さく鼻を啜った。


「……エレガルが荒れている。あの女が旦那様に君の解雇を打診した。旦那様は首を横に振り続けているが…….タウンハウスに戻れば、君を容赦しないだろう。作戦は変更だ」


ノアと練っていたのは、小さな小細工でエレガルを精神的に追い詰め長く苦しませる作戦だった。派手なことをしてしまった今、もう時間をかけることは出来ない。

惜しい気持ちもある。しかし——


「あの嫉妬に歪めた顔……思い出しただけでゾクゾクします」


リリーは得意げに笑えば、ノアも釣られて小さく笑った。


「それほど、君が美しかったからだ」


「貴方が私を見たからですよ」

 

 

貴族が使用人に怪我をさせようが、事件にもならず、罪に問われることはない。

何事もなかったかのように、これからもこのカントリーハウスの女主人として席に座り続けるだろう。


今は一旦、それでも良い。


ヴィオレッタは護衛として部屋の前に付く騎士達に、顔を合わせるたび笑顔を向けた。


「あの……今日もありがとうございます」


ヴィオレッタへの印象が良くなるに比例して、時々聞こえてくるアデライドへの不満の数が多くなる。

こう言った小さな嫌悪はいつか形を成すのだ。


そして、ナイジェルも変わった。

アデライドに向ける視線は親を見るものではない。明らかに冷たい、軽蔑するようなものに変わっていた。

アデライドは一日中、言い訳とヴィオレッタへの恨みをつらつらと語っているそうだ。しかしそれを聞くものは誰もいない。

母親の言いなりである優しい息子は崩れ去った。

残るところ、後十話を切りました。

あと少し、二人の行く末を見届けてください。

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