43. アデライドのやり方
飾り立てた使用人の心地よい喧騒の中、余韻に浸るようにぼんやりと立ちすくむナイジェルの隣で、一人の女が怒りに手を震えさせていた。
ピクピクと目元を痙攣させながら歯を食いしばる女。それはエレガルだった。
エレガルにとって、美しさとは己のプライドである。皆の視線と話題の掻っ攫ったあの侍女に対して耐えようのない憤りを感じていた。
今まで仕事を放棄して、どこへ行っていたのか。主人である自分に、挨拶も謝罪もなかった。
やっと姿を見せたと思えば、主役を掻っ攫っていった。自分の下である女が自分より美しいなどあってはならないのに。
「解雇……解雇よ」
そして、もう一つ。
これに関しては、あまり考えたく無かった。
そんなことはない、と何度言い聞かせようと、脳裏をよぎれば胸がズキリと潰される。
エレガルの心を乱す大部分。
それは、ダンス中のノアの視線だった。
ノアは、いつも通り、綺麗な顔を崩すことなく無に近い表情で、淡々と無駄の無い動きでエレガルをリードした。
しかし、エレナルがふと、顔を上げた瞬間。
その視線は、華やかに舞うヴィオレッタの方を見ていた。ほんの一瞬だった。次の瞬間には、またエレガルに無表情を向けた。
……違う。エレガルはそう思った。ヴィオレッタを見るノアの瞳は、エレガルに向けるものと違った。それは確かに、熱を孕んだような……見惚れるような瞳に感じられた。
頭が割れる様に痛くなる。
人々の視線と関心を奪う、美しい容姿と洗練された所作、優雅な舞。
入れ替わっていく使用人達。
伯爵家のタウンハウスで起きた、不可解な事件。
まるで薔薇のような真紅のドレス。
エレガルは、ぞくりと体を冷たいものが走った。
酷い違和感と、恐ろしい想像。
吐く息がどんどん早くなる。
「エレガル、エレガル? 大丈夫かい?」
ナイジェルの頼りない声はエレガルの耳には届かなかった。
足元がぐらりと揺れる。
だって、あの女は死んだはずだ。……死んだからだろうか。いや、あまりにも非現実的で、馬鹿馬鹿しい。
エレガルは低い声で呟いた。しかし、その声は酷く震えていた。
「……ローズ…………」
◇
会場を後にし、誰もいない静まり返った大階段を登るヴィオレッタの背中に、重々しい足音が被さった。
「待ちなさい!」
ゆっくりと振り返れば、そこには形相を変え目を釣り上がらせているアデライドがいた。
ヴィオレッタは可憐に笑ってカーテシーを見せた。
そして、アデライドのいる階段の中腹まで降りてゆく。
「アデライド様、いかがなさいましたか?」
ヴィオレッタは無垢な顔で首を傾げて笑った。
「いかがなさいましたか? じゃないわ。あなた、良くのうのうと戻って来れたわね。主人の母親の言いつけを破ったのよ。部屋から逃亡し、勝手に屋敷内を出歩いて、あまつさえナイジェルと踊るなんて! 解雇じゃ済まされないわ」
「まあ、申し訳ございません」
ヴィオレッタは困ったようにそれだけ言った。
アデライドはその態度にひどく腹を立てたようでどんどん声を荒げる。
「ナイジェルを唆す悪魔……その下品な服装から、卑しい娘だと言うことが分かるわ。これだから平民は嫌なのよ! どんな手を使って取り入ったの? 毒婦らしく股を開いたのかしら。ああ、なんて汚らわしい!」
「アデライド様は、旦那様が軽々しく股を開く女に簡単に唆されるとお思いで?」
「ナイジェルは無垢なのよ! 以前も汚らしい女に唆されていて……はあ。今回も私が引き離してあげなければならないわ」
ヴィオレッタは目を細めた。
「……汚らわしい女?」
「ええ、そうよ。優しいナイジェルに付け込んで、この屋敷を乗っ取るつもりだったのよ。娼婦の癖に野心だけは一丁前だったみたいね。その女をやっと追い出せたと思えば、次はあなた! そういえば似てるわ。この外見だけを飾り立てた脳のないスカスカな様子がね! どうせあなたも金や財産目当て。乗っ取るつもりなんでしょう!?」
ヴィオレッタは思わず大きな声をあげて笑った。
「本当、アデライド様はよく喋りますね。話し相手がいなくて寂しいのかしら」
笑いすぎて潤んだ目をするりと撫でる。
そして、突然の煽りに呆気に取られているアデライドの耳元に顔を寄せ、揶揄うように言った。
「乗っ取るなんて、とんでもない。潰しに来たんですよ」
ヴィオレッタの低い声と不穏な言葉に、アデライドは、ひっと声を出して距離を取る。
「へ、平民風情が! あなた、何を言ったか分かってるの!?」
「また私を捕らえても良いですが……今回こそ、旦那様はお怒りになるでしょうね。そして私も、必ず逃げ出せる自信があります」
すると、アデライドは手をおおきく振りかぶって、勢いよくヴィオレッタの頬を打った。
パン! と乾いた音が響き渡り、ヴィオレッタはその勢いのまま口を噛んで、血がとろりと流れた。
それを見たアデライドは何かを企むように笑う。
「そうね……その通りだわ。ドブネズミは姑息で足が速いもの。いいわ、捕らえはしない。……さて。 低脳そうな平民のあなたに、一つだけ教えておくわ。使用人が貴族に逆らえば罪に問われること。今でも十分だけれど、殺人未遂なんてことになれば死刑かしらね?」
そう言って、アデライドは「キャァア!」と甲高い悲鳴を上げて、階段を降りようと足を出す。
ヴィオレッタはふっと笑った。素早くアデライドの手を掴み、強く引っぱって動作を止め、ガクン、とその場の階段に座り込ませる。
「さすがお年寄りね。古典的で頭が固い。そしてやり方が杜撰だわ」
そう言ってヴィオレッタはふわりと体のバランスを崩す。アデライドは目を見開いた。
ヴィオレッタはそのまま大きな音を立てて階段から滑り落ちていく。ドサドサと鈍い音が響き渡り、真紅のドレスが散らばった花のように床に広がった。
ヴィオレッタの口元からは、拭っていない血が流れていた。
「母上!? 悲鳴が! ……な、ヴィオレッタ!?」
運良く……アデライドにとっては運が悪く、ナイジェルが駆けつけた。ナイジェルは咄嗟に膝をつき、ヴィオレッタの体を抱き上げる。
「ヴィオレッタ、しっかりしてくれ! ヴィオレッタ!」
ヴィオレッタは、意識が遠のくふりをしながら、低い呻きを声を出した。
それから、「旦那様!」とまた人が駆け寄る足音が聞こえる。
「ああ、ノア! すぐに医者の手配を! 人を呼んでくれ!」
「そんな……! 私は、ただ……」
アデライドは階段の上で座り込んだままだ。
ナイジェルが顔を上げ、アデライドを見る。その眼光に体が大きく跳ねた。
アデライドはその鋭い瞳を、かつて一度だけ見たことがある——赤髪の娼婦を息子の前で貶した時と同じ、深い怒りのこもった目線。体の底から鳥肌が立ち、喉を鳴らしガタガタと体を震えさせた。
ナイジェルは何も言わないまま、ヴィオレッタを抱え、去っていく。
それからしばらくして、何人かの使用人達がバタバタと青い顔で目の前を通り過ぎていく。
背後から、カチャ、と金属が擦れ合うような音がした。
アデライドが振り返るも、そこには伯爵家の騎士が、こちらを睨みつけるように監視していた。
「だ、騙された!!! 騙されたのよ!!! 仕組まれていたの!!!信じてちょうだい!!!」




