30. 侍女の仕事
「奥様、顔色があまり良くありませんが、いかがなさいましたか?」
ヴィオレッタは白粉を持つ手を止め、化粧台の前に座るエレガルの表情を心配そうに覗き見た。
何も言わぬエレガルに、問いを続ける。
「もしかして、あの、謎の贈り物の事でしょうか……。
今後しっかりと調べてからお渡しするように言い聞かせます」
ヴィオレッタが話しているのは先日起こった小さな事件だった。
その小さな事件とは、エレガルの元へ匿名で謎の贈り物が届いた事から始まった。有名な宝石店の箱であった為、エレガルは嬉々として開けたが、その中身を見るなり顔を青ざめさせた。
そこに入っていたのは宝石などではなかった。枯れた一輪の薔薇と、血に濡れたボロボロの布切れだった。
ヴィオレッタは急いで駆け寄り、それを奪い取って窓の外へ捨てた。
「誰がこんなものを……! 誰かミスター・ノアに報告を! 奥様! 怪我や異変はありませんか?」
ヴィオレッタがエレガルの手を取って確認すれば、エレガルは吠えるように叫んだ。
「必ず突き止めなさい!!! これを持ち込んだ使用人は即刻解雇して!!!」
——そして、今に至る。
勿論この箱を用意したのはヴィオレッタだ。
エレガルに箱を渡した使用人の女は元々この屋敷を辞めたがっていた者で、ノアの力で解雇と見せかけて退職金を渡し、他の屋敷に推薦状を書いて送り出した。
「まだ見つかっていないの!?」
「奥様……必ずや私が守ります。それに、ミスター・ノアも奥様のために警備の数を二倍に増やしたそうですよ」
息を荒げていたエレガルは、その名を聞いて徐々に落ち着きを取り戻した。
しかし、ヴィオレッタは化粧箱を漁りながら、追い打ちをかけるように驚いた声をあげる。
「まあ! どうしてこの頬紅がここに? 舞台用の派手なものだわ。こんなもの、奥様に用意していないのに……」
不穏な呟きを聞いたエレガルは、それを奪い取って床に勢いよく叩きつけた。
「今日の予定は全て取り消して! 化粧が終わればノアを呼んでちょうだい!」
「か、かしこまりました……! ただちに終わらせます」
ヴィオレッタは、エレガルを労るように言って、化粧を施し、床に散らばった頬紅の粉を片してから部屋を出てノアを探した。
「ミスター・ノア、奥様がお呼びです」
ナイジェルの部屋から出できたところを見つけ、声をかける。
ノアは少しだけ嫌そうな表情を見せて、「分かった」と言った。そして、誰もいない廊下に差し掛かり、小声で問うた。
「酷いことはされていないか」
ヴィオレッタはパチパチと目を瞬かせ、くすりと笑った。
「ええ、今のところは、まだ」
面白がるように含みを持たせた言い方をすれば、ノアが突然歩みを止める。
「ミスター・ノア、すみません。冗談です。大丈夫ですよ」
「心配なんだ。君のアザだらけの足を思い出した」
ノアが縋るようにヴィオレッタの片手を掴む。
ヴィオレッタの心臓の音が少し大きくなった。
「あ、あの、誰が見ているかわかりませんし、ここではあまり触れない方が……」
辿々しく言えば、ノアは「ああ」と言って手を離す。
「そうだな。……悪かった」
「いえ、」
それからしばらく沈黙が落ちて、ヴィオレッタが小さな声でそれを破った。
「心配してくださって、ありがとうございます」
ノアは少しだけ微笑み、そして、真剣な目をして言った。
「無理はするな、何かあったらすぐに言うように」
それからヴィオレッタは自室に戻り、いつもより少しだけ早い胸を抑えた。
今からエレガルとノアは二人で時を過ごす。一体どんな時間なのだろう。
エレガルの惚れようからして、最後まで……とはいかなくとも、未だにキスを交わしていないとは考えられない。ノアは、必要以上のことをしないが、逆に必要であれば何でもする。
侍女になって、エレガルの隣の部屋を与えられてから二ヶ月が経とうとしていた。ヴィオレッタは初めて仕事に手をつけず、エレガルの部屋に面する壁に耳を当ててみる。
聞き間違えかもしれないが、明らかに話し声ではない女の高い声が聞こえたような気がして、すぐに壁から離れた。
このモヤモヤとする気持ちは、憎い女の汚らしい嬌声を聞いたからからだろうか。
ヴィオレッタは、勢いよく部屋を出る。
そして、当てもなく屋敷を歩いた。
侍女の仕事はこう言う時に暇になるのだ。
ふと、図書室の前を通り過ぎて足を止める。
「本でも読んでみようかしら」
ぼんやりと呟き、扉を開けた。
すると、中からバサリと本を数冊落とすような音が聞こえた。突然扉を開けて脅かしてしまったらしい。
「申し訳ございません!」
ヴィオレッタは慌てて駆け寄り本を拾い上げた。
そして、その正体を見て、さらに謝ることになる。
「旦那様……!大変申し訳ございません……」
「気にしないで」と言いながら本を拾う人の正体は、ナイジェルだった。
ノアの話を聞いてからも、ナイジェルと顔を合わせることは数回程あった。
挨拶を交わすことも、気にかけて声をかけてもらうこともあったが、誰もいない空間で二人きりになることはラングレイ侯爵邸の庭園で歌を歌って欲しいと頼まれた時以来だ。
何となく気まずくなり、立ち去ろうかと考えが浮かんだ。
しかし、ナイジェルにローズのことを思い出してもらうのも一つの目標だ。
ここで逃げるわけにはいかない。むしろ絶好の機会だった。




