29. 解雇
「ミスター・ノアは使用人の女性たちから人気なようですね」
ヴィオレッタは今日も、ノアの話題を出す。
「でも、他の女性に目もくれず、誰かただ一人を想っているような素振りを見せます」
エレガルは満足げな顔をして紅茶を啜った。
「しかし、メイドのミーシャとイザベラ、ウェンディはご執心のようで……目に余ります」
「まあ、そう」
エレガルはなんとも無いように、返事をした。
しかしヴィオレッタは、その眉が僅かに動くのを見逃さなかった。
「この間エリザが告白をしておりました」
「オリビアが贈り物を」
「ロビーが休日のお誘いを」
ヴィオレッタは長い時間をかけて話の中にそんな話題を出す。そうすればなんとも面白いことが起こるのだ。
エレガルは必ずヴィオレッタに束の間の休憩を出す。
そして、こそこそと部屋にノアを呼び、しばらくすれば、その名を出したメイド達は解雇されていく。
「ふふ、所詮、噂話だというのに」
ヴィオレッタは一人の部屋で、机に向かって呟いた。
そうしてノアが書いたメモを取り出し、解雇となった使用人の名に消し込み線を入れていく。
「すごいわ、もうこんなに」
——……
エレガルから呼び出される頻度が増えたノアは、大きなため息をついた。
「オリビアという女から貰ったというものを渡して!」
時にヒステリックに叫び、
「別に、告白を受ければいいじゃ無い」
時に試すような発言をし、
「貴方が愛しているのは私でしょう?」と、時に甘い声を出す。
その後の対応は皆同じ。ノアがエレガルを抱きしめて解雇を匂わせれば、すぐに了承を得られた。
ノアが執事となって一番最初に取った行動は、かつてローズを嬉々として冷遇した使用人達の解雇だった。
見習いの立場では、使用人を管理することなどできなかった。今は執事という立場を存分に使える。
ただし、万能では無い。あまりにも不当な解雇は認められない。何人かは粗を探し、ナイジェルを通して解雇させられたが、難しい者たちはエレガルの気性の荒さを利用した。
特に、ノアに色目を使ったという噂をヴィオレッタに流してもらえれば、直ぐに解雇が決まった。
メイドたちも恐ろしい女主人の言い付けに反論することなど出来なかった。
分かっていたことだが、連日の呼び出しに気疲れが激しい。
額と目元を冷やすように片手を当てる。
ふと、着ていた黒のコートから百合のような優しい花の香りが漂った。きっちりアイロンがかけられたそれの袖を少し顔に近づけ、ノアは眉間に寄った皺を伸ばす。
そしてその香りの元である女の顔を思い浮かべれば、体が軽くなったような気がした。不思議なことに、明日への気力が湧くのだ。
◇
ヴィオレッタとノアは、時折目を合わせて笑い合った。
一人、また一人と使用人が消えるたびに、誰にも見られぬよう二人で手を叩いた。
ノアが執事になって三ヶ月も立つ頃には主に暮らすタウンハウスと、領地にあるカントリーハウスの使用人含めて、七十人ほどいる中の三十二人が入れ替えられた。
勿論、マルグリットの死に加担したメイド達も皆解雇となった。これで実質は、エレガルの残虐な命令に自ら加担するような使用人は居なくなったと言える。
ヴィオレッタは次の作戦へ移行した。
冷たい風が窓を叩く夜。ヴィオレッタはエレガルの部屋でキャンドルを焚きながら髪をといてた。
夜眠る前に主人の髪をとくのは侍女の仕事の一つである。
「奥様の銀髪はとても美しいですね……それにしても以前より艶に磨きがかかっています」
ヴィオレッタは決して痛まぬように優しくときつづける。
「貴女、何かした?最近肌の調子も良いわ」
エレガルの言葉にヴィオレッタは微笑んだ
「いいえ何も。……ああ、そう言えば。人は恋をすれば綺麗になるとお聞きしました」
「意外ね。ヴィオレッタからそんな話を聞くとは思わなかったわ。非現実的。信じてるの?」
ヴィオレッタは櫛を持った手を止める。
「この件に関してはそれなりの根拠があるみたいですが……非現実的な話にも、興味があります。運命の赤い糸や、神の存在。そして、幽霊の怖いお話とか」
「くだらないわね」
「意外と話を聞けば面白いですよ」
「一つ話してみなさい」
ヴィオレッタは部屋のランプを消して、キャンドルを持ってエレガルの前に立つ。
ゆらゆら揺れる火の灯りがヴィオレッタを怪しく照らした。
「これは、とある使用人から聞いた話なのですが……、」
ヴィオレッタは静かに語り始める。
「真夜中に仕事を思い出して、庭園を歩いていた時、突然女の歌声が聞こえたそうです。
誰かが歌の練習をしているようでしたが、真夜中の歌は迷惑になるので注意してやろうと、声の方向に向かいました。
そこにあったのは使われていない古い小屋。扉を開け、使用人は驚きました。何故なら、歌声は響いているのに、誰もいないからです。
足を踏みいれ、時間をかけて探せども、見当たりません。使用人は諦めて、部屋を出ようと扉に手を掛けました。
すると突然歌声が近付いて、耳元で何か囁かれたかと思えば、外から大きなドサリと音が響いたのです。
大層驚いて小屋から飛び出せば、そこには血のような赤黒い液体がドロドロと流れていました。
使用人は人ならざる者だと察し、急いで屋敷に戻りました。
……その日から時折、使用人の耳元で歌う女の声が聞こえたようです。気を病んだ使用人はその屋敷で働くのをやめました。するとパタリとその現象は治ったといいます。
その女の歌声は何を伝えていたのでしょうか……」
ヴィオレッタは、ふっとキャンドルの火を吹き消した。
そして、部屋のランプを付けて、「どうですか?」とエレガルに問うた。
「……つまらないわ。どこの屋敷の話?」
「私も教えてもらえなかったのです。ちなみにこれは、四ヶ月前にここを辞めたとある使用人と街で偶然会った時にお聞きしました。はあ、この屋敷じゃなければ良いのですが」
ヴィオレッタはちらりと時計を見て、深々と礼をする。
「そろそろお休みの時間です。私はお暇させていただきます。……キャンドルは炊かれますか?」
「いらないわ」
エレガルは強い口調で言った。
毎日必ず香油の入ったキャンドルを焚いて寝るというのに。
ヴィオレッタは「そうですか。それではおやすみなさい」と言って、静かに部屋を出た。




