28. 心の拠り所
ヴィオレッタは、少し腫れた目を化粧で隠した。
沢山泣いたが、その分冷やしたので、それほど酷くはならなかった。
ノアは執事として、ヴィオレッタは侍女として働く。
ヴィオレッタは何も知らない風を装って、マルグリットに対して私怨を抱いているメイドの話をエレガルにした。エレガルはそれを聞くや否やそのメイドを呼びつけた。
そして数日が経ち、ナイジェルが帰宅する前日に、鞭の音は消えた。
手先が凍えるほどの冷たい風が吹く夜。ヴィオレッタは不自然に盛り上がった庭園の土を見ていた。
「最高に、悲惨な最後ね」
淡々と呟き、体が小さく震えた。
これは寒さからか、それともエレガルの狂気を目の当たりにした恐怖か。
前者であれ。ヴィオレッタは拳を強く握った。
その時、ふわりと肩に暖かい重みが掛かった。
「ここにいると思った」
低い男の声が聞こえて、ヴィオレッタは振り返る。
「ミスター・ノア……、ありがとうございます」
肩にかけられたノアの黒いコートに体を包むようにして手で前を寄せると、ほのかにノアの薔薇の香りが鼻を掠め、震えが止まった。
「戻ろう。風邪を引く」
ノアは地面の不自然な盛り上がりを一瞥し、ヴィオレッタの手を引いた。
そして部屋に戻る前、ヴィオレッタがコートを返そうと肩から降ろせば、ノアは言った。
「そうだ……、ついでにほつれを直してくれないか。右ポケットの、内側だ」
「かしこまりました」
ノアに礼をして、部屋に戻る。
ランプに火をつけ、机に大きなコートを置いて、右ポケットを確認する。
「流石ね」
ヴィオレッタは目を細めて呟いた。
そこには、ほつれなど無かった。代わりにあったもの。それは几帳面な字が並ぶ小さなメモだった。
十数人ほどの名がずらりと並べられている。
その紙をじっくりと確認し、そして鍵のついた引き出しへしまった。
コートをハンガーに掛けて、ベッドに潜る。
「この部屋も、このベッドも、そろそろお引越し……」
ヴィオレッタは少し寂しく感じた。今は荷造りの途中である。エレガルの侍女として別の部屋を与えられることになったからだ。
マルグリットの元々使っていた部屋で過ごすなど、気分が悪い。それでも、侍女になったからにはこの部屋に居続けることも出来なかった。
枕元のランプを消して目を瞑るも、思考がぐるぐると周り、なかなか寝付けなかった。
ふと何を思い立ったかベッドから立ち上がり、ノアのコートに手を伸ばす。
ハンガーから外して、そのまま顔を寄せた。あまり良くないことをしていると、自覚はあった。
しかし、ノアの香りが心を落ち着かせる。ずっと孤独だと思っていた。全員が敵、誰にも悟られまいと気を張っていた。それが崩されて、ノアの存在は自分も気付かぬうちに、心の拠り所となりはじめていた。
手にコートを持ったまま、またベッドに潜る。
「皺になるかしら……。明日、早起きしましょう。アイロンをかければ大丈夫……」
言い聞かせるように呟きながら目を閉じる。そしてすぐに意識を落とした。
◇
エレガルの侍女として勤める日々は、むしろ落ち着いていた。
今まで、メイドの仕事をこなしながら、ドレスの調整や髪のスタイリングを行っていたので、一つの仕事に専念できるのは楽であった。
話し相手になり、身嗜みを整えて、お出掛けについて行く。
エレガルはあれから随分と落ち着き、またいつもの傲慢さを取り戻していた。
「ラングレイ侯爵夫人の件、ナイジェルに怒られたわ。本当に腹が立つ。何様のつもりよ」
エレガルは紅茶のカップをガチャン!と勢いよく音を立てて皿の上に置いた。
ナイジェルの誠実な対応により、伯爵家としては一旦最悪の事態は免れた。ラングレイ夫人は未だエレガルをよく思っていないようだったので、ヴィオレッタの進言通りにエレガルは別の派閥の夫人たちと交流を始めた。
ヴィオレッタの情報と美的感覚は、エレガルを返り咲かせるのに一役買った。ヴィオレッタは仕事の合間を縫って、いたるところで情報を集める。そんなヴィオレッタをエレガルは大層気に入っていた。
「そういえば……執事のミスター・ノアはとても仕事のできる方なのですね」
ヴィオレッタがノアの話題を出せば、エレガルは分かりやすく話に乗る。
「ええ、そうでしょう? 私が執事に推薦したのよ」
「流石です。……そういえば、以前ミスター・ノアの会話を盗み聞いてしまった時、彼は奥様に対する感謝を語っておりました。もしかすればその件かも知れませんね」
「まあ、そうなの?」
エレガルがニコニコと口角を上げる。なんと分かりやすいことか。ヴィオレッタに気を許しているエレガルは次第に色んなことを語るようになった。
それこそ、確信とまでは触れなくとも、執事との禁断の恋を匂わせるほどには。




