27. ノアが復讐を誓った日
“慰謝料を渡して出て行ってもらおう”
ナイジェルの発言からすぐに、ローズがそれを受け入れて伯爵邸を出たと父から連絡が入った。
ノアはやるせない気持ちを胸に、ナイジェルを支えた。
ナイジェルの怪我がすっかり治った頃、タウンハウスへと戻ることになった。
ナイジェルとエレガルは、正直うまく行っているようには見えなかった。最低限の関わりはある。しかし二人の瞳には愛など一切映っておらず、ナイジェルはただひたすら責務をこなしていた。
ノアは、ローズの居場所を探した。
ナイジェルは無理でも、せめて自分の口でこの件について説明したかった。
しかし、どう探せども居場所が突き止められない。
それもそのはずだ。ローズは伯爵邸を出ていなかった。エレガルが物置と称して管理していた庭園の外れにある二階建ての古い小屋に閉じ込められていたからだ。
それを知らぬノアがたまたま小屋を通り過ぎた時、頭上から人が降った。
鈍い音を立てて地面に落ちたそれは、見るに耐えない女の姿をしていた。
衝撃のまま女を抱き上げたノアは全てを理解した。届かない手紙。酷い姿の女。見つからないローズの居場所——。
手紙は使用人達によって処理されていた。
酷い姿は折檻によるもの。
見つからなかったのは、喉を焼かれ閉じ込められていたから。この女性は、ローズだ。
ふつふつと湧き上がる感情と共にたくさんの選択肢が浮かんだ。それは全て、残虐に何もかも終わらせるものだった。
きっと、ローズは絶望の末に自殺を選んだのだ。二階から落ちたくらいじゃ死にきれないが、衰弱しきっているローズなら叶うだろう。ああ、何もかもが許せない。
そう思ったが、ノアの腕の中で呻き声を上げるローズの瞳を見て、怒りが止まった。
その窪んだ瞳は、初めてローズと会った時の真っ直ぐとした光を宿していた。
絶望じゃない。これは自殺じゃない。逃げではなく、ローズにとっての、最後の足掻きだった。
「すぐに旦那様の元に!」
ノアは涙を流して叫んだ。
血を流しながら腕の中で横たわるローズは、弱々しく震える手で涙に濡れる男の頭に手を伸ばした。さらりと黒髪に触れて、微かな掠れた声で言った。
「リリーの、元へ。ナイジェル様……に、こんな姿……見られたくないもの……。せめて私の……美しい姿を、覚えていて、貰いたい、から」
ノアは、迷った。
あんなに愛して、こんな姿になってまで待ち続けた男に会わぬままで良いのか。
しかし、断れなかった。美しい女性の強い望みを叶えてやる他なかった。
ナイジェルは、ローズの美しい姿すら覚えていない。子供がいたことすら、「母上が僕を縛りつけるために言った嘘に違いないと言っていたよ」と何を言っても信じなかった。最後にその事実を突きつけられるよりも、何も知らないままの方がいいのではないか。そう思ってしまうほど、ローズの瞳はナイジェルを信じ続けていた。
随分と軽いローズを抱きかかえ、誰にも見つからぬよう屋敷を飛び出した。
馬車に乗り込み、王立オペラ座の寮まで走らせた。
寮の管理人らしき女性はその酷い姿を見るなり顔を青ざめさせ、すぐに医者を呼んで、リリーのいる稽古場へ走った。
「ノア……ありがとう、もう、戻って……」
ノアは祈りを込めて、ローズの細い手に敬愛のキスを落とした。
どうか、生き伸びて欲しい。そして元の姿で、またナイジェルと出会って欲しい。いや、何もかも新しく、幸せな人生を送るのも良い。
その祈りが届く事はなかった。後にローズは生き絶えた事を知った。
ノアは復讐を誓った。何も知らない顔をして、エレガルに近付いた。
この伯爵家を終わらせる為に。
——……
リリーの涙は止まる事を知らない。
呼吸を忘れ、声をしゃくりあげた。
「お、お姉、ちゃんは、っ、どうしてっ、そんな、に、」
うまく言葉を紡ぐ事ができず、そのままノアの胸に顔を埋めた。
姉はどうしてそんなに強くいられたのか。
何故そこまでナイジェルを愛したのだろうか。
弱音を日記に隠して気高く振る舞っていた。
もし、姉がもっとずる賢い女だったら。それか、か弱く臆病な女だったら。きっとこうなる事は無かった。
でも、そんな姉だからこそ、私達は強く惹かれたのだ。
リリーの頭に、ぽた、ぽたと、雫が降る。
ノアも、共に泣いている事がわかる。そう思えば少し心が落ち着くような気がした。
「俺は……」
しばらくして、ノアが口を開いた。
「旦那様がリリーを見た時に、少し希望を感じたんだ。思い出せるきっかけになるかもしれない」
「私も……そう思います」
ナイジェルの姿を思い浮かべる。
ローズのことを思い出せば、ナイジェルはどう動くのだろうか。ことの顛末を知れば、姉を想って涙を流すだろうか。
流さなければ、堕とすだけだ。
「全てが終わったら、君の白金の髪を見たい」
ノアは、リリーの黒に染められた髪を撫でた。
リリーは涙を拭って、必ず終わらせなければならないと強く思った。
「ええ、きっと……私の髪は、お姉ちゃんお墨付きですもの」




