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24. 行く末はいかに

『赤ちゃん、居なくなっちゃった。

守れなくて、ごめんなさい。

弱くて、ごめんなさい』


——……


ラングレイ侯爵夫人が不倫に悩んでいる事など、周りに気を張り巡らせてしっかり使用人達と交流をしていれば、一ヶ月の滞在のうちには皆分かることだった。


しかし、マルグリットは思考を放棄していたようだ。

何故なら、完璧な情報を揃えた新聞があるから。

何もしなくても自分が優位に立てる情報が舞い込む状況が二週間も続けば、情報を疑い精査することもなくなっていた。


そしてそれはエレガルも同じだった。

侍女の情報を完全に信じきっていたエレガルは、侍女の進言通りに話題を決めた。


つまり、ヴィオレッタが間違えた情報を書けば、当然間違えた話題を振るのだ。


『ラングレイ侯爵夫人には、別の想い人が!?』

などと出鱈目な事を書けば、動かすのは簡単だった。

ヴィオレッタの思い通りに事が進んだ。


冷めやらぬ興奮を落ち着かせようと、庭園へ出て冷たい風を受ける。

雨上がりの夜は空気が澄んでいて、月明かりが揺れる池はいつもよりも水位が高い。

ヴィオレッタは濡れた地面に寝そべった。

所々に見える星を眺めながら、最愛の姉に想いを馳せ、長い時間を過ごした。


「こんなところにいたのね、ヴィオレッタ……」


突然、声が掛かる。ヴィオレッタは何かを察知して、咄嗟に体を翻した。


視界の端が銀色に光ったかと思えば、グサリと鈍い音を立てて地面に大きな鋏が勢いよく突き刺さった。

丁度その位置は、体を動かしていなければ、ヴィオレッタの首元があった場所だった。

明確な殺意だ。

 

ヴィオレッタは立ち上がり、敢えて怯えたように振る舞う。

 

「ミス・マルグリット……」

「あーあ、外れちゃった、次は殺すわ」


地面から鋏を引き抜き、よろよろとヴィオレッタに近づく女——侍女、いや、元侍女マルグリットは、異様なほど青く腫れ上がった顔をしながら、鋭い殺意を目に宿していた。


「そんな! 誰か助けて!」


ヴィオレッタは一歩、二歩と後ずさる。

その様子を見ていたマルグリットは、肩を震わせ怒鳴った。


「ああ! おまえ、本当にむかつくのよ!!! あいつも!! あいつもそうだった!!」


あいつ……とは、ローズのことだろう。ヴィオレッタは察知し、マルグリットを注意深く見つめる。


「おまえ、本当は怯えてなどいないでしょう! 同じなのよ! 何をしようと、何を言おうと、その目に絶望が浮かばない! ああ、しつこい、しつこい、しつこい!」


鋏を持つ手に力が込められ、こちらへ向かって来る。間一髪のところで鋏から身を避け、マルグリットは勢いのまま地面へ倒れ込んだ。

そして、何か恐ろしいことを思い出したように唇を震わせた。まるで得体の知れぬ怪物を見ているかのような怯え方だった。

 

「罵っても、叩いても、蹴っても!」

マルグリットは錯乱したかのように叫び続ける。

「火傷させても、声を奪っても!」


ヴィオレッタはぎり、と歯を食いしばる。

日記に書かれていなかった事を知るチャンスだ。

 

マルグリットの虚な目には、ヴィオレッタは映っていなかった。その場にいない相手——ローズの面影を思い浮かべるかのように、呟いた。


「流石に、腹の子供が死ねば、絶望すると思ったのになあ……」


ヴィオレッタは酷い怒りで視界が揺らぐのを必死で耐えようと、荒い息を吐く。マグリットはその息遣いに、やっとヴィオレッタを認識して、ふと思い付いたように言った。


「同じ事をすれば、お前は絶望するかしらね?」


マルグリットはニヤリと笑い、フラフラと立ち上がって、またヴィオレッタを追い詰めた。

ヴィオレッタが後二歩ほど足を引けば池に落ちる。

もう殆ど刃先が触れそうなほどに距離を詰め寄り続けるマルグリットは、全てを捨てた投げやりな笑顔を浮かべていた。


「……何をする気ですか」


ヴィオレッタが、問えば動きをぴたりと止める。


「殺そうと思っていたけれど……ああ……ふふっ、何が良い?

髪用の熱した棒で肌を焼いてあげましょうか。

それとも、毒でその喉を焼く?

今ここで水に沈めてあげても良いわ。

まあ、お前に子供はいないから、あの女の時ようにその寒さで子を殺す事はできないけれど!」


ああ、なんと言う事だ。ローズを痛めつけた拷問の内容は、あまりにも悲惨。姉はそれらに耐えてきたのか。それも、マルグリッドが言っていたように、瞳に絶望を浮かべずに?


ヴィオレッタは怒りと同時に込み上げる吐き気を抑えて、挑発するように笑った。

そして何かを言いかけた、その瞬間。


黒く素早い影が突然現れた。マルグリットの体が強く揺れて、そのままヴィオレッタの視界の端を過った。

背後でバシャン! と音が聞こえ、水飛沫が上がる。


ヴィオレッタは突然のことに、怒りを忘れた。

マルグリットが池に落ちた。いや、突き落とされた。

突き落としたのは、誰だ?

ヴィオレッタは慌てて振り返り、その人物を認識し、目を大きく見開いた。

 

そこにいたのは、黒髪の男——ノアだった。

憤怒の表情を浮かべ、バシャバシャと暴れるマルグリットの頭をただひたすらに池の水の中へ押さえつけている。


ヴィオレッタははっと意識を取り戻し、急いで駆け寄った。


「ミスター・ノア!」


ヴィオレッタが呼びかけるも、ノアは我を忘れたように手を離さない。

次第にマルグリットの動きが力を無くし始め、ゴボゴボと空気が気泡となって上がる。


「このままでは死んでしまいます! 手を止めて!」


ヴィオレッタだって、同じ気持ちだった。

こいつは——マルグリットはこのまま死ねば良い。

死んで当然のことをした。ローズはどれほど怖かっただろうか。熱くて、痛くて、寒かったに違いない。

そして、水でローズの子を殺したのだ。水に溺れて死ぬのは良い最後だ。苦しんで、死ね。

そう思った。


——だけど……。


ヴィオレッタは、この伯爵邸にきて初めて情が湧いた。

勿論、マルグリットに対してでは無い。

ノアに対してだ。

このまま、ノアに人殺しをさせてはいけない。結局巡り巡って、マルグリットの結末は死かも知れないが、直接手を下させるわけにはいけない。何故か、強くそう思った。


「ミスター・ノア」


ヴィオレッタは大きく息を吐いて、それから柔らかな声で名を呼んだ。そして、その背中に手を回して抱きしめた。ノアはまだ、マルグリットを沈めているままだ。

何を問いかけてもダメだった。

 

……ヴィオレッタは、歌を口ずさんだ。

まるで、興奮で眠れぬ子供を寝かしつける子守唄のように。

あまりにも場違いな行動。でももし、ノアとローズの間に深い関わりや思い出があるのならば、きっとこの歌を聴いているはずだ。

我を失っている彼に、どうか、どうか届きますように。


ヴィオレッタの思いは音となって実を結び、ノアの手は勢いを失った。それから荒い息を吐き、ヴィオレッタごとバランスを崩して倒れた。


ヴィオレッタは、素早く立ち上がり、マルグリットの上半身を引き上げる。


「かはッ」とマルグリットは勢いよく水を吐き、苦しそうに咳のような呼吸をする。幸か不幸か、まだ生きていたようだ。ぐったりしているが、意識もあるようだった。

 

ノアは肩を上下に揺らしながら呆気にとられた様子で、ヴィオレッタを見ていた。


「聞こえているかしら、ミス・マルグリット」


マルグリットの濡れた髪を力強く引っ張り上げれば、溺れかけていた苦しみと、頭の痛みに、その醜い顔を歪ませる。


「貴女に毎日新聞をねだられていたから、今日の分も持ってきたのよ」


ヴィオレッタは片方の手で、懐から紙を取り出した。


「醜く腫れた貴女の顔じゃ目もろくに見えないでしょうから、読んであげるわ。見出しは ”愚かなる侍女、主人を奈落へ導く” 」


マルグリットは、言葉にならぬ小さな呻き声を漏らした。


「本文は、こうよ。

“真偽を確かめぬまま『秘密の情報』を鵜呑みにした一人の侍女マルグリットが、あろうことか嘘の情報をベレナール伯爵夫人に吹き込んだ” 」


ヴィオレッタは言い聞かせるようにその文字を読み上げる。


「 ”ベレナール伯爵夫人は、ラングレイ侯爵夫人の怒りを買い侯爵邸を追放されることとなった。

そして、侍女マルグリットは厳しい折檻の末に解雇。この新聞の筆者であるヴィオレッタが、その座を手に入れることとなった” 」


マルグリットは、わなわなと震えながら、ヴィオレッタを見上げる。ヴィオレッタは声を高らかに上げた。


「 ”待ち受けるのは、折檻による衰弱死? それとも絶望からの自死? 哀れなマルグリットの行く末は、いかに——” 」


掴んでいた手を離せば、マルグリットの頭が地面に叩きつけられる。マルグリッドの目の前に新聞が落とされ霞む目でそれを見た。

それは確かに、今までヴィオレッタから奪い取って読んでいた新聞記事と、同じ筆跡であった。


一番書きたかったシーンでした。

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