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23. マルグリットの失敗

ラングレイ侯爵邸で過ごす、最終日。

男性陣は最後の狩りに、女性陣は最後のお茶会に、そして夜は盛大なパーティーが行われるはずだった。


しかし、その予定は大きく狂った。

昼の茶会が突如切り上がり、ベレナール伯爵一行は夜のパーティーに参加せず、追い出されるように屋敷を出ることとなった。

なんでも、エレガルがラングレイ侯爵夫人を酷く怒らせてしまったという。


そして、一ヶ月にわたるラングレイ侯爵邸への訪問はヴィオレッタが歌を披露することも無く終わった。


ヴィオレッタが乗る質素な四輪馬車には、向かい合う長椅子に八人ほどの使用人が詰め込まれている。

一ヶ月前……ラングレイ侯爵邸に向かう際の馬車は皆それぞれにお喋りを楽しんでいた。

それが今や、馬車の中の空気は重く冷たく張り詰めている。


「何があったの……?」


メイドの誰かが耐えきれぬように、恐る恐る言い放った。その言葉に、お茶会の給仕係として参加していたらしいメイドがガタガタと震え出した。


「お、恐ろしい事よ……」


ヴィオレッタも、耳を傾ける。


「お、奥様が、怒らせたのよ、ラングレイ夫人を」

「それは聞いたけれど……」


別のメイドが両手で膝の上のスカートを握りしめた。


「終わりよ、伯爵家は……」

「そんな、言い過ぎじゃない」

「分かってないの!? ラングレイ侯爵夫人よ!? うちとは格が違う……貴族にとって、社交界からの追放は死と同義よ!」

「そ、そうかもしれないけど……私が知りたいのはどうして怒らせたかよ」


そして、ガタガタと震えたままのメイドが、ポツポツと語り出す。


「ああ、奥様ったら何故あんな話題を……、」

「話題?」

「ええ……ラングレイ夫人は、旦那様の不倫について気を病んでいたでしょう?」

「そうね、侯爵家のメイドがよく嘆いていたから、皆知ってることよ」

「そうよね……」


重苦しい空気がながれ、話を聞いていたメイドが何か気付いたかのように血の気を引いた。


「まさか……?」

「そのまさかよ、よりにもよって奥様がラングレイ夫人の前で不倫の話題を持ち出したのよ」

「う、嘘でしょう?」

「しかも、”愛は自由であるべき” だとか ”心の繋がりが大事” だとか、まるで不倫を肯定しているかのような言い方をして……」


皆が一斉に顔を見合わせる。


「私も何とか止めようと、減っていないカップにお茶を入れたりしたんだけど……」


誰かのごくりと唾を飲む音が響く。


「 “実は私にも、想い人がおりますの” なんて、言ったの」


皆の目が大きく開かれて、口々に言い合い始めた。

「奥様、不倫してたの?」「ええ? 知らなかった」「誰と?」「見当もつかないわ」


「私も分からないけれど! それで、ラングレイ夫人の扇子がパチン! って大きく閉じたと思えば……」


臨場感のある話口調に、皆一斉に静まり返る。


「”ベレナール夫人。

貴女の教養の底が、よく見えましたわ。

今すぐ、ここから去りなさい。

二度と、そのお顔を、わたくしの前に見せないで”

……って。一言一句覚えてるわ。まるで地響きのような低く恐ろしい声だったもの」

 

メイドがこの世の終わりかのように嘆けば、皆顔を青くして震え上がった。

ただ一人、静かに話を聞いていたヴィオレッタだけが、これから起こる最高の展開に思いを馳せていた。


 ◇


伯爵邸に到着した途端、ナイジェルは憔悴しきった顔でまたすぐに馬車を走らせた。ラングレイ侯爵に詫びを入れに行くのだと皆が分かっていた。


「お前のせいよ! マルグリット!」


伯爵夫人の部屋からは、殆ど叫び声に似たエレガルの発狂が聞こえていた。


「お、奥様! 申し訳ございませっ……うぅっ!」


屋敷中に、鞭が体に叩きつけられる音、張り倒され地面に倒れる音、悲鳴と怒鳴り声と叫びが響いていた。

使用人達はエレガルの部屋へ一切近付かなかった。

ただ一人、ヴィオレッタ以外は。


「ああ! 申し訳ございません! お許しを!」


パシン! パシン! と乾いた音が聞こえる度に、マルグリットに対するヴィオレッタの恨みが浄化されていく。

同時に、ローズもその酷い折檻を受けていた可能性に胸が痛んだ。


一度落ち着いたようで、エレガルの荒い息遣いと呻き声のようなものが聞こえたかと思えば、扉がガチャリと開いた。


部屋から出てきたのはマルグリッドだ。髪は乱れ、服は破れ、顔も体も赤く腫れて、ところどころから血が滴っている。

あまりにも痛々しいその姿で、視線を床に縫い付けたまま、ふらふらと廊下を進んでいく。


そして、エレガルが呼び鈴を強く何度も鳴らし、叫び声を上げた。


「ノア!!! ヴィオレッタ!!! 直ちに!!!」


「奥様!」


ヴィオレッタは悲痛な面持ちで、エレガルの部屋へ入った。エレガルの銀髪はぐちゃぐちゃに乱れていて、怒りで肩を上下させている姿は狂気そのものであった。


「私、私……奥様が心配でございます! 休んでおられないではないですか!」

「そんな場合じゃないわよ! どうしたら良いって言うの!? なんとかしてよ!!」


エレガルが怒り任せに机の上に置いてあるものをどんどん落としていく。

鏡は割れ、宝石が散らばり、香水瓶が音を立てて中身をぶちまけた。


「……奥様!」


本来であれば許されないのかもしれないが……ヴィオレッタは、ぎゅっとエレガルを抱きしめて止めた。


「奥様……私は奥様を(そそのか)したあの悪魔が許せません」


エレガルは、何も言わずに荒い息を吐き続ける。


「奥様、まずは旦那様のご帰宅を待ちましょう。奥様に一切非はないのですから。

今後の社交界については、私もお力添えします。新たな情報は沢山仕入れていますから、奥様ならすぐにこの状況を立ち直せるでしょう……!」


エレガルがはっとしたようにヴィオレッタを見上げる。ヴィオレッタは瞳から憐れみの涙をこぼして見せた。


「共に舞い戻りましょう。なので今は——」


エレガルの震える手を強く握って続ける。


「あの悪魔……マルグリットをどうにかする事だけ、考えましょう?」


ヴィオレッタの目が鋭く光り、エレガルの表情が憔悴から怒りに変わる。


「ええ、そうよ……そうよ! 私は騙されたの! とにかく、これから侍女は貴女に勤めてもらうわ!」


ヴィオレッタは誰よりも可憐に微笑んだ。

「精一杯、勤めさせていただきます」


それからヴィオレッタはエレガルをベッドに座らせて髪をとく。乱れた髪が整えられた後に、物が散らかった床を簡単に片付けていれば、ドアを三度叩く音が鳴った。


「奥様!」


ノアがやってきたようだ。その表情には分かりやすく気遣わしげな顔を浮かべている。

エレガルが縋るようにノアを見上げれば、ヴィオレッタは空気を読んだ。


「……奥様、私は一度失礼させていただきますね」


そうして、部屋に入るノアと部屋を出るヴィオレッタはすれ違う。

その瞬間——1秒にも満たぬ一瞬の隙に、二人は目を合わせて冷たく笑い合ったのだった。


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