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21. 憎しみか、それとも

ヴィオレッタは朝早くに起きて、新聞をしたためていた。

とびきり綺麗に文字を書き、一番伝えたいことを見出しに大きく書く。少しわざとらしい気もするが、マグリットのような女であれば簡単に騙されるだろう。

作戦通りに上手くいけばこれが最後の新聞になる。


マルグリットの機嫌は過去最高に良い。もちろんエレガルもだ。

流行を抑えた装いに、新鮮なゴシップ。

ラングレイ夫人をおだて、ルードヴィル夫人よりも優位に立つ。二人はヴィオレッタが流す情報をすっかり信じ込んで流されている。


一日の始まりを告げる鐘の音が鳴り、ヴィオレッタはペンを持つ手を止めた。

地獄を見せる布石は打った。あとはいつも通り仕事をこなすだけだ。


 ◇


「男性達は毎日のように狩りに出掛けているけど、何が楽しいのかしらね」

エレガルは心底興味のなさそうに呟いた。


「本当に、です。奥様」

マルグリットは大きく頭を頷かせ、そして続けた。

「しかし、昨日の狩りではラングレイ侯爵が一番大きな獲物をとらえたそうですよ」


「よく知ってるわね、使えるわ」


エレガルが上機嫌に笑えば、マルグリットも共に笑う。

これも昨日、ヴィオレッタが新聞に書いたことだ。

“秘密のゴシップ紙”として渡しているが、なぜ新聞にそんな些細で個人的なことまで書かれているのだろうと、疑問を感じないのか。

ヴィオレッタは嘲笑うかのように、密かに顔を歪めた。


「ああ、今日の昼頃は読書をするから、二人は休んでいるといいわ」

「かしこまりました」


エレガルが使用人に束の間の休憩を与える際は、決まってお気に入りの執事との逢瀬がある時だ。

ヴィオレッタは盛大にため息をつきたくなった。そして、驚く。何故私はため息を?と。

どうでもいいことだ。いや、むしろ最後に二人を破滅させる弱点となり得る。ヴィオレッタにとって得のある事だ。


ヴィオレッタは気を取り直して、エレガルの顔に化粧を施した。



秋の夕暮れは、濃い茜色に染まっていて、美しく屋敷を照らしている。

ヴィオレッタは貰った休憩時間に新聞をあらかた書き終えて、狩りを終えた男性達の情報を手に入れる為に部屋を出た。


いつも通り話を盗み聞いて、それからまた部屋へ戻ろうと廊下を進む。

すると、使われていないはずの部屋から、エレガルがこそこそと外に出て来るのを見かけて身を隠した。


——ふうん、あそこで。


ヴィオレッタはニヤリと笑い、その後に出て来るであろう男を待つ。

さぞ官能的な時間を過ごし、きっとその顔は憑き物が取れたように爽快であろう。

もしかすれば情事の余韻から顔を赤らめているかもしれない。

その表情を見て溜飲を下げたかったし、単純な興味でもあった。


暫くして、ゆっくりとドアノブが回される。

 

男の姿を見た時、ヴィオレッタは困惑の表情を浮かべた。

部屋から出てきた男は、確かに想定していた通りの男——ノアだった。しかし、ノアの表情は、予想に反して曇ったような沈痛な面持ちであった。

 

その様子に気を取られてしまい、はっとして隠れようとした時には、手遅れだった。ノアがヴィオレッタの姿を捉えて、表情は変えずとも呆れたように呟く。


「待ち伏せか」


ヴィオレッタは取り繕うのを諦めて、煽るように言った。


「……奥様が使われていない部屋から出てきたものですから、何か面白いことでもあるのかと思って」


丁寧に礼をすれば、ノアは苛立ちを隠さず大きなため息をつき、そして突然手を掴んで部屋の中へ引き入れた。


「なっ……」


扉がバタンと音を立てて閉まり、そして鍵をかけられる。表情からして随分機嫌が悪そうなノアを煽ったのは間違いだったか。


ヴィオレッタは驚きはしたものの、ノアの鋭い目を見てこれから起こることについて冷静に考えた。脅し、暴力……まさか殺人? いいや、いくら計り知れない男でも、怒りに任せて侯爵邸で殺人を犯すとは考えにくい。

そもそも見つかったのが失敗だった。ヴィオレッタは目に警戒の色を宿す。


「それで、面白いものはあったか?」


壁に追い込まれ、ヴィオレッタはエプロンドレスをゆっくりと掴む。


「ああ、お前は短剣を持ち歩いていたんだったな」


考えていたことが見透かされ、ヴィオレッタの両腕が素早く取られて頭上に押し付けられた。


「……何をするつもりですか」

「分かっていて待ち伏せたはずだ」


「分かりませんね。……私はただ、情けなく頬を赤らめた貴方をひと目見て笑ってやろうと思っただけですから」

「そうか」

 

ノアはそれだけ言って表情を変えぬまま、顔を近づけた。ヴィオレッタは手と足を動かして抵抗を試みるが、強い力で押さえつけられれば女の力では叶わなかった。

 

圧倒的な男の力に顔を歪めたヴィオレッタを見て、ノアがふっと笑う。そしてそのままヴィオレッタの唇を奪った。


「んんん!」

 

ヴィオレッタは驚き、咎めるように声を出す。するとすぐに獲物を捕食するような深いキスになった。


抵抗するように顔を動かすも、手を掴んでいない方の片手でがっちりと顎を固定されてしまい、その強い力に敗北感を与えられる。

角度を変えながら噛み付くように唇を喰われれば、ヴィオレッタの抵抗も虚しく、非難の声が熱い吐息に変わった。


それを聞いたノアはそっと唇を離し、ヴィオレッタの額に、自らの額をぶつける。

 

「情けなく頬を赤らめたのは……」

ノアは勝ち誇った様な表情をヴィオレッタに向けて続けた。

「ヴィオレッタ、お前の方だったようだ」


ヴィオレッタを支配する、炯々とした眼差し。

自分でも、頬が赤くなっているとわかった。そして図星をつかれた事で、さらに顔が熱くなる。


「……これは怒りですよ、ミスター・ノア」


動揺を悟られないよう、静かに声を出す。


「奥様を抱いた後でも、昂るのですか」


ノアの眉が僅かにピクリと動くのを見て、ヴィオレッタは少し調子を取り戻して笑った。


「軽薄なものですね」


掴まれる腕が、痛い。ヴィオレッタの煽りに呼応するように強く、強く力が込められる。


「俺が、軽薄だと?」

「ええ」


軽薄という言葉に、ノアはあからさまに苛立ったようだが、それに反してニヤリと口角が上げられた。


「お前はつまらなく思うだろうが……俺は一度も奥様を抱いていない。そして、口付けすらしていない」

「……口ではなんとでも言えます」

 

「そうだな、分かってもらうには——」


ノアの膝が、ヴィオレッタの足の間に割り込む。

そのままぐっと抑えつけられれば、ヴィオレッタの腰が僅かに震えた。


「行動で示すしかないか」


「……これでは逆効果です」


ヴィオレッタは眉を寄せて鋭く睨みつけるも、脳内がこれ以上は危険だと警告を鳴らす。その強気な仮面は徐々にひび割れ始めていた。


エレガルを抱いていない? 口付けすら?

この男は何を言えば動揺するのか。逆転を狙える糸口を探る。


「ああ、分かりました。奥様を愛しているからこそ、大切にしている、だとか。

だから愛していない人には、こんなことが出来ると——」


言葉を言い終わるよりも前に、ノアは腕を掴む力を緩めて、それからヴィオレッタの体を強く引き込んだ。

その勢いにバランスを崩せば、そのままぐるりと位置を回され、背にあったベッドに覆い被さるようにその身を倒される。

押し付けられた体が小さく跳ね、ヴィオレッタの頬にノアの垂れ下がる黒髪がさらりと掠めた。


「な、何を……!」

「逆だ。ヴィオレッタ。俺はあの人を愛していない」

「何ですって?」


ノアの動揺を狙ったとは言え、そこまで怒るようなことを言っただろうか。

愛していないなどと言ったが、逢瀬を重ね、エレガルは甘い声でその名を呼び、キスを強請っていた。愛し合っている男女のそれではないか。

この男は何をこんなにも激昂しているのか。


「愛するどころか、酷く憎い」

「貴方、それを私に言って、奥様に告げ口されるとは思わないので——」

 

ノアはまたヴィオレッタが言い終わる前に首元へ顔を近づけキスを落とした。まるで、これ以上言葉を紡がせないように。

そのくすぐったさにヴィオレッタは思わず小さな声をあげて、はっと意識を戻して口を噤む。


「ミスター・ノア、何をするつもりですか」

「お前もだ、ヴィオレッタ。俺が憎む相手を慕っていて、その身を捧げていて……不快だ。不快なのに——」


ヴィオレッタの頬を、ノアの冷たい手が覆う。

怒りを孕んだ低い声でヴィオレッタを攻め立てるのに、その目は苦しげに細められ、頬に滑らせる手の動きはまるで慈しむかのように優しい。


「不快なのに、目が離せない。憎しみが俺の欲を掻き立てる。お前の本当の顔を見たいと思う。あの女とは違う」


ノアの瞳には確かに煮えたぎるような熱が浮かんでいた。ヴィオレッタの頬から腹へゆっくりと指をなぞらせる。


——この人は、もしかして……。


ヴィオレッタは、その色欲を誘う手の動きを追い、自らの指を絡ませる。

ノアは、ハッとしたように動きを止め、それから僅かにに距離を離した。


「ミスター・ノア……、一つだけ、聞きたいことがあります」


空気は一転。

ヴィオレッタの声は凛としていて、まっすぐにノアと目を合わせる。ノアがヴィオレッタの瞳から読み取った感情は、疑い、そして、期待だった。


「 ”忘れられた愛人” ローズ……その人物のことを、どう思っていましたか?」

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