14. ラビーヌ姉さん
「リリー様ですね、お待ちしておりました」
生真面目そうな使用人の女性が門の前に立つリリーに頭を下げた。
目の前に聳え立つ大きな屋敷に続く庭を通れば、秋の訪れを告げる風が優しく花々を揺らす光景が見える。
白い大きな扉が開かれ、中に通されると、明るく大きな声が響いた。
「待ってたわ! リリー! 久しぶりね! 元気にしていた?」
桃色の長い髪をふわふわと揺らしながら、リリーをぎゅっと抱きしめる。
甘い香水の香りが懐かしい。かなり背が高く、その豊満な胸がリリーの顔に押し付けられた。
「ラ、ラビーヌ姉さんこそ、元気にしてた?」
人懐っこい笑顔を見せるこの女性は、ローズの友人、ラビーヌ。
ローズと同じく舞台女優で、リリーの先輩に当たる。
そしてここは、ラビーヌのパトロンであるフロラン侯爵が彼女の為だけに建てた邸宅だ。
「さあ! ゆっくりしてって頂戴!」
手を引かれて着いていくと、白を基調とした女性らしい客間に通される。促されるままソファに座れば、その柔らかさにとても上質なものだと言うのが分かった。
「素敵な屋敷ね」
「そうでしょう、そうでしょう! フロラン様が何でも用意してくれるのよ!」
ラビーヌは手を叩いて花の咲くような笑顔を見せる。
その様子を見て微笑ましく思うと同時に、胸が痛んだ。
もし、ナイジェルも同じようにローズに別邸を用意してくれていたら、愛人の立場でもあのような辛い思いをすることはなかったのだろうか、と考えてしまったからだ。
今頃、ラビーヌのように愛に満ちた笑顔で、子どもを抱えながら、リリーを迎えてくれていたかもしれない。
リリーのぎこちない笑顔に気付いたのか、ラビーヌは、少し声を抑えて寄り添うように隣に腰掛けた。
「辛かったわね、リリー。話は聞いているわ」
「ラビーヌ姉さん……」
そして、背中を優しくさすりながら続ける。
「あれからリリーが演劇を辞めたって聞いて、驚いた。もう始める気はないの?」
「ええ、別でやりたい事が見つかったの」
リリーが熱くなる目頭を抑えながらそう言えば、ラビーヌは寂しそうに微笑んだ。
「そう……私もローズも、貴女の歌の腕を買っていたから少し残念だけど……。でも、良かった。前を向けているのね」
リリーはラビーヌに復讐の為に伯爵邸で働いていることを隠している。ただ、素敵な主人に会って侍女を目指しているとだけ伝えていた。
ラビーヌは強く優しい女性だ。
リリーが人生を復讐に捧げていると知れば、必ず止めるだろう。自分の人生を生きて、と諭してくれるに違いない。
背を撫でてくれる優しさと、嘘をついている罪悪感に耐えきれず、涙を一筋流す。するとラビーヌがその雫をそっと拭い取った。
◇
「さ! リリーは何が知りたいの?」
時間が経ち、気持ちが落ち着いた頃。
ラビーヌは元気よくリリーに問うた。
「社交界の噂話や流行についてなの。ラビーヌ姉さんのゴシップは間違い無いでしょう?」
「なるほどね! 任せて。リリーの出世の為に、何でも教えるわ!」
舞台女優は表の社交界には立てない。
どれだけ強力なパトロンを得ても、愛人となって寵愛を賜わろうとも、女優は賎民扱い。
本妻がいる公式の場には絶対に招かれることはない。
でも、裏の社交界では違う。
裏の社交界……高級娼婦や人気女優が自分の館で開くサロンだ。
ここには、窮屈な表の社交界に飽きた一流の政治家、貴族、芸術家、実業家たちが、夜な夜なこぞって集まる。
このサロンでは、本妻と出席する社交界のように堅苦しい儀礼は必要ない。
酒を飲み、煙草を吸い、女と戯れ、際どいジョークを交わす。
その甘美な遊びに酔いしれる男たちは数知れず、沢山の情報を漏らしていく。
そして、女達はそこで得た情報——経済状況や、夫婦仲、不祥事、噂話を上手く扱いながら貴族を食い潰していく。
そうやって自分の地位と財産を確固たるものにするのだ。
その為、ローズはプリマドンナとして本当に異例だった。ただ一人、愛したナイジェルとの将来だけを夢見て、その身を滅ぼした。
ラビーヌはそんなローズと仲が良かったが、彼女自身は舞台女優らしい強かな女であった。
日が暗くなるまで話し続け、帰らなければならぬ時間となった。
そして二人揃って席を立つ瞬間、リリーは強い寂しさを感じた。
伯爵邸は、孤独だ。誰も信用ならない。全員が敵。
人の前で心からの笑顔を浮かべたのは、久しぶりだった。
「後悔してる?」
暗い表情を浮かべるリリーに、ラビーヌは問う。
「ええ……私が助けに行けていたら何か変わったかも知れないって、思うの」
喉をつかえさせながら言うリリーの姿を見て、ラビーヌも悲痛な面持ちで眉を下げた。
「私もよ。ローズの手紙には、確かに救いを求める言葉が隠れていたから……。酷い話よね、最後の一年間は手紙を出すことさえ許されなかったなんて」
「手紙……?」
どうして手紙の存在を知っているのか。リリーはラビーヌの言葉に、顔を見上げる。
「ええ、リリーも受け取ったでしょう? ローズからの手紙。名前は何だったかしら……あの黒髪の若い執事から」
言葉を失っているリリーを見て、ラビーヌは思い出したかのように言った。
「……ああ! そうよね。リリーへの手紙は寮へ届けられているはず。当時の宛先だもの」
そして、思いを馳せるように静かに続ける。
「わざわざ直接、執事が届けてくれてね。
すこし、ローズの話をしたの。とても辛そうな顔をするものだから責めるに責められなかった。
ローズは、伯爵に忘れられてとても酷い扱いを受けていたみたいだけれど……少しは救いもあったのかしら。
手紙にも、あの執事のことを沢山書いていたし」
リリーは未だ、何も言えぬまま。
ラビーヌは俯くリリーの頭ふわりと撫でた。
「リリーも一度帰って見てみるといいわ。きっと沢山あるはずだから。
それと……良ければ、あの執事と話してあげて。リリーに会いたがっていたわ。
よくローズからリリーの話を聞いていたみたい」
「執事……」
ぼんやりと呟くリリーを見て優しく笑い、そして揶揄うように言った。
「ローズの手紙に、貴女を彼に紹介したいって何度も書いてたのよ! そして私も初めて会って、そう思った。何だか二人、気が合いそうって。結構いい男だった! ふふふ!」
そうして、静かにリリーを抱きしめる。
「寂しくなったら、いつでも来ていいのよ、リリー」
「……ありがとう、ラビーヌ姉さん」
リリーは長い間手を振って、ラビーヌと別れた。
伯爵邸へ向かう馬車に揺られながら、考え事をした。
出すことを許されなかった、あの手紙。
それは、リリーがメイド長クララの部屋から見つけ出した、ローズが皆に宛てた手紙のことだろう。
——若い黒髪の執事……ミスター・ノアが、わざわざ自ら出向いて皆に届けた? そして、私に会いたがっていた?
姉の日記に書かれたノアと、ラビーヌが話していたノア。それは、リリーが知るノアと全く違っていてひどく混乱する。
「ミスター・ノア……貴方は一体、何を考えているの?」
みんなの事大好きなのですが、私はラビーヌが一番お気に入りです。




