13. 侍女 マルグリット
部屋に戻ったヴィオレッタは、じっと天井を見つめていた。
長い長い一日だった。
目を閉じて思い浮かぶのは、最愛の姉の二つの姿。
皆が憧れた美しい姉と、儚く散ったボロボロの姉。
眠ることができず日記を開けば、”ノア” という文字が目に浮かぶ。
「優しい、優しいって……優しいわけない。考えれば分かることだった。お姉ちゃんを騙していた敵だった。だって本当に優しければきっとお姉ちゃんを死なせないわ」
昼にエレガルとノアの逢瀬を見たのは、運が良かった。
そのおかげであの状況を逃れられた。
賭けのようなものだったけれど、今日の反応を見るに二人の関係は決してバレてはいけない間柄だと確信できた。
これを明るみに出せば復讐たり得る。二人の大きな弱点だ。
ヴィオレッタは思わず笑った。酷い一日だったけれど収穫も大きい。
“そして約束を違えた場合、俺はお前を殺すことすら厭わない”
忌々しい男の声を反芻させる。
「まだ、殺されるわけにはいかないわ」
覚悟のこもった声で呟き、次のターゲットの名をなぞった。
“侍女 マルグリット”
◇
「ミセス•クララとミスター•クラークは共謀して屋敷の金を横領していたそうよ」
「まあ、それ本当なの?」
「ええ確かよ、しかもそれを見つけたのはミスター•ノアだとか……」
「実の父の横領を見つけるなんて……お可哀想」
ヴィオレッタはメイド達の噂話に耳を傾ける。
もしそれが確かな情報であれば、なるほど、即刻解雇なわけだ。主人の金に手をつけるなんて重罪だ。死刑にはならないだろうが懲役刑は免れない。
だからクララはあんなにも憔悴していたのか。
——あんたのせいで! なんてクララは言っていたけど、全く私のせいではないじゃない。
ヴィオレッタは心の中で悪態をつきながら、エレガルの部屋の扉を叩いた。
「奥様、ドレスの仕立て直しが終わりました」
部屋に通され用意していたドレスを見せると、エレガルは満足げに侍女に受け取らせた。
侍女の目線は、いつもヴィオレッタを鋭く刺している。
嫉妬、不満、焦燥……そんな感情がひしひしと伝わった。
エレガル付きの侍女、マルグリット。次のターゲットとなる女だ。
くすんだ金髪を装飾品で飾り立て、エレガルのお下がりである濃紺のドレスに身を包んでいる。
エレガル以外の全てを見下す様なその態度は、この屋敷の中でもあまり評判が良くない。
マルグリットはヴィオレッタを睨みつけた後に、別人のような、甘く媚びる声を出した。
「奥様、ヴィオレッタが用意したドレスですが、最近の流行ですと、この縁取りはもう少し華やかな方が良いかと……」
伯爵夫人の侍女——その仕事内容は多岐にわたる。
流行を誰よりも早く掴み、主人の髪型からドレス、宝飾の一つに至るまでを管理し、最も美しく飾り立てる。
社交界において”美しさ”とは最も重視される武器であり、権力に直結するものだ。
そして、外出の折も、客を迎える際も、基本的には常に傍らに控え、ともに行動する。
政治と社交界の機微に、常に神経を張り巡らせる。
誰と誰が敵対しているのか。
どの家が没落し、どの家が力を伸ばしているのか。
何気ない噂話を嗅ぎ分け、主人にとって有利になる情報を手に入れ、進言する。
侍女と主人の関係は一蓮托生。
侍女にとって、「主人の地位が上がること」は「自分の地位と屋敷内での発言力が上がること」に直結している。
マルグリットが与えられているのは、エレガルの寝室のすぐ隣の部屋。使用人の中で執事の次に広く、もっとも豪華な一室。
仕立ての良いドレスや宝飾品のお下がりを貰い、高い給金を受け取る。
ヴィオレッタがエレガルに褒められるたび、マルグリットの視線が露骨な敵意を帯びて突き刺すのは、この甘美な地位を、追われるかもしれない焦りからだろう。
マルグリットは、没落貴族から、死に物狂いで這い上がったという。
それはすなわち、彼女にとってこの立場は、自分の能力、努力、価値を裏付けるものであり、命よりも手放したくないであろうことが分かった。
“この縁取りはもう少し派手な方が良いかと”
ヴィオレッタは見当違いな提案をするマルグリットに反論する。
「あの……失礼ながら意見を言わせていただくと、その流行は、今後変わってくると思います。
先日の社交界で女王陛下が縁取りがシンプルなドレスを着ていらっしゃったとお聞きしたので……」
頬に手を当てて控えめに言えば、マルグリットは目を釣り上がらせる。
「それに、奥様は目鼻立ちがはっきりとしている華やかなお美しさをお持ちなので、あえて上品に仕立てた方がさらに際立つかと……」
「そう。ヴィオレッタの意見を聞くわ」
エレガルがぴしゃりと言い付ければ、マルグリットはわかりやすく狼狽える。
「なっ……でも、奥様! 今の流行は!」
エレガルはマルグリットをそのまま無視して、ヴィオレッタの方を向いた。
「貴女、やっぱり仕事のできる子ね」
「お褒めいただき光栄です……、奥様に憧れて伯爵邸に来たので、つい張り切ってしまうのです」
ヴィオレッタが頬を赤らめ嬉しそうに礼をすると、夫人は目を光らせて言った。
「そう、次の社交界のことも調べておきなさい」
「ありがとうございます……!」
マルグリットの突き刺さる憎悪の視線が心地よい。
誰にも気づかれぬように、チラリと見やって口角を釣り上げて見せれば、彼女は目を見開き肩をぴくりと震わせた。
それから怒りのこもった顔で声を上げようと口を開く。
しかし、マルグリットが何かを発する前に、ヴィオレッタは優雅な笑みをエレガルに向けて、それから部屋を後にした。
まず、マルグリットを侍女の座から引き下ろす。
復讐のために欠かせない手だ。
部屋に戻ったヴィオレッタは、蝋燭に火を灯し手紙をしたためた。
「今、何をしているのかしら。ラピーヌ姉さん」




