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12. 交渉

ヴィオレッタがクララに短剣を向ける数十分前。ノアは執務室にて調査記録に再度目を通していた。

 

元々ノアは、クララの過去の不当解雇や理不尽な嫌がらせ、数々の嘘をまとめていた。しかしそれらは長く勤めてきたメイド長という高い立場のクララを解雇に陥れるほどの効力はなかった。

 

もっと何かあるはずだ、とノアが探っていた矢先、昨夜クララが突然ナイジェルの怒りを買ったことで状況が変わった。

降格は確定、謹慎も……と悩むナイジェルにその報告書を渡して、こう言った。


「これはまだ調査中ですが……今回の横領に、メイド長クララが関わっている可能性があります」


ノアの父である執事クラークは、情けない事に長くから屋敷の金に手をつけていて解雇が決まっていた。主人の金に手をつけた使用人は、逮捕だ。つまり親が牢に入れられる事になるのだが、自分が執事の立場に成り上がれるなら良いとしか思わなかった。なぜならこれも、ノアが突き止め密告したからだ。

そしてその件が手伝って、クララも共に解雇となった。

 

しかし、クララが関わった確固たる証拠は得られていなかった。

一旦クララにはただの解雇と伝えてあるが、その憔悴具合を見るに、証拠が出るのは時間の問題だった。

怪しい動きをさせないよう自室に謹慎させ、騎士をつけていた。証拠が出れば荷造りは全て無駄となり、即逮捕だ。


「様子を見るか」


ノアはクララが問題を起こしていないか妙に心配になり、その部屋へ向かった。

廊下の曲がり角を抜けたところで、異変に気づく。

一人で謹慎させている部屋から人の話し声——いや、異様な叫び声がノアの耳を突いた。

付けていたはずの騎士が扉の前に居ない。

胸の奥がざわつき、嫌な予感が背筋を駆け上がった。


扉を強くノックをするも、反応がなくただ叫び声が聞こえているだけ。

ノアはそのまま勢いに任せて扉を押し開けた。

そして、視界に飛び込んできたのは——


床に転がる、ぼろぼろにやつれた女の姿。

そして、鋭い刃を向けるもう一人の女の姿。

今まさに、人殺しが行われようとしている。誰が見ても、そうとしか思えぬ光景だった。


短剣を振り下ろそうとする女の所作は、息を呑むほどに可憐だった。握る指先はしなやかで、動きに無駄がない。背筋を伸ばした立ち姿は、まるで舞台の上の踊り子のようだった。

美しい顔には、酔いしれるような笑み。

そして、その白い頬には大粒の涙が止めどなく流れ続けていた。


「ヴィオレッタ……?」


思わず声を漏らし、そしてはっとその状況を飲み込んだ。見惚れている場合では無い。咄嗟にヴィオレッタの体を力任せに突き飛ばす。

軽い体は勢いのままに吹き飛んで、鈍い音を立てて壁に打ちつけられた。


「何をしている!!」


すぐに駆け寄ろうとするも、彼女は倒れたまま、迷いなく短剣へと手を伸ばした。

ノアは舌打ちし、その手首をもう一度、力いっぱい払う。


——何があった。


事情を聞こうと口を開こうとすれば、ヴィオレッタは自嘲するようにふっと笑い、腕を押さえながらよろよろと身を起した。


そして、彼女はすっと背筋を伸ばし、まるで別人のように、優雅に一礼した。

その姿にノアの視線は全て奪われ、体が動かなくなった。


例えるならばそれは……舞台の幕が下りたあと、役を脱ぎ捨てた役者たちが、観客に感謝を捧げる、あの瞬間。

悪役も、英雄も、すべてを終えて、ただの役者として並ぶ、カーテンコールのような礼だった。


ヴィオレッタは、朗らかな笑顔でノアに笑いかける。

呻き声を上げ続けるクララの方が異様だと思えるほど、自然な笑顔だった。


「それで、どうしますか?」

透き通った声でノアに問う。

「私を捕らえますか? 殺しますか?」

 

響き渡る声は台詞をなぞるように高らかで、よく通る。


「良いですよ。好きなように。……ただ——」

ヴィオレッタはゆっくりと目を細めた。

「もし、今日の貴方達の逢瀬が、旦那様にバレても問題のないものなら、ですけれど」


ノアはびく、と体を震わせた。含みのこもった表情で発された “貴方達の逢瀬” ……それは紛れもなくエレガルとの密会だろう。

いつから気付かれていた? 探るように金の瞳を見る。

その声と表情は、いつもの朗らかさも健気さも無い。ノアが覚えていた違和感そのまま、ただギラギラと牙を向くような瞳だった。


「何がしたい」


ノアは唸るような低い声を出す。

脅されるような事になるとは微塵も思っていなかった。その動揺を怒りに変えた。

 

「ただ私はお互い見なかったことにして、穏便に済ましたいだけです」

「穏便に? 人を殺そうとしたのにか?」


煽るように言えば、彼女は転がるクララを横目で一瞥し、そして今度は声を上げて笑った。


「まさか! 少し怖がらせただけです」

「嘘よ! 私を殺そうとした! 殺そうとしたわ!」


クララが突然声を張り上げた。ヴィオレッタはそれを聞いて、耐えられないかのように吹き出し、また笑い続ける。


「良いではないですか。結局死んでいないのだから!」

「お前……狂っているな」

「ミスター・ノア。主人を裏切る貴方の方が狂っていると思いますが」


ノアは悔しくも、その華奢な娘に底知れぬ恐怖を感じた。

大きな舌打ちをして、思考をまとめようと部屋の様子に目を向ける。

捲れ上がった絨毯。沢山の宝石、散らばった手紙。

そして、その中の一つだけ封を開けられたものが目に入った。『リリー』と書かれた綺麗な文字。ノアははっと顔を上げる。


「お前、何者だ?」

「……何者とは? 伯爵邸で働くただのメイド、ヴィオレッタですが」

 

互いが互いを探るように睨み合う。重い空気が流れていた。

 

「……お前に、例えば姉は……いやしかし、黒髪か」


辿々しく呟くノアの”姉”と言う言葉に、彼女はほんの微かに肩を揺らしたが、言葉を続けることはなかった。


「この手紙はどうした。お前は何を知っている?」

「先ほどから何を言っているのでしょう。私はただ――」


ヴィオレッタは静かに首を傾げて続けた。


「ただ、ミセス・クララに文句の一つでも言ってやろうとここへ来ただけです。

そして偶然隠された収納スペースを見つけ、そこに盗んだと思われる物が沢山あったので咎めたところ、そのまま言い合いになりました。

その勢いのまま少し痛い目を見せてやろうと思っただけです」


スラスラと一息で答えるヴィオレッタを見て、ノアは自分を取り巻く状況を考えた。

確かにこの女は結局のところ人殺しをしていない。

ノアが訴えようが結局は未遂。身分は使用人同士……しかも罪人の可能性がある解雇となった女だ。それを脅しただけでは大した罪にはならない。精々解雇からの、ちょっとした投獄だ。


しかし、エレガルとの逢瀬が明るみに出れば、自分の処罰はそれと比べものにならぬ程重い。

貴族社会において、主人への裏切りは絶対に許されない事なのだ。それに、執事の立場を漸く手に入れた。手放すわけにはいかない。

 

「……分かった。お前の言う通りにしよう。”お互い”なかったことにする」


ノアが選んだのは、彼女の提案通りに全てを無に帰す選択肢だった。

ヴィオレッタは満足そうに微笑んで「そうですか」と答えた。


「ただし——」ノアは彼女をを鋭く睨みつける。

「約束を違えるような怪しい動きを見せた場合、俺はお前を殺すことすら厭わないと覚えておけ」


そうして、ノアは乱暴に扉を開けて、ヴィオレッタを部屋から出るように促した。

ヴィオレッタは短剣を拾い、目も合わさずに外へ向かう。


「ああ、職務を放棄した騎士を咎めないでくださいませ。私が騙しましたので」


それだけ言って、去っていった。


ノアは取り残された部屋で、呻き声をあげ続けるクララを見て大きな舌打ちをした。


ヴィオレッタ、何者だ。

何が彼女の”本当”なのか。

皆に向ける可憐な姿か、全てを隠すような完璧な姿か。

それとも、狂気を孕んだあの笑顔か?

弱みを握ったかと思えばさらなる弱みを握られた。

恐しい女だ。そして憎らしい。

……なのに何故目が離せないのか。何故興味を引かれるのか。美しいからか?


ノアは平行線であろう思考を一度放棄して、大きなため息を吐き、散らばった沢山の手紙を余す事なく拾い上げた。勿論、封が開けられた『リリー』へ宛てた手紙も。


かつての”忘れられた愛人”の言葉を思い出す。


『いつか妹のリリーを紹介したいわ。貴方と気が合うと思うのよ。

しっかりした子なんだけど、意地っ張りで頑固で……でも、情に熱くてとても優しい子なの。気を許した人にだけ、甘えるところが可愛くてね。

勿論容姿は飛び抜けて綺麗なのだけれど、特に美しい白金の髪を見れば、誰もが息を呑むわ。あと、歌がとても上手なのよ』


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