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11. バッドエンド

ノアとエレガルの密会。その衝撃が冷めやらぬまま同日の午後、アンナから手紙の返事が届いた。

ローズの死を悼む痛切な言葉、リリーを案じて慰める言葉が、途切れることなく綴られている。そして、クララの噂も。


『メイド長の部屋には秘密の地下室があると噂です。

予想通り、金に変えられているかもしれませんが、見てみる価値はあるでしょう。』


ヴィオレッタは、黒髪をきつく結い直して背筋を伸ばした。メイド長の部屋へ向かう。

まだ部屋の荷物はまとめきれていないはずだ。

行くなら今しかない。そう思った。


クララの部屋の前には、まるで第三者の侵入や逃亡を防ぐかのように一人の騎士が立っていた。

まるで犯罪者のような扱いだ。どうしたものかと考える。

しばらく様子を伺ったヴィオレッタは、騎士の名前を思い出して、賭けに出た。確か、気が弱そうな新人騎士のセドランだ。

 

「あ、あの! すみません! ミスター・セドラン!」

「こ、これは、ヴィオレッタ……? どうしましたか?」

「東の庭園にて、騎士の方がミスター・セドランをお呼びです! ええと、名は……ああ、急いできたものですから忘れてしまいました、どうしましょう!」


ヴィオレッタは青い顔をしてオロオロと話す。

セドランはその様子を見て、真剣な顔を作った。


「しかし……私はここの持ち場を任されています。クララが逃亡してはなりませんので……」

「ああ、それなら大丈夫です! すぐに代わりの者が来ます。その間、私は外鍵を貰いました。一旦閉じ込めて、代わりを待ちます!」


ヴィオレッタは自分の部屋の鍵をギュッと握りしめながら取り出した。


「そ、そうでしょうか、大丈夫ですか……?」


流石に無理があっただろうか……ヴィオレッタはとにかく押した。

「ええ! きっと、すぐに来られます。ミスター・セドラン! さあ、早く! お急ぎのようでしたから……それこそ、通りすがりの私に頼むほどに……!」


きゅっと、セドランの手の指を小さくつまむように引けば、セドランは少し狼狽えて、それから「わ、分かりました!」と言って立ち去った。


ヴィオレッタは、胸をほっと撫で下ろす。強引だったが、なんとか場を切り抜けた。しかし、長くは続かないだろう。帰ってくるまでに終わらせなければならない。

姿が見えなくなってから扉を開く。鍵は掛かっていなかった。


散らかった部屋に座り込んでいたクララが「ひっ!」と驚いた声を上げる。

やつれた顔に、酷い隈。

昨日に比べて十歳は老け込んでいるように見えた。


「来るな、来るな! 来るな!!」


クララは狂ったように叫んで駆け寄り、ヴィオレッタを外へ押し出すように扉を閉めようとした。


確かに長く働きながら権力を振り翳していたクララにとって、メイド長という座は誇りだったに違いない。

しかしここまで解雇を気に病むとは。ヴィオレッタの想像を超えていた。だから逃亡を防ぐためにわざわざ騎士がついていたのだろうか。

それほどまでに、完全に精神がやられているようだった。


ヴィオレッタは優しく微笑みながら、力任せに押し入って扉の鍵を閉めた。

 

クララが襲いかかるかのような勢いでこちらに手を伸ばしてくるので、負けじとその頬に鋭い平手打ちを喰らわせる。

部屋に発砲音のような高い音が響き渡り、クララはよろめき、唇を噛んだらしく口から血を垂らした。


口頭で説得する時間などない。憔悴具合を見るに、クララがヴィオレッタの行動を誰に訴えようとも、実際に目撃されない限りは皆はクララの妄言だと疑うだろう。

それに、今まで何度も何度も頬を張ってくれたささやかなお返しでもある。

クララは信じられないものを見るように、目を見開き、それから「あ、悪魔!!! 悪魔!!! 出ていきなさい!!!」と騒ぎ立てた。


あまりにも耳障りな声に、抵抗する体を押さえつけて布のテープでクララの口と手を塞ぐ。

 

「黙っていなさい」


今はいつもクララの言う事を怯えるように聞いていた朗らかで気弱なヴィオレッタではない。クララは驚きと恐怖に震えて一旦抵抗を止めたようだった。

 

ヴィオレッタは部屋に敷かれた重い絨毯を捲り上げる。部屋の中央に地下室があるということは、この下だろうか。

捲った絨毯の下の床板には、微かに色の違う木目があった。そこに指をかけると、かたん、と小さな音を立てて取っ手のようなものがせり出し、引けば重い板がふわりと浮いた。


「んんんんん!」

 

その瞬間、少しの間おとなしくしていたクララが、ヴィオレッタを止めようと駆け寄ってくる。


手を縛られ乱心した女に、負けるはずもない。

ヴィオレッタはもう一度大きく腕を振り上げて、クララを打ち倒した。

音を立てて倒れ込む姿に目もくれず、力を込めて床板を持ち上げる。


そこにあったのは、秘密の地下室などでは無かった。

小さな物置のような空間だった。

そしてその中には、無数の宝石と——手紙の束。


ヴィオレッタは、息を呑んだ。


目を奪われたのは沢山の宝石ではない。見覚えのある、美しい文字が書かれた手紙。


震える手で、一通を取る。


そこには知っている名前が並んでいた。

たしかに、姉の筆跡で。

 

『ナイジェル様』

『オペラ座 ラビーヌ』

『アンナ』….


そして、


『リリー』


紛れもなく姉が書いた手紙だった。どうしてここに。

 

ヴィオレッタの喉に焼け付くように痛みが込み上げる。

それを必死に飲み込んで、沢山ある手紙のうちの一つを開ける。

大好きな姉の美しい文字が隙間なく並んでいた。


季節の挨拶。

リリーや他の王立オペラ座の友達の健康を案じた言葉。

自分の今の状況。

ナイジェルのこと。

 

それから、

 

“寂しい” と言う言葉。


ヴィオレッタは——リリーはついに抑えきれず、ぐっと嗚咽を漏らした。

伯爵家に嫁いだローズからの手紙は、最初の方こそこまめに届いていたが、いつの間にかぱったりと来なくなっていた。きっと幸せに溢れていて手紙を書く暇などないのだろう、と思っていた。実際はそうではなかったし、手紙が届かなくなって更に一年経つ頃に姉は死んだわけだが。

 

目頭が燃えるように熱い。

頭がクラクラと揺れて視界が滲む。

ああ、姉は、あれからも沢山の手紙を書いていたという事か。

そしてそれは全てクララに阻止されて、それを知らぬままに、来るはずのない手紙の返事をずっと待ち侘びていたのだろう。


日記に書いていた『手紙の返事は無い』の言葉は、ナイジェルだけに向けたものではなかった。

“寂しい”という言葉を紛れ込ませて、リリー達にも助けを求めていた。


「お姉ちゃん、ごめん、ごめんなさい」


——助けてあげられなかった。


リリーは震える声で呟いた。

大粒の雫が手紙に落ちて、美しい文字を滲ませた。


何度も、何度も、呟く。

今更謝ったって、何の意味もないのに。


すると、視界の端でカタン、と音が立った。そちらへ顔を向ければ、クララが身じろいでいるのが見えた。


——もう、殺してしまおうか。


はっきりと、そう思った。

そんなにローズが憎かったのであれば、無理矢理にでも屋敷を追い出せば良い。ローズには伯爵邸以外にも沢山居場所があった。

わざわざ手紙を隠して、誰の助けも呼ばせないほど痛めつけたかったのか?


スカートを捲り上げ、隠していた短剣を抜いた。

白と金の装飾が施された、美しい短剣。

これは、姫を守る騎士の短剣だ。

鞘を開けば、そこには鋭い銀色の刃が自らの金の瞳を映す。

胸の内が黒く染まる。そこには、憎悪と、使命感が混ざっていた。


「んんん! んんんん!」


異様な雰囲気を察したクララは腰を抜かし、体を引きずるように後ずらせた。


「お姉ちゃんは、ずっと手紙で助けを求めてた……」


リリーはただぼんやりと言葉を重ねながら、一歩、また一歩と追い詰める。


「お姉ちゃん、ごめんなさい。助けに来るのが遅くなっちゃった」


クララは必死に喉を鳴らして叫び続ける。その拍子に、口元につけていた布のテープが外れ始める。

「やめて! 誰か! 誰か助けて!!!」

 

しかし、必死の訴えもリリーには何も届かなかった。

悪者を倒す女騎士になったような気分だった。

そして姉を——姫を助けなきゃ。それだけが頭の名を支配していた。

姉の歌声が聞こえた気がした。まるで舞台だ。

クララの甲高い悲鳴は、観客のスタンディングオベーションだった。


「大丈夫。悪者は私がやっつけるから」


リリーは舞を踊るように、ひらりと腕を高らかに突き上げた。心臓を狙って勢いよく振り落とす。


その時だった。


ガタン!と大きな音が聞こえたかと思えば、横から強い衝撃を受けて、リリーの体が吹き飛んだ。

壁に打ち付けられた衝撃で乾いた咳が漏れ、手から短剣が離れ冷たい金属音が響く。ぐ、と声を出して、よろよろと顔を上げた。


「何をしている!!!」


耳を劈くような鋭い声に、肩を振るわせる。

飛ばされた短剣に手を伸ばせば、その手を強く払われた。


——ああ、失敗した。


リリーは自分の終わりを悟った。

クララを殺せなかった。見つかってしまった。

己を睨みつける黒髪の男が立っていた。

邪魔されてしまった。後一歩だったのに。


——裏切り者のノアが、私たちの邪魔をした。


ふっと笑いが漏れる。焦りはなかった。

リリーを見下ろすノアの姿は、悪者から姫を助けにきた果敢な王子のようだ。

それがハッピーエンドの物語なら、姉を救い出せなかったリリーの物語はバッドエンド。

誰も拍手を贈らないだろう、酷い悲劇だ。


リリーは——ヴィオレッタは、痛む腕を押さえながらよろよろと立つ。

こちらへ駆け寄ろうとする男に、朗らかな微笑みを向けた。

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