10. ノアとエレガルの密会
『クラークの冷たい瞳が忘れられない。
ノアと血が繋がっているだけあって、その鋭い瞳はよく似ている。でも、優しさだけは似ていない。
ノアの中には確かに優しさがある。
だって、彼はいつもひっそりと助けてくれるもの。』
——……
クララは次の日から体調不良と称して姿を見せなくなり、それから三日が経って使用人の解雇と昇進の通達が届いた。
皆がざわめき、ヴィオレッタも驚いた。
せめて降格や謹慎……と思っていたので、まさか解雇になるとは思わなかった。しかしそれだけでは無い。
クララとは別に執事のクラークも解雇となった。そして次の執事の座には、ノアが選ばれた。
ヴィオレッタはクラークと殆ど顔を合わせたことがなかった。復讐の手間が省けたと考えるか、解雇だけなんて生ぬるいと考えるか。
とにかくモヤモヤとした気持ちが残る結果となった。
執事のクラーク。ノアの父親。
ヴィオレッタは姉の日記を思い出す。
ノアへの評価とは違い、その男に対しては見た目通りに冷たい印象だったようだ。
ローズとクラークもあまり関わりがなかったようで、日記の中に直接何かをされた記録はなかった。ただ、常に姉を蔑むような目で見ていたという記載から、姉の知らぬところで手を回していたに違いないと予想していた。
それにしても……ローズの日記には”ノアは優しい男”と何度も何度も綴られている。
他の使用人からの評価も高い。しかし、そこまで絶賛するほどだろうか?
確かに、ナイジェルに会って気を失ってしまった後、わざわざ部屋に運んで寝かせてくれたのはノアだ。
後日、お礼を言ったところ、無愛想な顔で「体には気をつけろ」と言われた。
会えば一言声をかけられる。
それは「今から何の仕事を?」と言う業務的なものや「あまり無理するな」という上司らしいものだ。
それに対してヴィオレッタが答えれば、「そうか」とだけ言われ、そこから会話が弾むことはない。
グスタフに関する注意の時もそうだが、何かと気にかけられていると思う。
しかし、ただの親切ではなさそうだ。
ヴィオレッタを見るノアの目は、優しさというより何かを探るような懐疑的なものを宿していた。
ぼんやりとノアとの関わりを思い出しながら、廊下を歩いていると、その時——
微かに何処かの部屋から漏れる人の声が耳を掠めた。
静かな廊下。足を止めれば、目の前にあるのはエレガルの部屋に繋がる扉があった。
ヴィオレッタは耳を澄ます。
——確かにここから、話し声が。
ただの話し声ならば気にならない。
しかし、低い声と高い声。それは確実に男女の声だった。音が聞こえるだけで、誰と何を話しているのかは全く分からない。
ナイジェルとエレガルだろうか。
ヴィオレッタの探究心が後ろ髪を引く。
——十分。十分間遠くから様子を確認して、何もなければ諦めましょう。
ヴィオレッタは覗き込めば扉がよく見える廊下の曲がり角に身を隠し、注意深く観察した。
ナイジェルとエレガル関係はどんなものか。夫婦仲は良いのだろうか。
扉から出てくる瞬間だけでもその二人の関わりを見たい。込み上げる憎悪を必死に抑えながらその時を待った。
五分以上は経っただろうか。
ドアノブが、ついに動いた。
ヴィオレッタは心臓を跳ね上げらせ、瞬きすら惜しむほどに目を鋭く光らせる。
出てきたのはやはり男——そしてその正体に気付き、驚きのあまり声をあげそうになった。
長身、黒髪、綺麗な顔。
——ミスター・ノア……!?
ナイジェルでは無かった。ヴィオレッタは思わず口に手を当てた。心臓の音が聞こえてしまいそうなほどバクバクと高鳴る。
男女で、密室。かなり怪しいが、今日突然執事に昇格した男だ。エレガルとニ人きりで話す用が全くないとは言えない。それに、中にまだ人がいて……それこそナイジェルがいて三人で話していたと言う可能性もある。
ヴィオレッタは息を潜めて、汗を握った。
「ああ、ノア……」
エレガルの声は、甘い。
名を呼ばれたノアは、人差し指を立てて「静かに」とエレガル夫人に突き出した。
「誰もいないわ」
エレガルがそう呟き、ヴィオレッタは慌てて身を引いた。そして覗くのをやめて完全に姿を隠し、耳へと意識を集中させた。
「お願い、キスはいいでしょう……?」
「奥様、いけません」
微かな声だが、確かにそれを聞いたヴィオレッタは音を立てないようにその場を後にした。
完全に黒だ。
息を切らしながら自室へ戻る。
——まさか、まさかあの男とエレガルが!
確かにエレガルがノアのことを随分と気に入っていることは、周知の事実だった。
その衝撃からか、ヴィオレッタの頭がぐらぐらと揺れて痛くなった。……そして、胸も。
「お姉ちゃんは、男を見る目がないのよ……」
姉が愛した男は姉を捨てた。
姉が信頼を寄せていた男は……姉を裏切った?
あの二人が今日見たまま秘密の恋人同士だとすれば、ノアはローズの裏切り者だった可能性が高い。ローズを死に至らしめたエレガル陣営のスパイ……。
ヴィオレッタは哀れな姉を想って、一粒の涙を溢した。




