プロローグ:新しい使用人
性的な表現があります。
(直接的な行為の描写はありません)
冒頭の文が読める方はこの先も問題なく読めます。
「今日新しい使用人が来るのよ」
豪華なドレスを見に纏ったエレガル・ベレナール伯爵夫人が、若い執事見習いの男を部屋に招き入れながら言った。
扉を開けると、甘い香りが男の鼻をついた。重いカーテンは閉め切られていて、わずかな隙間から春の朝日が差し込んでいる。しかし、朝の爽快さはない。キラキラと飾り立てられたこの部屋からは、夜のような艶かしさを感じる。ここは伯爵邸——伯爵夫人の部屋だ。
「仕立て屋に紹介されてね。腕のいい針子がどうしてもここで働きたいと言っているみたいだから、雇うことにしたわ」
「そうですか、かしこまりました」
重い扉を閉め切ると、そこは完璧な密室だった。
エレガルは男の礼を無視して、天蓋付きのベッドに腰掛けた。
「ねえ、ノア。抱いてちょうだいよ」
甘い声と、誘うような目線。そのままシーツを撫でるように体を預け、結った長い銀の髪を解いた。そして、見下ろすように立つ背の高い男——ノアのシャツを掴む。
「それは、いけません」
端正な顔には冷たさが宿っていて、黒曜石のような目に鋭く射抜かれたらば、エレガルはたちまち頬を紅潮させた。
「良いじゃない。あの人が屋敷を開けて二ヶ月……バレることは無いわ」
一切のしわもないベストを綺麗に着こなし、夜よりも深い黒い髪を乱れなく束ねたノアは、誰にも聞こえぬ程小さく息を吐いて、白い手袋を付けたままエレガルの熱い頬に触れる。
「お望みであれば、私の手で悦くして差し上げます。まだ、今は……」
「いつもそうじゃない。今欲しいのはそうじゃないの……あっ、」
エレガルは不満そうな顔をしながらも、胸元を滑る指の動きに嬌声を上げた。
——……
昼を過ぎる頃。先程まで晴れ上がっていた空は、暗い雲に覆われて大粒の雨が地面を叩いていた。
執事見習いの男——ノアは、エレガルとの密会など無かったかのようにきっちりとモーニングコート着こなしていた。
与えられた執務室の埃一つない机に、整頓された書類の束を置いてサラサラとペンを動かす。
しかし、集中も長くは続かなかった。
水の滴る窓の外をちらと見る。今日この屋敷に来るという、まだ見ぬ使用人の安全を懸念していた。
「この天気……来れるのか」
なんとなく落ち着かなくなり、無機質な執務室に見合わぬ赤い薔薇が刺さった花瓶を見て、水を変えようと椅子を立った。
すると、ドアノッカーの音が遠くから耳を掠め、それからすぐに来客の知らせを受けた。
正面玄関へ赴き、大きく重い扉に手をかける。
ゆっくりと押すように開くと、外の雨音が鮮明に聞こえ始めた。
「どうぞ」
声を掛けると、目の前で白い傘がゆらりと揺れた。
そして丁寧に雨が振り落とされ、現れたその女の姿を見て息を呑む。
重い黒髪が丁寧に結い上げられており、服は装飾のない清潔で簡素な白いワンピース。しかしその地味な格好を凌駕する美貌が彼女には備わっていた。
白い肌にすらりとした鼻、大きな金色の瞳。指の先まで洗練された動きは、使用人志望の平民とは思えぬ所作であった。
「本日よりお世話になります。ヴィオレッタと申します」
朗らかな笑顔とともにこぼれた声は、まるで鈴を転がしたように高く澄んでいた。




