Chapter1-3 ~喪失~
ドスッという鈍い音と共に血液がしたたり落ちる。レイカはエルフィンの声に思わず振り向いたが、その目線にエルフィンは入らなかった。エルフィンの頭部は床に転がり、ほどなくして体もその場に崩れ落ちた。崩れたエルフィンの背後にはもう一人のゼストの仲間が手斧を持って立っていた。レイカを止めようと飛び込んできたエルフィンは、ゼストの仲間に気付かず、奴が放った手斧の標的となった。
レイカの瞳に宿っていた冷徹な殺意は、この瞬間、全てを焼き尽くす絶望の業火へと変わった。彼女の全ての思考、感情、理性が吹き飛んだ。
「………エルフィン」
彼女の口から零れたのは、ただ一人の愛する者の名だけだった。
レイカの背中の虹色の羽根が、狂ったように瞬き、小屋全体を覆うほどの膨大な魔力が爆発した。
「………」
レイカは、男に目線を合わせることすらしない。ただ空間そのものがレイカの意志に呼応した。男は手斧を振り下ろそうとしたその姿勢のまま、足元から急速に、一瞬にして巨大な氷柱と化した。男の体は氷の中に永遠に閉じ込められ、その驚愕に満ちた表情だけがエルフィンを殺めた罪を刻んでいた。
レイカは、崩れ落ちたエルフィンの骸を抱き寄せた。その温かさが急速に失われていく感覚が、レイカの胸を引き裂いた。
「エルフィン…エルフィン…」
セフィラは、この凄惨な光景に、ついに声を上げることもできず、ただ口を覆って震えていた。
その時、小屋の裏から、エデラスの親友である一人の妖精が、震える声で呻いた。
「エデラス…エデラスも…」
レイカが視線を向けると、小屋の裏手の物陰に、エデラスの体もまた横たわっていた。既に冷たくなった彼の背中からも、美しい羽根が、無残に引きちぎられていた。彼が小屋に戻る前に、ゼストの仲間に見つかって殺害されていたのだ。
「エデラスも…」
エデラスの死を伝えた妖精もほどなく動かなくなった。セフィラは絶叫し、血の海に倒れた。
レイカの心は、二人の親愛なる存在の死によって完全に引き裂かれた。彼女の名が持つ「光から零れ落ちた涙」は、今、血と悲哀の光を帯びていた。
レイカの前に残ったのは、命乞いをするゼストただ一人。ゼストは、エルフィンの死と、レイカの恐るべき怒りを見て、完全に理性を失っていた。
レイカはもはや殺意のままにゼストを殺すことなどどうでもよかった。愛する者を次々と失ったことで、彼女の心には憎悪の連鎖を断ち切るという新たなそしてより過酷な決意が生まれた。レイカは、エルフィンの血に濡れた手で、自分の背中の虹色の羽根に触れた。
「…ゼスト」
レイカの声は、風のように静かだった。
「あなたを殺すことは簡単よ。でも、あなたを殺しても、エルフィンも、エデラスも戻らない」
ゼストは、レイカの常軌を逸した静けさに、かえって恐怖を覚えた。
「生きなさい。そして、あなたに、あなたと同じように醜い欲望を持つ全ての人間たちに、知らしめるわ」
レイカは、己の背中から、大きく美しい一対の虹色の羽根を、自らの力で引きちぎった。激痛がレイカの全身を襲い、鮮血が飛び散る。彼女は呻き声一つ上げなかったが、その顔は白磁のように青白くなった。引きちぎった羽根は、レイカの魔力と血を吸い、青い光を放ちながら、一枚はゼストの心臓に、もう一枚は彼の右手に、呪いの魔法として深く突き刺さった。
「私の羽根は、あなた方の命を延ばす薬にはならない。これに触れた全ての人間は、妖精族を、二度と価値のあるものとして見られなくなる。見る度に、私たちが受けた裏切りの痛みに凍える呪いよ」
レイカは、ゼストに呪いをかけ終えると、その場に力尽きて倒れ込んだ。
数時間後、セフィラが意識を取り戻し、泣きながらレイカの傷を手当てした。レイカの背中の傷は深く、羽根を失ったことで彼女の魔力は著しく消耗していたが、光から生まれたその体は、なんとか命を繋いでいた。
エルフィンとエデラスの亡骸は、小屋の近くの静かな土に、他の仲間たちと共に埋葬された。
レイカは、エルフィンの亡骸を前に、静かに立ち尽くしていた。彼女の背中の羽根は失われたが、その青い瞳には以前よりも深い、そして冷酷な覚悟が宿っていた。
「レイカ…私たちの旅は、もう…」
セフィラは嗚咽を堪えながら呟いた。
「終わらないわ、セフィラ」
レイカは静かに答えた。「
エルフィンとエデラスの死は、私に教えてくれた。優しさだけでは、誰も救えない。この世界で生き残るには、血と涙を凍らせて、進むしかない」
レイカは、残されたセフィラと共に、血と絶望が残る小屋を後にした。彼女の旅は、故郷を失った悲哀の旅から、愛する者の死の代償を背負い、冷酷な力を持って世界を救済するという、孤独で過酷な戦いの旅へと、その性質を変えたのだった。




