Chapter1-1 ~醜さと絶望~
レイカたちが妖精の森を脱出して数日、彼らは森の結界の外側を取り巻く、深く冷たい霧の中を歩き続けていた。セフィラは左肩に深手を負ったエルフィンを献身的に看護し、エデラスは周囲を警戒しながら進路を確認している。レイカは先頭を歩き、その青い瞳は故郷を失った悲哀を奥にしまい込み、ただ前だけを見つめていた。
「この霧は、森を壊した魔族の魔力の残滓よ。この濃さ…奴らの侵攻が、広範囲に及んでいることを示しているわ」
セフィラの声が、冷たい霧の中に響く。エルフィンは傷の痛みに耐えながら、静かに頷いた。
「森は、長らくアルストラムと魔族の勢力を隔てる結界の役割を果たしていた。その結界が破られた今、世界は…」
霧を抜けた先、彼らの目に飛び込んできたのは、エルフィンが伝承で教えたアルストラムの姿とはかけ離れた光景だった。
広大な大地には、黒く焼け焦げた痕跡が生々しく残り、以前は豊かな畑や村落があったであろう場所は、ただの瓦礫と化していた。空は厚い黒雲に覆われ、魔族の魔力によって光を遮られ、昼間だというのに薄暗いままだった。
「ひどい…これが、外の世界なの…?」
セフィラは手を口に当てて震えた。
レイカたちの旅の目的は、滅びた故郷の犠牲に報いること。そして、魔族を再び封印するか、滅ぼすこと。そのために、彼らは廃れた街を助けながら、魔族に対抗する術を探すことを決めていた。
レイカたちの最初の目的地、人間の町「スイ」は、既に廃墟と化していた。妖精の森に近隣の町ほど、その被害は甚大だった。瓦礫を避けながら進む一行は、街外れの小さな集落で、数人の人間に遭遇した。彼らは魔族の直接的な攻撃からは逃れたようだったが、空腹と絶望に顔がこけ、目には生気がなかった。彼らの衣服は破れ、腰には錆びた武器を隠し持っている。
人間好きで好奇心旺盛なエデラスが、彼らに向かって声を上げた。
「すみません、旅の者です。食糧を分けていただける場所はありませんか?」
だが、彼らがエデラスの言葉に反応するよりも早く、人々の視線はレイカたちの背中の羽根に釘付けになった。妖精族の羽根が不老不死の薬の原料になるという迷信は、この荒廃した世界で、人々の最後の希望、あるいは絶望的な欲望の対象となっていた。
「妖精の…羽根…」
一人の男が、渇いた声で呟いた。
レイカは表情を変えず、人々の視線を受け止めたが、セフィラは露骨に嫌悪感を露わにした。
「兄様、この者たちの目を見て。まるで獲物を探す獣のようだわ。人間はいつもそう、自分たちの利益のために他者を貶める」
セフィラは、人間の短慮さ、そして妖精の力を狙う伝承を知っており、その警戒心は憎悪に近いものとなっていた。
「セフィラ、大丈夫だよ」
エルフィンはセフィラを制した。
「彼らは飢えているだけだ。人間に限らず、生きている者は希望を失うと、時に醜くく他者に縋ってしまうものだよ」
エルフィンは、痛む肩を押さえながら、人々に穏やかに語りかけた。
「私たちはあなた方を傷つけるつもりはありません。魔族の侵攻で、私たちも故郷を失った。…少しですが、食糧を提供させていただけませんか?」
レイカは、エルフィンの言葉を受け、セフィラが採集していた薬草の中から、栄養価の高い木の実を取り出し差し出した。
レイカが木の実を差し出した瞬間、集団の中から一人の若い男が、隠し持っていたナイフを閃かせ、レイカの虹色の羽根目掛けて飛びかかった。
「妖精の羽根さえあれば!俺たちは生きられるんだ!」
男の目は狂気に満ちていた。
「無礼者!」
セフィラが怒り、男を風の魔法で吹き飛ばそうとする。
しかし、レイカの動きの方が速かった。
レイカは一瞬にして冷気を発生させ、ナイフが届く寸前に男の手首を分厚い氷で凍結させた。男の動きは封じられ、その顔は恐怖に凍りつく。
「動かないで」
レイカの声は彼女の氷のように冷たく、感情が感じられなかった。しかしその瞳の奥には、エルフィンを傷つけ、森を奪った者たちへの憎悪と、この世界で生き残るための冷徹な意志、そして人に魔力を向けることの哀しみが宿っていた。
「これ以上、私たちを獲物のように見るなら、あなただけでなくこの集落全てを私の氷が永遠に閉ざします」
凍りついた男を見て、他の人々は恐怖に怯え、後ずさりした。
エデラスは慌ててレイカと村人の間に割って入った。
「レイカ、殺す必要はない!彼も絶望しているだけだ。ほら、これで許してくれ!」
エデラスは、懐から取り出した僅かな食糧を、地面に置いた。
「大丈夫、最初から殺そうなんて思っていないわ」
レイカは静かに男の手首の氷を解かし、彼を解放した。男はレイカの力の恐ろしさに慄き、その場に崩れ落ちた。
エルフィンは深く息を吐いた。
「レイカ、ありがとう。…僕らは、この荒廃した世界で、魔族だけでなく、人々の絶望とも戦わなければならないみたいだ」
妖精たちは、残りの食糧を地面に残し、人々に背を向けて旅を再開した。セフィラは冷ややかな目で振り返り、エデラスは気まずそうに肩をすくめた。レイカは何も言わず、ただ己の魔法で守るべきものがこれから多くなることを静かに悟っていた。彼らの旅は、魔族の脅威と、人々の醜い欲望との戦いの中で一層厳しさを増していくのだった。




