Chapter2-8 ~異世界転移~
夜が明け、グラディアスは静寂に包まれていた。騎士団の食堂での宴の熱気は消え、残されたのは旅立ちを控えた緊張感だけだった。レイカは淡青色のロングドレスから、再び黒のローブに身を包んでいた。フォートレスの地下深く、厳重に守られた転移魔法陣の間へと向かう。そこには既に、エナ、アラン、エリスが待っていた。彼らの顔には、昨夜の賑やかさはなく、静かで重い決意が宿っていた。
レイカは魔法陣の前に立ち、ゆっくりとエナの方を向いた。
「エナ、一つお願いがあるの」
彼女の声は、いつもと同じく穏やかだが、微かに感情の揺らぎを含んでいた。
「…セフィラのことを、お願いできるかしら。もし、私の不在中に何かあれば、どうか彼女を導き、守ってあげてほしいの」
セフィラは現在もアイビスの療養施設におり、この一連の危機には直接関わっていなかった。しかし、レイカは常に彼女の身を案じていた。エナは、その言葉に小さく頷いた。 「無論だ、レイカ。セフィラはレイカの馴染みであり仲間だ。貴女が戻るまで、我々が全力で彼女を支えよう。安心して任せて行くがいい」
エナの力強い返答に、レイカは初めて、安堵の表情を見せた。アランもエリスも、その言葉に深く頷き、レイカの気持ちを汲み取っていた。
レイカは深く一礼すると、転移魔法陣の中央へと歩みを進めた。彼女が立つと、魔法陣に刻まれた複雑な文様が、淡い光を放ち始める。
「レイカ殿、ご武運を!」
アランが叫んだ。エリスは涙をこらえきれず、小さな声で
「レイカ様…!」
と呟いた。 レイカは、彼らに向かって静かに微笑んだ。それは、昨夜の歌声と同じ、温かさを秘めた笑みだった。
「…行ってきます」
その言葉を最後に、魔法陣の光が瞬時に増幅した。
それは、世界の終わりを思わせるような、凄まじい光と轟音だった。視界を灼くような白い閃光が部屋全体を覆い尽くし、耳をつんざくような激しい爆発音が響き渡る。強烈な魔力の奔流が空間を歪ませ、レイカの身体を包み込んだ。
レイカは、まるで巨大な河川の濁流の中に放り込まれたかのような感覚に襲われた。身体は縦横無尽に引っ張られ、ねじ曲げられ、あらゆる方向から強い圧力を受けるような感覚を得た。目は開いているはずなのに、何も見えない。あるのは、無数の色彩が渦を巻く、混沌とした光の奔流だけだった。意識はまるで細い糸一本で繋がれているかのようで、手放せば、たちまちこの光の渦に飲み込まれてしまいそうだった。
彼女の脳裏には、昨日見たエナの力強い瞳、アランの優しい微笑み、そしてエリスの涙ぐんだ顔が、走馬灯のように駆け巡った。セフィラの笑顔、そしてグラディアスの人々。この世界を救うという、彼女自身の使命。それらすべてが、彼女の意識を繋ぎ止める錨となっていた。胸に抱いた銀色の竪琴が、微かに冷たい感触を伝える。その冷たさが、現実との唯一の接点であるかのようだった。
どれほどの時間が流れたのか。数秒だったのか、それとも数時間だったのか。時間の感覚は完全に麻痺していた。やがて、光と音の奔流が、潮が引くように収束していく。身体を苛んでいた圧力が消え失せ、意識がゆっくりと覚醒していくのを感じた。
一方、グラディアスの転移魔法陣の間では、光が収束した後、そこには何も残されていなかった。魔法陣を刻んでいたはずの石床は、まるで最初から何もなかったかのように滑らかになり、全てが跡形もなく消え去っていた。




