Chapter2-7 ~餞~
異世界転移の決行を明日に控えた夜、グラディアスの騎士団の食堂では、異例の宴が設けられていた。レイカは、アランに押し切られる形で拵えた、例の淡青色のロングドレスに身を包んでいた。普段の黒いローブ姿とは打って変わり、その至高の美しさは、静かに食堂を照らすランプの蝋燭の光の中で際立っていた。その姿を見たアランは、満足そうにグラスを傾け、エナは呆れたような、それでいて少し誇らしげな表情を浮かべた。
「レイカ殿の明日の成功を祈って。そして、彼女の安全な帰還を願って!」
アランが音頭を取り、騎士団員たちは力強くグラスを打ち鳴らした。
この宴は、騎士団長であるエナの計らいだった。彼女は、レイカの決断がどれほど重いものか理解していた。非情な合理的判断を下したエナだが、共に戦い、苦難を共にした仲間として、レイカの心を温かく送り出したかったのだ。
宴は賑やかに進んだが、やがて静寂が訪れた。騎士団員たちの表情は、勇者を送り出す誇りと、永遠の別れになるかもしれないという不安とが交錯していた。
エナはレイカの前に進み出た。
「レイカ。貴女の判断は、この世界の運命を賭けたものだ。我々は、貴女が戻ってくるまでの間、このグラディアスの防壁を決して破らせない。だから、安心して行くがいい」
エナの言葉は短く、力強かった。
エリスは涙ぐみながら、レイカのドレスの袖をそっと握った。
「レイカ様、どうか、無事に。もし、心細くなったら、私の顔を思い出してくださいね」
そして、アランは。
「レイカ殿。貴女は、アルストラムで最も高貴な花だ。その美しさを、貴女の行く世界の人々に見せつけてやりなさい。必ず、戻ってきてください。皆で、貴女の帰還を待ち望んでいる」
彼は、以前のような甘言ではなく、心からの信頼を込めた言葉を贈った。
レイカは、その静かな熱意に応えるように、エリスが贈った銀色の小さな竪琴を取り出し、ゆっくりと立ち上がった。
「…拙い演奏ですが」
そう呟き、レイカは竪琴の弦を爪弾き始めた。
澄み切った銀の竪琴の音色は、食堂の喧騒を瞬時に飲み込み、全ての騎士たちの耳に染み渡った。それは、氷の雫のように冷たく、どこまでも透明でありながら、以前の機械的な音とは違う、かすかな温かさを秘めていた。レイカの感情が、竪琴を通じて初めて外界に流れ出した瞬間だった。そして、竪琴の伴奏に乗り、彼女は、エリスが教えてくれたグラディアスの歌を歌い始めた。
「―――――――♪」
その歌声は、驚くほど美しかった。完璧な音程と、この数日間の交流で手に入れた感情の柔らかな響きが加わり、レイカの冷たい美貌と相まって、騎士たちはまるで、雪の女王が自らの心の内を語っているかのような錯覚に陥った。彼女の歌には、この世界を救いたいという優しさ、そして仲間たちへの感謝の念が込められていた。それは、一世紀にわたる孤独な戦いの中で、レイカが初めて見せた、最も人間らしい感情の表出だった。
歌が終わると、食堂は数秒間、水を打ったように静まり返った。やがて、誰からともなく、割れるような大きな拍手が湧き上がった。皆、レイカの歌声に心を奪われ、そして、彼女の内に秘められた人間性に深く感動していた。
レイカは、わずかに頬を赤らめながら、小さな竪琴を胸に抱き寄せた。この夜の調は、レイカにとって、そして仲間たちにとって、別れと再会を誓う、生涯忘れられない旋律となった。




