24.覇道の黎明
"永劫の殿堂"を辞する直前、ゼルドは一人の女に呼び止められた。
「待ちなさい、黒炎のゼルド」
振り返ると、そこに立っていたのは七大魔将のひとり――“妖織”マルフィーナ・チャム・カーリマ。
黒く艶やかな長髪に、琥珀の瞳が揺れている。
「あなたのこと、気に入ったわ」
唇に微笑を浮かべ、ゆっくりと歩み寄る。
「魔族でありながら人を屠らず、統べようとするなんて……素晴らしい狂気だわ」
「……褒め言葉か、それは」
「ええ。あなたのような男、嫌いじゃない……」
マルフィーナの指先が、彼の胸元に触れた瞬間、魔力が反発しあい、空気が震えた。
「そういうところが、余計にいいのよ」
彼女は楽しげに笑い、唇を寄せた。
「ねぇゼルド……もし次に会う時、あなたがまだその“理想”を捨てていなかったら――」
マルフィーナは耳元で囁くように言った。
「――私の手で、堕とすわ」
ゼルドが返す前に、彼女は背を向け、漆黒の霧に姿を消した。
残ったのは、甘く毒のような香気だけ。
「……厄介な女だ」
数日後。
イシュタルの空には灰のような雲がかかり、遠くで雷鳴が鳴り響いていた。
南方では“朱喰”ラグナーが兵を集め、人間側は八闘剣を中心に再編を始めている。
「好機だな」
“黒曜殿”の最上階。
窓辺に立つゼルドが、低く呟く。
エリスが歩み寄り、恭しく頭を下げた。
「民全員が広場に集結しています」
「……行こう」
ゼルドはマントを翻し、静かに階段を下りていった。
黒曜殿のバルコニーから見下ろすイシュタルの広場。
人間も魔物も入り乱れ、数万の民が息をひそめて見上げていた。
「民よ、聞け!」
その声は大気を震わせ、空気が一瞬で張り詰める。
「魔王軍はこれより本格的な侵攻を開始する。――戦だ。世界は、再び燃え上がろうとしている!」
ざわめきが広がる。
怯え、戸惑い、息を呑む音。
ゼルドは一歩前へ出た。
「だが、恐れるな。この混乱こそが、我らの好機だ! これからは――我ら自身が“秩序”を創る!」
沈黙。
そして、ゼルドの声が天を貫いた。
「ここに宣言する――! 今日より、このイシュタルを中心とし、“イシュタル連邦国家”を創立する!」
瞬間、魔物たちの間に爆ぜるような歓声。
一方、人間たちは言葉を失い、ただ見つめていた。
「戦を操る軍を持ち、国を守り、領を拡げ、富を生む! そして――この手で、すべての民の生活を満たしてやろう!」
ざわめく群衆。
エリスが進み出て、澄んだ声で続けた。
「これより、"イシュタル連邦国家・五大方針"を発表します」
ーー① 軍の常設
魔と人の混成部隊"黒曜軍”を創設。秩序を護る矛とし、都市と民を守る。
ーー② 領地拡大
戦乱の地を平定し、法と秩序によって統べる国を築く。
ーー③ 魔石の確保
魔石を国家資源として統一管理。兵站・経済・魔術の基盤とする。
ーー④ 魔法病院の設立
癒やしと研究を兼ね備えた医院を建設。種族を問わず医療を提供する。
ーー⑤ 国民の生活保障
衣食住を整え、貧困を根絶。首都イシュタルを繁栄の象徴とする。
「魔も人も関係ない!」
ゼルドの声が再び響く。
「飢える者、虐げられた者、すべてこの旗の下に来い! 我らの国に、居場所のない者などいない!」
一瞬の沈黙。
だが、ひとりの少年が拳を突き上げて叫んだ。
「ゼルド様、万歳!」
その声が火種となり、歓声が爆発した。
恐怖は熱狂へ、絶望は希望へと塗り替えられていく。
その時――ゼルドの脳裏に、久方ぶりの声が響いた。
《宿命【無窮の覇道】が貴方を認めました》
《覇者の器として、秘めた真識の力【第三の眼】を解放します》
ゼルドの瞳が淡く光を帯びる。
視界の奥――無数の魔力が流れるのが見えた。
かつては“雰囲気”として感じ取っていたそれが、今や明確な形と色を持って映っている。
赤は激情。青は恐怖。紫は憎悪。白は静穏。
それらすべてが複雑に混じり合い、イシュタルを包んでいた。
――これが、民の“心”か。
演説を終えたゼルドは、静かにバルコニーの奥へ歩いた。
背後から、アリシアが声をかける。
「……本当に、世界を変えるつもりなんですね」
「変える? 違うな」
ゼルドは夜空を見上げ、淡く笑う。
「“正す”だけだ。欲望と権力で腐り切った、この世界を」
アリシアは桃色の髪を靡かせ、彼の背中を見つめる。
「……それが貴方の“欲望”?」
ゼルドはゆっくりと振り返り、アリシアを見た。
「いずれこの炎は、天をも焼くだろう。――焼き尽くした先に何が残るのか、“観察隊長”として見届けろ」
「……ええ。言われなくても、そのつもりよ」
アリシアの魔力の揺らぎは、彼女が抱く疑念と期待を示していた。
「……それと……」
「隊長って言うな!」
夜風が二人の間を抜ける。
下では、歓声がいつまでも鳴り止まなかった。
――ゼルドの覇道、その歩みは、ここから世界を覆い始める。
第1章「魔族ゼルド顕名編」ーー完結。




