21.支配者ゼルドの帰還
その日、イシュタルは、熱気とざわめきに包まれていた。
新参魔族ゼルド、八闘剣カリスを討つーー。
魔物からすれば世紀の大偉業であり、人間には耐え難い英雄の死だった。
「ゼルド様があの"氷牙”カリスを倒したぞ!」
「八闘剣カリスを!?」
「これで人間どもも終わりだ!」
歓声を上げる魔物たち。
通りは浮かれた空気に満ち、酒を掲げ勝利の宴を始める者もいた。
一方で――
人間の民は、誰も声を出せずにいた。
露店の老女が、震える手で祈るように呟く。
「……カリス様が……そんな……」
期待と恐怖。歓喜と絶望。
イシュタルの空気は、まるで煮え立つ鍋のように渦巻いていた。
やがて、街の門が開く。
先頭には、“黒炎軍”の旗を掲げた魔物たち。
その後ろには、鎖につながれた人間兵の列が続いていた。
彼らの衣服は裂け、顔には泥と血。
その姿に、人間たちは顔を背け、魔物たちはどっと笑い声を上げた。
「見ろよ、勇敢な人間兵だ!」
「二度と逆らえねぇように、焼印でも押してやれ!」
罵声、嘲笑、投げつけられる果実。
人間の捕虜は歯を食いしばり、ただ黙って前を歩くしかなかった。
――その時だった。
「やめなさいッ!」
高く、透き通る声が広場に響き渡った。
群衆の視線が一斉に向けられる。
人間兵たちの後ろに、泥まみれの少女が立っていた。
淡い桃色の髪が陽光を受けて揺れ、白い衣が風に翻る。
イシュタル公女――アリシア・エル・フィルディア。
「恥を知りなさい!捕虜を辱めて、何の誇りがあるのです!」
その力強い言葉と姿が、広場のざわめきを呼んだ。
黙していた人間たちが急に声をあげだす。
「……アリシア様……?アリシア様がご無事だ……!」
「生きておられたのか……!」
「公女様が……戻られた……!」
叱責された魔物たちは、アリシアを睨みつけ、滲み寄る。
ーーしかし彼女は一切屈しない。
「彼らは戦った。恐怖を抱き、それでも国を守ろうとした!……それを笑うことが、あなたたちの"勝利”なのですか!」
アリシアの言葉に、人間兵は俯き、民は涙を浮かべた。
希望を失いかけていた人々の胸に、再び光が宿っていく。
「何を生意気な……!」
魔物が彼女に手を伸ばした瞬間。
ーーその空気を、低い声が切り裂いた。
「何事だ」
広場が一瞬で凍りつく。
開かれた門の向こうから、桁違いの魔力が溢れ出る。
誰もが息を呑む中で――ゼルドが現れた。
「一体何の騒ぎだ。この街で秩序を乱すものは――粛清の対象とする」
その言葉に、魔物は一斉に膝をつき、人間の民は凍りつく。
その中でーーアリシアだけが、一歩前に出た。
「あなたが、魔族ゼルドですね」
ゼルドはその場で立ち尽くし、ゆっくりと彼女を見下ろす。
「……砦から連れて来た人間か。俺の名を呼ぶとは……覚悟があるようだな」
数秒の静寂の後、アリシアが答える。
「ええ。覚悟なら、とうに決めました。カリスが後押ししてくれた……」
彼女は震える声を抑え、はっきりと告げた。
「私はイシュタルの"元"公女ーーアリシア・エル・フィルディア……!」
その精悍な眼差しで、ゼルドを真っ直ぐ見据える。
「私は一度イシュタルから逃げた身です。……でも決めた。もう絶対に逃げ出さない。戦場で耳にしたあなたの大義――それが嘘か本当か、民をどう導くのか、しっかりと見届けます」
広場が静まり返る。
ゼルドはしばし沈黙し、やがて小さく息を吐いた。
「……人間は、いつも愚かだ。だが――愚かゆえに、面白い」
彼の唇がわずかに笑みを作る。
「よかろう、アリシア・エル・フィルディア。この都市の未来、目を逸らさずに見届けよ」
ゼルドの言葉に魔物たちがざわめく。
誰もがその真意を測りかねた。
アリシアは、ただその瞳をまっすぐに見返した。
「……あなたの炎が、“破壊”ではなく"秩序”を作るのなら――私は信じてみます」
ゼルドは答えなかった。
ただ、踵を返し、黒炎の軍勢を率いて歩き出す。
その背を、アリシアと民衆が見つめていた。
魔族が支配する都市イシュタルは今――恐怖と希望の狭間に揺れ動いていた。




