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社畜転生 〜魔物と為りて世界を覇す〜  作者: ただの酒呑み
第1章 魔族ゼルド顕名編
19/28

19.矛盾こそ、人である

 ――音が、消えた。


 黒と蒼の界域、両者の境界が溶けて混じり合っていく。

 天も地も、光も影も、もはや区別がつかない。


 やがて、ゆっくりと黒炎が優勢を取り戻した。

 氷の大地がひび割れ、蒼い結晶が音を立てて砕け落ちる。


 漆黒の焔は塊となって、カリスを覆い尽くした。


 ゼルドがゆっくりと歩みを進め、立ち止まる。


「終わりだ、カリス。お前の理想は――美しいだけで脆い」


 カリスは膝をついていた。

 蒼氷の剣は半ばから折れ、片腕を失っている。黒炎に焼かれ、自ら斬り落としたのだろう。


「そんな……カリス様が……」

「八闘剣が……まさかこんなこと……」


 人間たちに絶望が広がった。

 だがカリスの瞳だけは、曇っていない。


「……美しいだけで、脆いか。……その通りだ」

 彼は血を吐きながらも、薄く笑った。


「だが――脆いからこそ、人はそれを守ろうとする」


 ゼルドの眉がわずかに動く。


「……脆さは弱さだ。弱さは支配の対象に過ぎない」


「違う……ゼルド。お前が言う“平等な支配”は、確かに一つの秩序だ」


 カリスはよろめきながら続ける。


「だが、そこに“選ぶ意志”がなければ、それはただの静止した世界だ」


 剣を杖にして、ようやく立ち上がった。


「……正直、お前の言葉に、俺は揺らいだ。恐怖と希望の均衡……それも一つの答えとさえ思った。だがな、均衡のために心を縛るなら――人は、もはや人でなくなる」


 ゼルドは一瞬、沈黙した。

 黒炎の揺らぎが、わずかに弱まる。


「……くだらん理想だ。だが、貴様なりの覚悟は認めよう」


 次の瞬間。カリスは最後の魔力を振り絞り――剣を地に突き立てた。


「……凍てろ、“砦”よ!」


 砦全体が青白く光を放ち、瞬時に氷結する。

 黒炎を拒む透明な氷壁がドーム状に広がり、内部の人々を護る。


 ――そしてカリスは叫んだ。


「兵士たちよ!……俺は黒炎のゼルドに敗れた!……民を率いて即座に退散せよ!一人でも多く救い、生き延びるのだ!」


 状況を飲み込めずにいた兵士たちは、一瞬立ち尽くした後、涙を流し、凍らせながら、走り去っていく。


「貴様……まだそんな余力が――!」


 ゼルドが眉をひそめた。


 カリスは血を吐きながら、空を見上げた。

 その視線は、どこか穏やかだった。


「この砦の民も、兵も……お前が焼くには惜しい。僅かな時間稼ぎだろうが……俺の、最後の義務だ」


「救い、か……。死に際まで矛盾を抱くとは」


 ゼルドの声には、皮肉よりも――わずかな敬意があった。


 カリスは微笑んだ。

「矛盾が人だ。お前のように完璧な怪物には……一生わからん」


「……カリス様ーーッ!」

 遠くから女兵士マチルダの涙声が響く。


 数秒の間を置き……黒炎が再び迸る。


 氷の壁の内側で、人々が祈る声が聞こえた。

 蒼氷が散り、カリスの姿がゆっくりと崩れ去っていく。


 その中で、彼は最後に呟いた。


「……ゼルド。もしお前が、本当に"救い”を望むのなら……その鎖の先に、誰かの笑顔を見つけてくれ」


 黒炎が吹き荒れ、彼の声はそこで途切れた。


 静寂。

 ゼルドはしばし黙してその場に立ち尽くす。

 灰の中で、氷片が光を放ちながら舞っていた。


 やがて彼は背を向け、低く呟いた。


「……見事だったよ。八闘剣カリス」


 ――砦の外。

 氷壁の向こうで、若い女性がその光景を見つめていた。

 桃色の髪、戦火の中でも曇らぬ瞳。


 アリシア・エル・フィルディア。

 砦に匿われていた、イシュタルの公女。

 カリスの護るべき存在だった。


 氷の結晶が頬をかすめ、涙と混じる。

 彼女は唇を噛み、静かに呟いた。


「……あなたが守った人々の中に、私はいます。けれど、私は――あの魔物の言葉も否定し切れない……」


 黒炎が夜を照らす。

 その中心に立つゼルドを見つめながら、アリシアの心に一つの決意が芽生えた。


 ――ならば、この手で確かめよう。彼の“支配”が、本当に救いかどうかを。


 風が止み、砦の夜が静かに終わりを迎えた。

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