16.刻印の戦場
荒野に黒炎の旗が掲げられていた。
ゼルドが魔族に昇格してから初めての戦。標的は辺境の砦――人間たちの小拠点である。
魔族には「戦を起こす権利」が与えられており、周辺の魔物を召集することが出来る。
イシュタルを中心に勢力を広げるには、この砦を落とすことが絶対条件だった。
「集合ーーッ!」
高台に立つゼルドは、眼下に広がる軍勢を見下ろした。
黒炎を纏い、漆黒の翼を広げる姿は、兵たちに絶対の畏怖を植え付ける。
「聞け――これから俺たちは、この砦を灰に変える」
軍勢の胸がぞわりと震えた。
ゼルドはさらに声を張り上げ、黒炎を掲げる。
「だが、ただ勝つだけでは足りぬ!俺が求めるのは"刻印”だ!肉に、骨に、魂にまで、我らの名を焼き付けろ!」
その声は荒野に反響し、魔物も人間も震え上がる。
「勝つまでは徹底的に蹂躙しろ!泣き叫ぶ声を喉の奥から引きずり出せ!絶望を与えろ!それこそが我らの戦だ!」
軍勢は息を呑む。だが、次の瞬間。
「……しかし、勝敗が決した後は殺すな」
ゼルドの声は冷徹に変わった。
「剣を捨て、膝を折った者は生かせ。俺が欲しいのは死骸ではない。恐怖に震え、己の無力を呪い、なお生き延びた敗者だ。
「生き延びた者こそ、俺の"支配"を最も深く刻まれる」
静かに笑みを浮かべる。
その姿は、狂気と理性を兼ね備えた“悪の支配者”そのものだった。
「血と炎で刻め! だが屍ではなく、生きた魂を鎖で繋げ! 死ではなく――“生かされた敗者”をもって覇道を築く!」
軍勢から咆哮が巻き起こった。
恐怖と興奮、残虐と忠誠が入り混じり、兵たちの目が狂気に染まっていく。
数秒後。角笛が鳴り響き、両軍が衝突した。
「突っ込めぇえッ!」
角鬼族の戦士が盾列を粉砕し、人間兵の血と骨を撒き散らす。
戦場にはイシュタルに住む魔物も召集されていた。
「影盾、展開」
冷徹に命じたのは、鳥の姿を持つ魔物――グレンダ。
翼を広げ、槍を閃かせ、影盾の兵が一斉に動いた。
抵抗する人間兵を次々と串刺しにしていく。
「……なんだこいつら!速すぎる!」
「逃げるな。影盾の目からは誰も逃れられない」
そう言って兵の首を刎ね、滴る血を翼で払った。
別の戦列では、岩巨人族の石工長――ザイオンが進軍する。
普段は工匠局を束ねる寡黙な石工。
だが戦場では巨体そのものが兵器だ。
片腕で大岩を引き抜き、人間兵の陣に投げ込む。
砕けた石片が飛礫となり、兵をまとめて押し潰す。
「……だめだ……死ぬ」
「こんなの無理だ……」
戦場は地獄と化した。
血の霧が舞い、肉片が飛び、鉄の響きと悲鳴が渦を巻く。
「もっとだ!壊せ!蹂躙しろ!」
ゼルド自身の隠し切れない破壊衝動――。
それに呼応し、兵たちは狂気に飲まれ、残虐さを増していく。
やがて砦の防衛線は崩壊し、人間軍は総崩れとなった。
剣を投げ捨てる兵が続出し、膝をつく者も現れる。
「降伏すれば生かす!だが抗うなら、その瞬間に灰だ!」
ゼルドの声が戦場を支配した。
「こりゃ俺たちの勝ちですね」
ラグも余裕そうに笑う。
魔物側の圧倒的優勢ーーそう思われた、その時。
突如として戦場に冷気が走る。
炎と血の臭いに満ちていた空気が、一瞬で凍りついた。
「……なに……?」
魔物たちが震え、白い息を吐く。
砦の上に、白銀の鎧を纏う男が立っていた。
蒼氷の剣を構え、その周囲には雪片が舞う。
「……八闘剣……"氷牙"カリス・ウィルバーン……!」
人間兵が歓声を上げ、魔物たちは言葉を失った。
本来、この場に八闘剣がいるはずはなかった。
だがゼルドの黒炎を恐れ、人間軍は急遽、最強の一角を送り込んできたのだ。
ゼルドはゆっくりと翼を広げ、黒炎を纏う。
「……ほう。俺の力を試すには、上等な客人だ」
その顔には狂気と愉悦が入り混じった笑み。
「さあ――氷と炎で、戦場を飾ろうじゃないか」
黒炎と氷牙。二つの異能が、激突しようとしていた。




