10.逆律の剣
ゼルドは初めて魔法を操る敵と相対します。
戦場の喧噪が、遠のいたかのように静まっていた。
対峙するのはただ二人――黒炎を纏う魔王軍の新星ゼルドと、勇者軍の一角、聖騎士団の幹部にして「逆律の剣」を振るうジルベルト。
魔物も人間も、呼吸を忘れたように固唾を飲み、両者の一歩目を待っていた。
「黒翼の魔物……。貴様がこの戦を荒らしている張本人か。本当に黒炎を纏っているとは」
ジルベルトの声は、戦場の空気ごと律するかのように響き渡った。
ーー何故か、人間時代の規律に厳しい上司を思い出し、うんざりする。
俺は翼を広げ、あえて満面の笑みで返した。
「既に俺を知っているか。光栄だな。……だが、人間様よ。俺に挑むには少々、命が惜しくなるぞ?」
ジルベルトは鼻で笑い、巨剣を軽く振るった。
「ならば証明してみせろ。私の“逆律領域”に抗えるのならな」
刹那、空間が軋み、ジルベルトの周囲が歪む。
どこぞの下級魔物が叫んだ。
「そいつには不用意に魔法を使うな!」
他の上級との戦闘を遠目に見ていた。魔法はこの領域内で必ず術者に跳ね返る――それがジルベルトの力。
俺は掌を掲げた。漆黒の焔が渦を巻き、形を得る。
「燃えろ……黒炎」
黒炎が真っ直ぐジルベルトへと延びていく。
逆律領域に触れた瞬間、通常ならば逆流し、俺を呑み込むはずだったその黒炎は、領域全体を包み込み、"燃やし"始めた。
「な……なんだと……!?」
初めて、ジルベルトの瞳が揺らいだ。
逆律の理が、黒炎に焼かれて消し飛んでいる。
秩序そのものを喰らう絶対の炎――それが黒炎だった。
ジルベルトは巨剣を振り抜き、空間を震わせる。
「ならば力で断つ! ――"亜空斬"ッ!」
空間を寸断する斬撃波が発生する。
けたたましい音と共に向かってきたそれを、俺は翼で受け止め、笑みを崩さない。
「いい斬撃だ。だが……俺には届かん」
「"黒炎鎖"」
ーー炎が鎖の形を取り、ジルベルトの巨剣に絡みつく。すると金属は跡形もなく崩れ落ちていく。
「馬鹿な……! 聖剣が……溶ける……!?」
観衆の悲鳴が響いた。
だがジルベルトは怯まない。
脇に刺していた剣を抜き、俺を睨み付ける。
「――まだだ! 私は聖騎士団幹部、ジルベルト! 人間の誇りを示す!」
空気が軋み、逆律領域がさらに拡大する。
地形そのものが軋み、魔物たちが絶叫を上げながら倒れていく。
ゼルドの隊すら、その重圧に膝をつきかけた。
俺は一歩踏み出し、囁いた。
「……悪くない。だが、ジルベルトよ。お前の誇りも……燃やしてやろう」
掌に漆黒の焔を凝縮する。
「"黒炎死槍"」
黒炎が槍の形を成し、空気を裂いた。
それは逆律領域をも突き破り、直進する。
ジルベルトが剣を振り抜く。
「亜空斬!」
斬撃と黒炎が激突し、戦場全体を震わせる。爆音で大地が砕け、空が裂けたかのような衝撃。
数秒後、黒い炎がジルベルトの体を貫いた。
「……ぐあああああっ!」
黒炎がジルベルトを呑み込み、白銀の鎧を、肉体を、そして存在そのものを蝕んでいく。
逆律領域は掻き消え、叫びもすぐに灰に変わった。
消えゆく刹那、ジルベルトは呻くように言葉を漏らした。
「……魔王軍の中に……これほどの……怪物が……いたとは……」
血に濡れた口元から、最後の笑みがこぼれる。
「……面白い……。"八闘剣"でも……貴様を止められるかどうか……」
その言葉を遺し、ジルベルトは灰燼へと変わった。
灰の中に残ったのは、小さな魔力の核。
それは俺の胸へ吸い込まれ、脳裏に声が響く。
《固有能力【史上最強】により、殺害した相手の魔法を会得します》
《ジルベルドの魔法"逆律"を会得》
俺は静かに息を吐き、笑みを浮かべた。
「……なるほど。殺した相手の力を喰らえる、か」
戦場は沈黙していた。
聖騎士団の幹部、ジルベルトを討ったという現実が、誰の理解も追いつかない。
やがて、魔物たちの咆哮が爆発する。
「ゼルド様が……! あのジルベルトを……!」
「黒炎の怪物だ! 救世主だ!」
人間たちは恐怖に駆られ、一斉に後退を始めた。
勝利の女神は、再び魔王軍へと微笑む。
俺は翼を広げ、漆黒の炎を夜空へ放った。
「聞け! この戦場の覇者は俺だ!」
黒炎の柱が天を裂き、戦場全てに刻み付けられた。
黒炎の怪物――ゼルドの名が。
次回、ゼルドの功績が讃えられます。