第5話 情報屋と熊(魔獣)の肉
リゼリアのセーフハウスは実にシンプルだ。
洗面所併設のトイレ付きワンルームの中にはテーブルと椅子が一脚。そして、彼女の寝床である天蓋付きベッドが一つあるだけ。
昨晩、ミミを連れ帰った彼女は寝る前のルーティーンである肌と髪の手入れをした後に就寝。
もちろん、ベッドで。
連れ帰ったミミには予備の毛布を渡して床で寝ろと命じた。
極悪非道な命令かと思われるかもしれないが、スラム暮らしのミミは色々と汚かった。
そんな彼女と共にベッドで寝る、あるいはクソ高いベッドを譲るほど、今のリゼリアはミミを信頼していない。
それでもミミにとっては、毛布一枚だけ貰っただけでもありがたかっただろうが。
「…………」
朝六時、リゼリアの目がパチッと開く。
彼女はどんな状況であろうと、自身が決めた時間に必ず起きる。目覚まし無しで。
身支度を素早く整え、トレードマークである美しい巻き髪を時間たっぷりかけて作り、最後は両脇のホルスターに魔砲を仕込む。
「ん……」
本日も麗しい淑女の装いが完璧にキマったタイミングで、床で寝ていたミミが眠そうな目を擦りながら起き上がった。
「私、少々用事がありますの。貴女はここで待っていなさい」
「……はい」
リゼリアの命令を聞くと、ミミはぽてんと床に寝転んだ。
久々に熟睡できた上、更には気持ちの良い微睡に身を任せる――と言わんばかりの寝顔。
リゼリアはそれを一瞥した後、セーフハウスを出て街の南区へと向かった。
早朝から向かう先は『情報屋』だ。
それも街一番の情報屋。
街の裏事情を仕切るブーニーズから保護を受けるほどの凄腕であり、リゼリア本人も度々世話になる人物。
南区の一番奥にあるボロ屋、入口である引き戸をノック無しで開けた。
「ごめんくださいまし」
ボロ屋の中には『畳』と呼ばれる、この世界では珍しい――恐らく、このボロ屋しか無いであろう床材が敷き詰められている。
ボロ屋の中央には座禅を組むスキンヘッドの男がいて、彼は目を瞑りながら入口に背を向けていた。
「おや、淑女の君じゃないか」
男の名はサトー。
年齢不詳、出身地不明、名前も本名なのか偽名なのかも不明。
彼がこの街に現れたのは五年前。それ以前に関する情報は誰も知らない。
謎に包まれた男は振り返りもせず、ただ口に小さな笑みを浮かべて彼女に応えた。
「知りたいことがありますの」
「言ってごらん」
リゼリアに「サトーの評価ってどう?」と問うたならば、彼女は「好きな男」と答えるだろう。
男女としての好意を向けた好き、ではなく。
いつも話が早くて無駄がないからだ。
「ミミという少女について」
リゼリアはミミに関する情報をサトーへ語る。
名前、スラムに住んでいたこと、両親はどちらもいないこと。
たったそれだけの情報であるが、サトーにとっては十分だった。
「見てみよう」
サトーはそう言って集中力を高めていく。
すると、彼の体が複数の円形魔術式で囲われた。
彼を囲む円形魔術式はゆっくりと回転。それが十分ほど続いたところで、彼の周囲から魔術式が消える。
続けて、彼は近くにあった紙に筆で文字を書き始めた。
書き終えると、彼は背を向けたままの状態で自身の横へスッと紙を置く。
置かれた紙は緩やかな風に乗り、リゼリアの近くまで運ばれていった。
「可哀想な子だ」
彼の感想を聞きつつも、リゼリアは紙に手を伸ばす。
紙にはミミがこれまで歩んできた人生が簡潔に書かれていた。
年齢から親の名前、両親が存命の時はどんな暮らしをしていたかさえ。
「……なるほど」
ミミに関する情報へ目を通すと、リゼリアはその場で紙をクシャクシャにして握り潰す。
そして、魔術で小さな火を生み出して紙を燃やしてしまった。
「助かりましたわ」
「いいや、構わないよ。君の頼みだからね」
サトーの言葉には「他の連中とは違う」という信頼の色が強く乗っていた。
「優しくしてあげたまえ。きっと君の役に立つ」
「そこまで見えましたの?」
リゼリアがそう問うと、彼の両手の平にある目がギョロッと動く。
「ああ、見えたよ。実に面白い景色がね」
「そう。貴方の忠告は聞くに限りますからね。感謝致しますわ」
リゼリアは胸の谷間から金貨十枚を取り出す。
それを入口にそっと置き、彼女はボロ屋を後にした。
ガラガラと引き戸が閉まったあと、サトーは小さく笑う。
「まさしく地獄だ」
――謎の情報屋、サトー。
全てを見通す瞳を持つと言われる男は、どんな景色を見たのだろうか?
◇ ◇
同日昼前、リゼリアはミミを連れて街の外にある森へ向かった。
この森は基本的に誰も寄り付かない。木材を欲する木こりさえも。
理由は森の中に凶悪な魔獣が棲みついているからだ。
森に入るならば、最低でも中堅クラスの傭兵を十人は用意したい。
できれば、二十人所帯の傭兵団を丸々連れて行きたい――と、評価を下される場所だ。
そんな森に二人っきりで侵入したわけだが、森の中を歩くリゼリアの足取りは実に軽かった。
ミミも森の危険性を耳にしていたものの、彼女の足取りが軽すぎるせいかまるで危機感がない。
森の半分に到達したところで、リゼリアはここを訪れた目的を語りだす。
「今日は貴女のポテンシャルを見ましょう」
「ポテンシャル、ですか?」
「ええ。はい、これ」
リゼリアは依然とボロを纏うミミにナイフを握らせた。
「ナイフの使い方はわかりまして?」
「……こう、振るんですよね?」
ナイフを握るミミは小さく横へ振る。
しかし、それを見たリゼリアは「いいえ」と人差し指を振った。
「斬ることにも使えますけど、貴女のような半人前が使うなら突くことに限定なさい」
斬るのではなく、突け。
ただその一点に使い方を限定しろ、と彼女は教える。
「そのナイフを持って、あの穴へ入りなさい」
リゼリアが指差したのは、すぐ近くにあった洞窟だ。
彼女はナイフを握り締め、洞窟の奥まで行って来いと言う。
奥まで行ったら戻って来い、と。
「……? わかりました」
これがどう「ポテンシャルを見る」に繋がるのか、ミミは理解できないようで首を傾げる。
頭の上に疑問符を浮かべるようなリアクションのまま、彼女は洞窟の中へと進入して行き――
「うわああああ!」
「グオオオオッ!!」
数分後、ミミは巨大な熊の魔獣に追いかけられながら飛び出してきた。
リゼリアが指定した洞窟は、赤い毛並みを持つ巨大熊魔獣――レッドグリズリーの巣だったようだ。
「リ、リゼッ、リゼッリアッ、さまッ! た、たすけ――」
必死に逃げるミミ。
それに対し、リゼリアは横倒しになった木に座って笑みを浮かべる。
「ミミ、その魔獣を殺しなさい」
「え、ええ~!?」
殺せと命じられ困惑するミミの頭上にレッドグリズリーの大きな手が迫る。
小さな彼女を叩き潰さんとする一撃だったが、ミミは素早いステップでそれを躱した。
「貴女、ナイフを持っているでしょう? それで魔獣を殺しなさい」
リラックスした声音で指示を出すリゼリア。
彼女の声にレッドグリズリーが気付くも、足を組みながら座る彼女の姿を見た瞬間に顔を逸らした。
どうやら野生の勘で「あれはヤバイ」と感じたらしく、目の前でちょこまかと逃げるミミに集中しはじめた。
「ほら! 避けて突く! 避けてナイフで首元を突きますのよ!」
「~~~!!」
ミミの身体能力は実に素晴らしかった。
二倍以上も大きな体躯を持つレッドグリズリーの攻撃を難無く躱す。
掠ることすらない。
その動きは以前に評価したものと同様、鍛え抜かれた獣人以上の身体能力だ。
リゼリアが「見込みアリ」と言ったように、戦う上で最大の武器になり得る才能でもあった。
だが……。
「う、うう~!」
魔獣の攻撃は躱せるが、その先が出ない。
レッドグリズリーの大振りを躱し、弱点である首元が隙だらけになっていたとしても、ミミは握ったナイフを軽く振ることすらできない。
「…………」
その姿を鋭い目つきで観察するリゼリア。
彼女はどう感じているのだろうか? 何を思っているのだろうか?
その後、十数分ほど殺しもしない、殺されもしない状況が続くと――
「もう結構ですわ」
リゼリアが魔砲を抜く。
片手で握ったそれで魔獣の頭を綺麗にぶち抜き、ミミの前でズシンと地面に沈んだ。
「ミミ、どうして殺せませんでしたの?」
魔砲をホルスターに収めたリゼリアはミミに近寄り、彼女を見下ろしながら問う。
「…………」
一方、ミミは俯きながら体を小さく振るわせる。
「答えなさい、ミミ」
リゼリアがじっと見下ろし続けると、遂にミミは口を開いた。
「こ、怖かったからです……」
「怖かった?」
「は、はい……」
彼女は魔獣の攻撃を完璧に避けていた。
小さな体には傷一つないし、掠ってもいないし、避ける動作には余裕すらあった。
なのに、彼女は怖かったと言う。
「今も怖いのかしら?」
リゼリアは死体となった魔獣を手で示す。
「……ちょっと」
「そう」
何かを確信したかのように、リゼリアは小さく頷いた。
「今日はここまでにしましょう」
リゼリアはミミからナイフを回収し、魔獣の死体へと近寄っていく。
「リ、リゼっ、リゼリア様は……。ボ、ボクに失望しましたか?」
ミミは怯えた表情を見せながら、彼女の背中に問う。
「いいえ。まだしておりませんわ」
彼女は魔獣を解体しながら答えると、ミミの顔には若干ながら安堵の色が浮かんだ。
ただ、彼女の言った「まだ」の部分に引っ掛かっているのだろう。
完全に安堵しきれていないミミはその場で小さく縮こまってしまった。
「ミミ、そんなところで縮こまっていないで。周りから木の枝を集めて頂戴」
「え、枝ですか?」
「ええ」
言われるがままに枝を集めてくると、リゼリアは枝を組んで火をつけた。
森の中で焚火が始まると、彼女はナイフで木の枝を研ぎ始める。
串のような状態にした枝に魔獣の肉を刺し、豪快に焚火で焼き始めたのだ。
そして、よく焼けた肉を手に――胸元から塩の入った小瓶を取り出して振りかけた。
「はい、どうぞ」
「え?」
「食べなさい。お腹が減っているでしょう?」
言われて、ミミのお腹がぐぎゅ~と鳴る。
「今日はよく頑張りました。ご褒美に熊肉を好きなだけ食べさせてあげますわ」
「ありがとうございます……」
少々困惑しながら肉に齧り付くミミ。
「どう? 美味しいかしら?」
自分用の肉を焼きながら問うリゼリアに対し、ミミは歪みそうになる表情を精一杯堪えながらぎこちない笑顔を浮かべる。
「か、硬くて臭いです」
正直に肉の感想を言った。




