第2話 リゼリアという少女
リゼリアが生まれた国はサフィリア王国という大陸東部の大国だった。
王国三侯爵家のうちの一つである、カーマイン侯爵家の長女として生まれた彼女だが――彼女の幼少期は『普通』とは言い難い状況であった。
何故か? その理由はカーマイン侯爵家の役割にある。
カーマイン侯爵家は王家直属の殺し屋だ。
正式には『王家のナイフ』と呼称されていたが、やっていることは殺し屋にかわりない。
王家が邪魔だと判断した者、秘密裏に始末したい者、または敵国の誰かを殺す――などなど。そういった役割を全うし、信頼と実績を積み上げて侯爵位を賜った歴史ある家だ。
当主であるリゼリアの父――ゼノン・カーマインも殺し屋として育てられた男であり、三十後半に差し掛かると後継者作りに動き出す。
彼は結婚という選択肢は取らず、優秀な女性に対価を払って子供を産んでもらうという手段で後継者を作ろうとしていた。
リゼリアの母となったのは、サフィリア王国でも五指に入る魔術師の女性だ。
ゼノンは優秀な魔術師の遺伝子を子供に継がせたいと考え、王家に協力してもらいながら彼女を選んだ。
その結果、生まれたのがリゼリアというわけなのだが――
「私は男を望んでいたのだ。女は後継者に相応しくない」
ゼノンは自分と同じく男に家と技術を継承したがっていたため、リゼリアは生まれた瞬間から『用無し』の烙印を押されてしまう。
精々、どこかの家と縁を繋ぐための道具としか見られていなかった。
リゼリアは生まれた直後から若い侍女に世話され、屋敷の中で静かな幼少期を過ごしていたのだが……。
状況が変わったのは、リゼリアが八歳になった頃だ。
「試しに撃ってみろ」
何の気まぐれか、あるいは自分の遺伝子がどれだけ子に受け継がれるのかと興味を抱いたのか。
よく晴れた日の午後、ゼノンは娘であるリゼリアに『魔砲』を握らせた。
魔砲――二十年前に有名な錬金術師が開発した魔術兵器であり、魔術刻印を施した『魔術シェル』と、それを込める『魔砲』本体があれば誰でも魔術師になれる代物だ。
この頃にはどの国にも普及しつつあった次世代兵器であり、大陸内各国の軍事レベルを数段押し上げたと言われるほどの発明品。
そこまで讃えられる理由は、ズバリ簡単だから。
従来の魔術は魔力で魔術式を具現化させることによって発動する。
これには一定の技術を要し、魔術師としての才能も必要だ。
国防における魔術師隊を結成するには金も育成時間も必要だが、魔砲は必要な物が揃ってさえいればトリガーを引くだけで魔術を発動させる。
実に簡単。
トリガーを引くだけで相手のミソをぶちまけることが可能な大発明である。
「あの的を狙え」
ゼノンがリゼリアに渡した魔砲は当時主流であったライフル型だ。
長いバレルは魔術の軌道を安定化させ、内部機構に二発の魔術シェルを予め込めておけるというメリットを持つ。
ただ、八歳の子供――それもリゼリアのような小さくて細い女児が使用するには大きさ的にも難しい。
命じたゼノンはそれを考慮しているのだろうか? それとも、自分の子供ならばこれくらいはという考えがあってのことだろうか?
どちらにせよ、リゼリアはゼノンを驚愕させた。
彼が示した小さな的が発射された炎の弾で蒸発したからだ。
「…………」
これには冷徹な当主と使用人達から陰口を叩かれるゼノンも驚きだ。
まぐれかと思ったのか、残る二つの的も続けて撃ち抜けと命じる。
バス、バスッ!
独特な発射音と共に蒸発する二つの的。
それを見届けたゼノンは不格好に魔砲を構えるリゼリアを睨みつけた。
「お前が女でなければ」
才能アリ。
これほど見事に父親の才能が受け継がれることなどあるのか? と誰もが驚くくらい。
リゼリアが男として生まれていたら、ゼノンは狂喜乱舞していたかもしれない。
だが、彼自身が漏らした通り彼女は女だ。
女は後継者として認めないと言っていたゼノンだったが――リゼリアの才能は捨てるに惜しいと考えを改めたようだ。
数日後、ゼノンは娘に殺し屋としての訓練を行うようになったからだ。
「構えた時、体の重心をズラすな」
魔砲の基礎的な扱い方、理想的な撃ち方、魔術シェルの構築方法、メンテナンス方法。魔砲を使用した戦闘方法を全てを彼女に教えた。
彼女はそれを完璧に学び、自分のモノにする。
「戦いは魔砲だけではない。接近戦になることもあれば、直接魔術を使用しなければいけない状況もあり得る」
素手による近接戦闘。ナイフや剣を使用した戦闘術、投げ技、蹴り技といった体術。
道具を使用せず、純粋な魔術師としての魔術行使も。
それら全て、リゼリアはゼノンから学び、吸収していく。
彼女は一を聞き、十を会得する。
天才だ。
リゼリアという少女は性別を除き、まさしくゼノンの欲した後継者の理想形だった。
しかし、リゼリア本人の視点ではどうだっただろう?
「お父様と過ごす時間が増えたのは嬉しいけど、訓練が大変すぎるわ。訓練が休みの日は貴族としてのマナーや礼儀の勉強もありますし……」
「そうですね。でも、それは旦那様がリゼ様に期待してらっしゃるからですよ」
毎日の訓練が終わった後、彼女は大好きな侍女――ミーネにたっぷり甘えていた。
夜になれば彼女のマッサージを受け、慰めるように何度も頭を撫でてもらい、寝る時も一緒に寝てとせがむくらい懐いている。
「おやつも禁止と言うのよ? 飲み物はお水だけだし、ご飯も硬いパンばかり……」
課された食事制限も訓練の一つなのだが、これまで『縁繋ぎの道具』として生きてきた彼女にとっては窮屈だったろう。
「……旦那様には秘密ですよ?」
ミーネがポケットから取り出したのは、使用人達が食べているクッキーだ。
貴族が嗜む高級菓子とはほど遠い、使用人達が休憩の合間に作った簡単なクッキーだったが、それでもリゼリアは目を輝かせた。
「ありがとう!」
「ふふ。お嬢様、一緒に頑張りましょうね」
パクパクとクッキーを食べるリゼリアを彼女は後ろから抱きしめた。
「頑張れば、きっとお嬢様は幸せになれます」
毎日が辛い訓練と抑圧された日常の繰り返し。
それをこなしてこれたのも、優しい侍女が傍にいたから。
「世界一幸せな、素敵な淑女になれますよ」
姉代わりとなる彼女がいてくれたから。
「私が幸せになっても、ミーネは一緒にいてくれる?」
「もちろんです。ずっと、ずぅぅっと一緒にいますよ」
「ふふ。嬉しい」
天使のような笑顔を見せるリゼリアを間近で見たせいか、ミーネの瞳が若干ながら潤んでしまう。
「可愛いお嬢様……。ちゅき」
ミーネは愛くるしい彼女をぎゅっと抱きしめ、今日もリゼリアに抱きしめられながら眠りについた。
――しかし、リゼリアにとって決定的となった日が訪れる。
「お、お父様? 今、なんと……」
「殺せと言ったのだ」
この日、ゼノンはいつも通り彼女に魔砲を握らせた。
そして、的として指差したのは――手を縛られ、目隠し状態にされたリゼリアの侍女ミーネだったのだ。
「か、彼女は……!」
「そうだ。お前が懐いている使用人だ。あれを殺せ」
「ど、どうして」
握る魔砲をカタカタと震わせながらリゼリアは問う。
「必要だからだ。お前がこの家を継ぐため、お前が王家のナイフとして生きていくため。王家のために人生を捧げる人間となるために必要だからだ」
ゼノンは彼女に冷徹な視線を向け、言い切った。
「お前には才能がある。私の後継者として相応しい。だが、余計な感情は不要だ」
父はリゼリアに『人形になれ』と命じる。
感情を捨て、欲を捨て、愛を捨て、王家と国の繁栄を支える人形になれ、と。
「私もそうして育てられた。これは通過儀礼だ」
これが伝統あるカーマインの生き方。やり方。
「で、でも……」
それでもリゼリアは躊躇う。
父に嫌われることになろうとも、自分に優しくしてくれた、姉のように慕う彼女を殺すことはできないと。
「できんか」
ゼノンは涙を流すリゼリアから魔砲を奪い取る。
そして、奪い取った魔砲でミーネを撃ち殺した。
「あ……」
地面に倒れるミーネの姿を見つめるリゼリア。
ゼノンは彼女の腕を掴むと、死体の前へ連れていく。
「よく見ろ。これが人の死体だ。人は死ぬとこうなる」
よく目に焼き付けておけ、と。
「お前はこれから何人も人を殺すだろう。何故なら王家の邪魔をする者を全て殺すことが私達カーマイン家の役割であり、お前の生きる意味だからだ」
今すぐに慣れろ、と。
「明日は別の者を用意する。お前が殺せるようになるまで続けよう」
死体の前で茫然とするリゼリアの背中に言葉を叩きつけ、ゼノンは屋敷へと戻っていく。
「…………」
ただ一人、その場に残ったリゼリアはずっとミーネの死体を見つめていた。
次第に彼女の目からは涙が溢れ出す。
それから何分、何十分経っただろうか?
「……ふふ」
リゼリアは涙を流したまま、笑った。
「そう。そうね。分かっていますわ」
彼女は何も喋らない死体の前で何度も頷く。
「約束よ。約束しますわ、ミーネ」
――彼女には才能がある。
そして、頭も良い。
「お父様、先日は申し訳ありませんでした。命令通り、今日は人を殺します」
先日と打って変わって、彼女は感情の乗っていない声で父親の命令を遂行すると宣言する。
「ですが、屋敷の使用人は止めましょう。また一から雇うのも手間がかかりますし、新人を教育するのも非効率的です」
今朝、自分に新しく宛がわれた使用人は手際が悪かったと主張。
「ほう。ならば、誰を殺す?」
「罪人にしましょう。罪人ならば殺す価値もありましょう。カーマイン家の訓練に使うと言えば、司法省も喜んで寄越してくれるはずです」
処刑の手間も省けるし、何より『王国のため』という大義名分ができる。
「カーマイン家は王家に仕えるナイフ。ならば、私達は正義の執行者でなければならないと考えました」
王家のために殺しを遂行するならば、その殺しも正義でなければならない。
この時、リゼリアは徹底した王家の正義を語ってみせる。
「……気に入った。いいだろう」
ゼノンは娘の案が気に入ったというよりも、娘の語る王家への崇拝と神聖に同意したように見える。
リゼリアの提案は受け入れられ、彼女は用意された罪人を容赦なく殺した。
「よろしい。次のステップだ」
「はい、お父様」
侍女ミーネの死以降、彼女は父の教えに一切逆らわない。疑問に思う素振りすら見せない。
「明日は仕事にお前を連れていく。実戦だ」
「はい、お父様」
無表情に。命令に背かず。父の理想とする姿を以て。
彼女は父親が理想形とする継承者、王家のナイフと称されるに相応しい『人形』への階段を登っていく。
「よくやった。次はお前ひとりで仕事を完遂してみろ」
「はい、お父様」
……本当に?
いいや、違う。
彼女はこの男から全てを吸収するまで、理想とする姿を演じ続けたのだ。
想ってもいない王家への崇拝を吐きながら。
「リゼリア。お前を私の後継者として正式に認める」
彼女は遂に後継者として認められ、カーマイン侯爵家の跡継ぎとして正式に王家からも認められた。
「よくやった、我が娘よ」
「はい、お父様」
――彼女が事を起こしたのは、跡継ぎとして認められてから二年後。
この頃、サフィリア王国と他国の間で戦争が勃発。
当然ながらリゼリアも戦争に参加することになったのだが、状況はサフィリア王国敗戦濃厚となっていた。
ただ、リゼリアにとっては好機でもあった。
「貴様! 気が狂ったか!?」
「いいえ、お父様。私、ずぅっとこの日を待ち望んでいましたのよ?」
戦況は王都決戦に迫る中、屋敷に戻ったリゼリアは父親に魔砲を向けた。
「私を殺すのか!? お前を育ててやった私を!?」
「ええ。そうよ? 育てたお人形さんに殺される気分はどうかしら? ああ、私は最高にハッピーでしてよ?」
リゼリアはトリガーを引く。
見事な早撃ちはゼノンの四肢を撃ち抜き、彼は絨毯の上に沈んだ。
「貴様……! 私が死ねば、この家は……! 私も、王家も、国も裏切るのか!?」
血を流し、口の端には泡を溜めて叫ぶゼノン。
激痛に耐えながらも叫ぶ姿は、さすが王家のナイフとして勤めてきた男と言えよう。
しかし、この状況が全てだ。
自分が育てた娘は自分をとっくに越えている。
早撃ちに対応できなかったのがその証拠だ。
「王家のナイフ? 国の行く末? 家の繁栄? どれもクソ食らえですわ。人形遊びに付き合わされたこちらの身にもなってほしいですわね」
リゼリアの口元に三日月が浮かぶ。
もはや、幼少期の愛らしい笑みはなく。
代わりにその笑みは邪悪さに満ちた悪魔のよう。
「私が興味あるのは貴方をどう殺すか、ですのよ? ずぅっと昔からそう」
「昔から、だと?」
「ええ。貴方があの子を殺してからずっと」
あの日、彼女の死体を見つめながら思考を巡らせた。
彼女の優しさに報いるにはどうすればいいのか。
どうしたら彼女の奪われた尊厳を取り戻せるのか。
「ずっと、ずぅっと。貴方を殺すために、私は貴方を糧としましたの」
毎日、どうやれば殺せるか考えた。
毎日、学びながら相手の弱点を探った。
毎日、人形を演じながら隙を窺ってきた。
己を更なる高みへ昇華させるため、戦争までも糧とした。
抑圧と殺意に満ちた幼少期、自身のクオリティを上げるための戦争を経て、淑女へと至った彼女は遂に自身の欲望を解放する。
「あの子に伝えて下さいます? 時間は掛かったけれど、貴女の尊厳は取り戻したと」
リゼリアは発射口を父の額に押し付け――トリガーを躊躇いなく引いた。
額を撃ち抜かれたゼノンは絶命し、その顔を見下ろす彼女は美しく、気品を爆発させながら「んふっ」と笑う。
「お父様ってこんなにも弱かったのね。もっと早くに殺せばよかった」
握っていた魔砲を投げ捨て、彼女は自分の育った家から去っていく。
「さて、どこに行こうかしら?」
この日を以て、彼女は自由の身となった。
後に『貴族狩り』『黒き悪魔』『死神令嬢』などと囁かれる一人の淑女が、大陸に解き放たれた瞬間だ。