第18話 見習い侍女ミミ お金の使い道
リゼリアから報酬を渡されたミミは街を当てもなく歩いていた。
「……どうしよう」
ポケットの中にある金貨を一枚取り出し、ムムムと眉間に皺を寄せながら睨みつける。
ミミとしては、初めて手にした『金貨』という物に戸惑いもあるのだろう。
彼女だってお金そのものを初めて手にしたというわけじゃない。
スラム時代には銅貨を保有していたことだってあるし、銀貨を手にしたこともある。
「銅貨だったら屋台のお肉を食べようって思うんだけど」
街の南区にある屋台通り、そこで売られている串焼き肉一本の値段は銅貨三枚。
その程度の金額なら「お腹を満たして終わり」となる。
銀貨だったら「三日は食べられるな」と考え、少し節約しようという気になって終わる。
だが、金貨は別だ。
金貨一枚あればお腹いっぱいになるまで毎日三食食べても三週間以上は持つ。
ミミが考える『贅沢な毎日』を過ごしても二週間は持つだろう。
「……それが十枚も」
リゼリアは一気に使うな、とは言っていないが、好きに使えと言われたのも困ってしまう理由の一つか。
いや、この問題の結論としては『ミミが世界を知らなさすぎる』ということに尽きる。
毎日生きるために腹を満たす、という当たり前の行動が出来なかったが故に。
「服を買うのも違う。お財布を買う? ……必要性を感じないし」
服はリゼリアが着るように命じたメイド服で十分。
財布もスカート裏のポケットに仕舞えば十分。
「あっ、お菓子」
甘い匂いに釣られて顔を向けるが、屋台で売られる商品を見ても「なんか違う」となってしまう。
歩いている途中で寝具を売る商会を見つけて、ガラス窓越しに中を覗くも……。
「毛布もベッドもリゼリア様が買ってくれたし」
彼女がスラム時代に欲しかった物はほとんど生活必需品だった。
それらは既にリゼリアが用意してくれているので、ある意味でミミは満たされている状態と言えよう。
「う~ん……。昔はお金があったらどうしようっていつも考えていたのになぁ」
そう呟いたところで彼女はハッとなる。
「こんな悩めるのもリゼリア様のおかげだよね」
彼女が自分にしてくれたこと、彼女が自分に言ってくれたことを思い出しているのか、ミミは金貨を指で撫でながら嬉しそうに笑う。
自身を支配していたトラウマと恐怖を克服し、前へ進むためのチャンスをくれた。
母親との約束を守るため、金貨では買えない貴重な知識と経験を与えてくれる。
「リゼリア様みたいになりたい。そのためにお金を使おうかな?」
憧れの存在に近付くため、自分が理想とする人物に近付くためにお金を使う。
「うん、そうしよう!」
それを口にした瞬間、彼女の中でピタッとはまったようだ。
「……いや、でも何すればいいんだろう?」
ただ、また始まりに戻ってしまう。
リゼリアのような存在へ近付くためには、金貨を消費して何を買えばいいのか? 何をすればいいのか?
堂々巡りの思考迷路に足を踏み入れそうになった時――
「オラッ! 今日の稼ぎを寄越せってんだよッ!」
彼女の耳に懐かしくもあるセリフが飛び込んできた。
声がするのは近くの裏路地だ。
声がした裏路地に向かうと、そこにはかつてのミミと同じ境遇を生きる少女二人が男三人に恫喝されていた。
「や、やめてよ!」
ボロを着て、顔も体も汚れている。髪だって何週間も洗っていないせいで固まった状態だ。
彼女達も普段はスリや盗みを続けながら必死に生へしがみつく生活を送っているのだろう。
そして、そんな少女達を利用し、食い物にしようとする男達も過去にミミへ殴る蹴るの暴行を加えていた者達と同じ種類の人間だ。
「これは私達が盗ってきた――いたっ!」
「うるせえ! ガキは俺達の言う通りにしてりゃいいんだ!」
男達は少女二人を壁に押し飛ばし、倒れたところに蹴りを入れる。
少女達は体を丸めて必死に耐える。
「…………」
今のミミは昔の自分を客観的に見ているような気分だったろう。
そして、同時に思ったはずだ。
『ああ、ボクはリゼリア様に出会えたから』
変わる機会を得た。
人生を変えるチャンスに巡り合えた。
じゃあ、今目の前で暴行されている少女達はどうなんだ?
「ボクは……」
ミミは握る金貨へ視線を落とす。
この金貨は自分が前へ進めた証拠だ。
リゼリアという存在と出会えた証拠であり、人生を変えるきっかけをくれた人から貰ったモノだ。
「…………」
彼女は金貨をポケットにしまうと、代わりに愛用のナイフを握った。
「やめて」
ナイフを握ったミミは裏路地へと入り、男達を制止する。
「ああ? なんだぁ、ガキ!」
「おいおい、上等な服着てるじゃねえか。どこかのお屋敷に仕えるメイドか?」
「金持ってんじゃねえか!?」
男達はミミの姿を見て、恰好の獲物だと判断した様子。
彼らの視線はミミが握るナイフに向けられるも、まだ少女である彼女は大した脅威ではないと思ったのだろう。
大間違いだ。
「はははっ! お嬢ちゃん、痛い目にあいたきゅ?」
裏路地の入口に立っていたはずのミミが消えたかと思ったら、男の視界は勝手に斜めを向いてしまった。
何故か?
首を刈られ、彼の頭部が宙を舞い始めたからだ。
ミミは先頭にいた男の首を刈りつつ、隙間をすり抜けて男達の背後へ回り込む。
「なっ!? ど、どこに――ギッ!?」
二人目の背中に飛びつき、背後から首にナイフを突き刺す。
突き刺したナイフをわざと捻じりながら抜き、横にいた男の目に向かって血を飛散させる。
「うわっ! クソッ!?」
目に仲間の血を浴びた男は慌てて持っていたナイフを振り回す。
ミミに近付かれまいとガムシャラに腕を振るうが……。
「――――」
彼女は男の前にいない。
上だ。
壁を蹴りながら登り、男の頭上を既にとっている。
逆手に持ったナイフで狙いをつけ、そのまま落下してくるミミは――まるで木の上から獲物を狙っていた獣のよう。
「ギッ!」
脳天にナイフが突き刺さった男が地面に倒れると、ミミはナイフを抜いて血を払った。
そして、自分の服を丁寧に確認していく。
「……付いちゃった」
前回のように血まみれにはなっていないものの、スカートとエプロンには血が付着している。
「もっと早く動かないとかぁ」
リゼリアに言われた通り、彼女は反省と改善のイメージトレーニングをその場で始めてしまう。
腕を組みながらムムムと唸っていると……。
「あ、あの……」
声をかけてきたのは、兎獣人の少女だ。
「あ、大丈夫?」
声をかけられたことでハッとしたミミは少女達に顔を向ける。
「う、うん……。あの、誰……? どうして助けてくれたの?」
兎獣人の少女はミミに心当たりがなく、自分達を助けてくれた理由も分からないだろう。
ただ、片方の少女――ヒューマンの少女はミミを警戒するように睨みつけていたが。
「ボクも昔、二人みたいな生活していたんだよね」
ミミは「えへへ」と笑いながら言う。
「……昔はってことは、今は違うんだよね? なに? 私達を憐れんで助けてやろうとでも思ったの?」
ミミを睨みつけていたヒューマンの少女は「余計なお世話だ」と文句を言う。
「うーん……。可哀想だと思ったのは本当。昔の自分を見てるみたいだったことも」
ミミは正直に語っていく。
「ボクはとある人に助けられたからさ。ボクもその人みたいに助けることが出来るかなって思って」
「はぁ? 助ける? これが?」
対し、ヒューマンの少女は鼻で笑った。
「あんたが殺した奴ら、誰だか知ってるの? スラムで一番大きなグループの人達だよ? 私達が関わってるってバレたら、私達が殺されるわよっ!」
逆に怒る少女の言葉を聞き、ミミは「ええー!」と言いながら耳と尻尾をピンと立てた。
「どうすんのよ!?」
「どうしよう」
ションボリしてしまうミミだったが、途中で良い事を思いついたのか再び耳と尻尾がピンと立つ。
「そのグループで一番偉い人って誰!?」
「え? カロッツって男だけど……」
カロッツという男は最近になってスラムの支配権を獲得した男だ。
ミミがスラムで暮らしていた頃にお山の大将を気取っていた男を殺し、取って代わった新しい支配者である。
このようにトップの移り変わりが激しいのもスラムの特徴と言えよう。
「そっか! じゃあ、今から殺せばいいね!」
ミミは「それで問題解決じゃん!」と笑顔を見せる。
彼女もなかなかに淑女らしい考え方をするようになってきた。
これも教育の成果だろうか。
「こ、殺すって……」
「え、ええーっ!?」
少女達は驚き、ミミを止めようとするも……。
「大丈夫じゃないかなぁ? リゼリア様より強い人がいるとは思えないし」
大丈夫、大丈夫とミミは繰り返すだけ。
「案内してくれる?」
「う、うん……」
ミミに促され、少女達はカロッツが支配するエリアへ向かった。
進むにつれて「らしい」連中が増えていき、道を堂々と歩くミミとおどおどと進む少女二人に注目が集まる。
ただ、彼らからすれば異質にも見えただろう。
スラムの中でも特に危険なエリアを三人の少女が歩いている状況。
更に先頭を行くメイド服の少女はあまりにも堂々と歩きすぎている。
あれはカモなのか否か。
ただ、学のない連中は代わりに培った危険察知能力が機能するものだ。
『あれは危険だ』
手を出そうとしたところで自然と体が止まる。それに従って手を引く。
自分達がここまで生き残れてきた理由を自覚する瞬間でもあっただろう。
――スラムを進むこと三十分程度。
遂にミミはカロッツの元へ辿り着いた。
「あのー、おじさんがカロッツって人?」
「ああ? ガキが何の用だ?」
顔や体にタトゥーが入りまくった細マッチョの男。
彼はトレーニング用のダンベルを片手に持ちながらミミと対峙する。
彼としては、なめたマネをすればダンベルでミミを撲殺してやろうと考えていたに違いない。
「えーっと……」
逆にミミは対峙したものの、どう説明すればよいのか悩んでいた。
言葉で上手く説明できないなー、と悩んだ彼女はリゼリアから教わったことを思い出す。
『ミミ、殺したいほど気に食わない者がいたらこうしなさい』
そう言われて教わったことを実践する。
ミミは中指を立てた手をカロッツに向け、こう言うのだ。
「くたばれ、ビッチ」
「あ?」
言われた瞬間、カロッツは一瞬だけ思考が停止した。
「クソガキッ!」
だが、すぐに我に返るとダンベルを持った手を振り上げた――のだが。
「ん?」
ヒュンと鋭い風が喉元を通り過ぎた。
次は喉元に強烈な熱が襲い掛かる。
違和感を察知したカロッツは喉元を手で触ると……。
「あれ……?」
その手にはべったりと赤い血が付着していたのだ。
赤く染まった手を見て、また正面に視線を戻す。
その時にはもう、ミミの姿は消えていた。
◇ ◇
数時間後、ムーンライトのエントランスにて。
「リゼリア様ー!」
既に到着して待っていたリゼリアの元に、血まみれのエプロンを装着したままのミミが手を振りながらやって来る。
「見て! 見て下さい! 返り血を浴びる量が減りました!」
笑顔を浮かべるミミは血まみれになったエプロンを引っ張りながらリゼリアに見せる。
「まぁ……。それは良かったですわね。しかし、貴女どこへ行っていましたの?」
「スラムに行ってました!」
ミミはそこで五十人の男女を始末した、と明かす。
「……なかなか大冒険をしてきたみたいですわね」
「えへへ」
リゼリアは苦笑いを浮かべるも、ミミは嬉しそうに笑顔を見せ続ける。
そんな彼女の頭を撫でると、リゼリアは彼女と共にスイートルームへと向かった。
「ところで、金貨はどうしまして?」
部屋に到着すると、リゼリアが思い出したかのように問うた。
「全部使いました!」
「まぁ。どんな使い方をしましたの?」
「スラムの子達にご飯を食べさせてあげました」
ニコニコと笑顔で言うミミは随分と満足そうだ。
「そう。貴女は? 欲しい物か何かは買えまして?」
「え? いや、ボクは買ってないです」
金貨十枚、その全てをスラムの子供達に捧げたという。
「……そう。貴女はそれで満足していますの?」
「はいっ!」
後悔など全く見えない、輝かしい笑顔。
「まぁ、貴女のお金ですもの。私も好きに使いなさいと言いましたしね」
それを見たリゼリアも遂には観念したようだ。
「自分の買い物を我慢したわけではないのね? 残りのお金も必要でして?」
残りの金で自分が欲しい物を買いたいんじゃないか? と問うも、ミミは首を横に振る。
「貴女は随分と無欲ですわね。欲しい物も、したいこともございませんの?」
「う~ん……」
問われたミミはしばし考え、チラチラとリゼリアの顔を窺う。
「どうしましたの? やっぱり欲しい物がございますの?」
「……欲しい物というか、お願いがあります」
「お願い? 言ってみなさい?」
「……今夜、リゼリア様と一緒に寝たいです」
ミミはリゼリアの表情を窺うように。まるでお菓子をねだる子供のように、可愛らしいお願いを口にした。
それを聞いたリゼリアは一瞬だけ呆気にとられるも、すぐに慈愛に満ちた笑みを浮かべて。
「ふふ。しょうがない子ね」
この日、ミミは母親に似た温もりを感じながら眠りについた。
「ムニャ……。リゼリアしゃま……」
漏れる寝言から察するに、見ている夢も幸せいっぱいだっただろう。
――余談だが、翌日になってクッツワルドの裏業界に衝撃が走った。
なんとスラム最大の犯罪者グループ全員が死体になって発見されたという話が瞬く間に駆け巡ったのだ。
全員揃って首を刈られ、積み上げられるように放置されていたところを同じくスラムの住人が発見したという。
しかし、何故かグループのボスであるカロッツの死体だけは足を広げた状態で逆さ吊りになっており、股の間に切断された頭部がわざわざ固定されていた。
これは何か明確なメッセージがあるんじゃないか? と一部では噂になっているらしい。




