第11話 少女を縛るトラウマ
種馬王子殺しから数日後、リゼリアとミミは森の中にいた。
以前訪れた時と同様、ミミの訓練を行っているのだが……。
「ふぅ、ふぅ……!」
相手は前回と同様に熊の魔物。
ミミは完璧に魔物の攻撃を躱す。魔物の攻撃が掠ることもない。
攻撃を躱し続け、絶好の反撃タイミングが訪れる。
「―――ッ!」
だが、やはり彼女は反撃できない。
買ってもらったばかりのナイフを振るえない。
「もう結構」
前回と同じだ。
リゼリアが魔物の頭部を撃って強制的に終わらせる。
「ミミ」
彼女は丸太に座ったまま彼女をじっと見つめる。
「貴女、何を恐れていますの?」
この質問はミミにとって核心を突く質問だったろう。
「あ、う……」
「貴女はナイフを持てば勇気を抱く、と自分で仰っていましたわね?」
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくても結構。今、貴女が抱く気持ちを吐き出しなさい」
リゼリアは真剣な表情で言い、ミミはその視線にビクリと肩を震わせる。
体は縮こまり、耳と尻尾がへにょんと垂れる中、ミミはポツポツと語りだす。
「……どうしても、お母さんが死んでしまった時のことを思い出します」
――数年前までミミは母親と共に暮らしていた。
父親を戦争で失った母子家庭。
決して裕福とは言えず、一日一日を過ごすだけで精一杯な経済状況。
しかし、それでもミミと母親は幸せだった……と、彼女は語る。
「でも、ボク達の生活は、あの男が現れて一変しました……」
ミミと母親の生活に終止符を打ったのは、革命軍の幹部――ダイナス・シュトームという男だった。
革命戦争が終結した直後、彼は失った兵力を回復させようと各街で徴兵活動を行っていたのだが、頭の中には『獣人を多く徴兵する』という考えがあった。
平凡な獣人であっても他の種族より身体能力は高く、戦争で白兵戦になった際には獣人の身体能力は驚異的な武器となり得る。
そこに魔砲をくっつければ機動力のある魔砲歩兵部隊の完成だ。
革命戦争を経て、その重要性に気付いたダイナスは理想の部隊を作ろうと計画していた。
それ故に『ミミ』は目をつけられてしまった。
「だ、誰かがボクのことを話したらしくて……。あの男はボクの家までやってきました」
ミミの家を訪れたダイナスは、母親に子供を寄越せと強要。
当然ながら母親は了承できない。特に戦争で夫を失ったばかりなら猶更だ。
「ボクは強制的に連れて行かれそうになったんですが、お母さんが助けてくれて……」
ミミが連れて行かれそうになった時、母親は近くにあったナイフを手に彼女を救った。
彼女の一撃はダイナスの腕に深い一撃を入れ、その場に十分な混乱をもたらす。
「勇敢なお母様ですわね」
「はい……」
我が子を守ろうと戦う母の姿は、彼女にとって勇気の象徴だ。
自分を守ろうとした母が握るナイフは勇気を示す象徴だ。
「でも、お母さんは……」
ミミの目にじわりと涙が浮かぶ。
「お母さんは、お母さんは……。刺されちゃって……」
我が子を取り返そうと戦った母は、揉み合いとなった際に腹を刺されてしまった。
それでもミミの腕を引っ張りながら外に飛び出し、ミミを抱きしめながらその場から逃げ出した。
追いかけてくる革命軍の兵士を撒き、ようやく一息つける時がきた。
しかし、ミミの母も限界を迎えようとしていたのだ。
「雨の中、裏路地に辿り着いて……。お母さんがその場に倒れちゃって……! それでもお母さんはボクを撫でてくれて……!」
雨が降り注ぐ中、腹から血を流す母は最愛の娘に微笑む。
『生きて……。貴女だけは、生きて……。約束よ……』
そう言って、彼女の母は死んだ。
冷たい雨に晒される中、裏路地で息絶えた。
「怖い……!」
彼女にとって、ナイフとは母の勇気を象徴するものだ。
革命軍という圧倒的な相手に対して屈しなかった強者の象徴。
しかし、同時に母の死を連想させるトラウマでもある。
「どうしても、あの時のことを思い出します……。お母さんの体から力が抜けていくあの瞬間が……!」
勇気の象徴である武器を手に、屈しなかったが故に傷を負った。
自分を守ったが故に母は死んだ。
「ボクだってわかっているんです! 戦わないと生きていけない世の中だって! あの時のお母さんみたいに勇気を出さなきゃいけないんだって! だから、ボクはリゼリア様に教わりたかった!」
大粒の涙を流しながら、ミミは訴えるように叫ぶ。
「でも、ボクは弱いから! ボクはリゼリア様みたいに強くないからっ! 勇気を出しても死んじゃうかもしれないっ!」
ミミの告白を静かに聞いていたリゼリアは、表情を崩さず「そう」と呟いた。
「貴女は戦うことよりも、約束を破ってしまうことが怖いのね。約束を破った自分を想像して、ずっと怯えながら生きていたのでしょう?」
「…………」
ミミは涙を拭いながら頷く。
「貴女は恐怖に支配されてしまっていますわ」
リゼリアは立ち上がり、泣き続けるミミを見下ろす。
だが、リゼリアの目にはミミに対する落胆の色は無かった。
◇ ◇
ミミの告白から一日が経過。
リゼリアとミミの間には若干の気まずさが――いや、これはミミが勝手に思い込んでいるだけだろう。
自分に失望したと思い込んでいるミミの言動はぎこちなく、あれからずっとリゼリアの表情を窺っていた。
「……はぁ」
リゼリアがどこかへ出かけてから、セーフハウスで待機するミミはため息ばかり。
買ってもらったナイフを前にため息を連発していると――
「ミミ、依頼が入りました」
セーフハウスに帰って来たリゼリアは、床下に隠してあった刻印済みの魔術シェル等を準備。
依頼遂行の準備を進める中、ミミに次のターゲットを明かす。
「次のターゲットはダイナス・シュトームですわ」
「え?」
ターゲットの名を聞いた瞬間、ミミの体が固まった。
「貴女のお母様を殺した男を殺しに行きます」
準備を終えたリゼリアは「早く行きましょう」とセーフハウスのドアへ向かう。
だが、それでもミミの体は動かない。
「どうしましたの?」
「あ、う……」
今、ミミの脳内では強烈なトラウマが蘇っているに違いない。
ナイフを握り、魔獣を攻撃しようとする時以上に――母親が死ぬまでの記憶が鮮明に蘇り、何度も何度もリピート再生されていることだろう。
「ミミ」
リゼリアに名を呼ばれ、悪夢の底から意識が戻ったかのようにハッとする。
ミミの体は震え続け、彼女を見つめるミミの目は怯えきってしまっていた。
「貴女、そこでガタガタ震えているだけですの?」
「あ、う……」
リゼリアはドアノブに手を伸ばす。
ミミは足が竦んで動かない。
「……そう。でしたら、貴女とはここまでですわね。スラムへおかえりなさい」
リゼリアはドアノブを捻る。
「あっあっ!」
出て行こうとするリゼリアの背中に焦りの表情を見せるミミ。
彼女の息は荒くなっていき、次第に顔は汗まみれになっていく。
「ボクは……! ボ、ボクも行きますっ!」
汗と涙でグシャグシャになった顔で、彼女は大きな一歩を踏み出した。
その一歩を踏み出す靴音を聞いたリゼリアは、振り返らず嬉しそうな笑みを見せる。
「よろしい。行きましょう」
リゼリアは振り返らずに外へ出た。
その横には唇を噛みしめ、必死に食らい付く見習い侍女の姿。
少女は自分を縛る恐怖の元凶がいる街へと向かっていった。




