1. 女主人として尊重してくだされば、あなたが何をしていようと私は気にしません。
最愛の婚約者を亡くした。
それでも家の為にどうしても、結婚はしなくてはならない。
だから、自分の言う条件を飲まざるを得ない家を探した。
条件、それは、僕に夫としての愛を求めないこと。跡継ぎを産むこと。
妻となるクラーラのビーラー家は、一昨年、領地が災害に見舞われ借金を重ねていた。そこに付け込む形で婚約を成立させた。
借金の肩代わりと、今後の領地運営の資金の提供を約束した。
クラーラとは、式の当日まで一度も顔を合わせることもしなかった。万が一にも、結婚生活に期待を持たせたくなかったからだ。
亡くなった彼女を、レナータを忘れられない。子どもの頃に一目惚れをして、こちらから願って結んでもらった縁だった。
レナータは金色の細いふわふわの髪をしていた。たまに樹木や僕のボタンにその髪を絡ませては、困った顔をしながら解すのを見るのが好きだった。
レナータは繊細で細かな作業を得意にしていたので、刺繍はお手の物だった。素晴らしい刺繍をしたハンカチを何枚もプレゼントで貰った。壁に掛けているタペストリーは、彼女の力作だ。
繊細なことを得意としていた彼女は、彼女自身も繊細な人だった。その為か、流行病であっという間に儚くなってしまった。
最後に彼女に会った時に言われたことは、「私のことを忘れてとは言わないわ。でも、これから出会う人の場所はちゃんと新たに作ってあげてね。」と。
痩せ細った彼女の言葉にうなずいたものの、そんな気持ちは少しも持つことはできなかった。
穏やかな性格、華奢な体、くすくすと笑う顔は春の陽のように穏やかで、それでいてたまに強情な時もある、大切で愛おしい人。
そんな君のことを忘れられるはずがないだろう?
だから、きっと妻のことは愛せない。
初夜の床で言う言葉ではないだろうが、言わずにいられなかった。
「僕に君への愛はない」
「そんなことは分かりきっていますので安心してください。」
先ほど、妻になったばかりのクラーラは、あきれ顔でそう言った。
「え?」
「だから、私はあなたからの愛なんて望んではいません。最初からそう言う約束でしたよね? ただ、アビーク家での女主人として扱っていただければそれで結構です。
使用人に軽んじられて馬鹿にされて食事を頂けないなど、勝手の分からないアビーク 家で、お世話をしていただけないのは困りますから。」
突然そんなことを言い始めたクラーラ。彼女の話は止まらなかった。
「ユーリウス様ご存じですか? 夫に愛されず冷遇された妻は、その夫の冷たい態度のお陰で使用人達にぞんざいな扱いを受け、それはそれは苦労するんです。食事は出されても使用人の残り物。それだったらまだ良い方で、酷い時には虫やネズミ入り、腐った物まで出てくるんです。もちろん、身の回りのお世話などしてくれません。不遇で不幸な妻を見て、陰でクスクスと笑うのです。冬の寒い日に暖炉に火も入れてもらえないのですよ。そんな日々に耐え、苦労の末に世継ぎをもうけても、自分で育てることも許されずに取り上げられてしまうのです。夫には愛人がいて、妻は世継ぎさえできれば用済みで放置。愛人に育てられた子どもは、妻を蔑むように教育されてしまうんです。そして、自分が産んだ子どもに蔑ろにされ……」
あまりの話に僕は驚いた。使用人が主人の妻を見下し虐げるなど信じられない。一体どこの家の話をしているのかと思ったら、
「貴族情報雑誌『巷説貴族婦人』の投稿欄からの情報です。あの雑誌の”私はこうやって婚家から抜け出せた”特集等は興味深い特集でしたよ。」
は? 雑誌情報? 何?ゴシップ誌? え?え?
クラーラの話は続く。
「ですので、私に愛は必要ありませんが、衣食住は必須です。特に食は譲れません。
いいですか?ユーリウス様。愛で腹はふくれません。愛では飢えを凌げないのです。
ですから、愛はなくとも食事はください。よろしくお願いします!!」
初夜の床で、”愛はない”と言った自分に返ってきたのは、”愛より食”との力説だった。
自分で言い始めたこととはいえ、返ってきた答えに愕然としている僕にクラーラは言う。
「で、するんですか?」
「……」
こうして、僕たちは夫婦になった。