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「ウソだろ」

 思わず声が出た。


 木曜十七時。いつものようにバイト先の居酒屋へ出勤したところ、シャッターの下りた店先には一枚の張り紙があった。



 勝手ながら、本日をもって閉店いたします。

 長年ご愛顧頂き、誠にありがとうございました。



 店長直筆のメッセージが、十二月の風に吹かれてはたはたと踊る。

 テレビや漫画で見たことはあるが、まさか自分が体験することになるとは思ってもみなかった。

 仕事先の突然の倒産。そして雇い主の失踪。

 こんなこと本当に起きるのか。


 慌ててポケットからスマートフォンを取り出す。無駄だとわかってはいるが、とりあえず店の番号を呼び出してみた。

 耳にあてて、しばし待つ。

 結局、コール音ひとつ鳴ることはなく、聞こえてきたのは「おかけになった電話番号は」という機械的な女性の声だけだった。


 通話を切り、スマートフォンを上着のポケットへ押し込む。マフラーに顔をうずめて、店の看板を見上げた。つい昨日までは煌々と明かりがともっていた店は、今や暗く閉め切られている。店先の赤提灯は消え、錆びついたシャッターががたがたと風に揺れているだけだった。


 驚愕が去り、ふつふつと怒りが込み上げる。


 閉店だと? あのボケ店長、昨日はそんなことひとことも言わなかったじゃねえか。


「あ、クボタさん、お疲れっす」


 背後からぼんやりとした声がした。振り返ると、バイト仲間のワタヤが立っている。

 ロングコートに身を包んだワタヤは、猫背気味の身体をさらに縮こませるようにしながら俺の横に並んだ。

 切れ長の目が、張り紙を見つめる。


「これマジっすか」

「みたいだな」


 ため息まじりに答えた声には、存外刺々しい響きがまじっていた。それに気付いて、思わず舌打ちをする。

 ワタヤに八つ当たりしても仕方がない。こいつも被害者、むしろ仲間だ。

 胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。新宿区は路上喫煙禁止だが、この際どうでもよかった。


「電話もつながらない。夜逃げとかマジであるんだな」

「夜逃げなんすか?」

「急に店たたんでトンズラするのは、夜逃げって言うんじゃねえの? 知らねえけど」


 口の中だけに煙を含み、すぐに吐き出す。紫煙が冬の空を細く揺らした。

 舌先に残る苦味に、苛立ちが少し紛れたような気がする。


 もう一口煙を含み、ため息とともに思い切り吐き出すと、隣のワタヤは露骨に顔を顰めた。

 こいつは、タバコの煙が嫌いなのだ。




 ワタヤとは今年の六月に出会った。第一印象は背が高くて無愛想なやつ。接客には不向きなんじゃないかという気がしたが、バイトの採用にいちいちケチをつけるつもりもない。


 狭いスタッフルームで軽く挨拶をかわし、基本の接客と注文の受け方、レジ打ちの手順を簡単に説明する。ワタヤは時々頷きながら、口を挟むことなく聞いていた。


 ひと通り説明が終わったところで、出身や年齢といった話になる。ワタヤは大学二年生だった。浪人はしていないと言っていたので、今年二十歳になるはずだ。


「なんだ、タメじゃん。普通に話しなよ」


 同い年の気楽さから口調をゆるめる俺に、ワタヤは天井を見上げて「あー」と考える素振りをした。


「でも、クボタさんのがバイト歴長いですからね」


 先輩には敬語使うのが礼儀なんで、というワタヤに、そんなもんかねと返す。たかがバイトで先輩後輩もないと思うが、本人が納得するなら好きにすりゃあいい。


 礼儀を重視するようなことを言いながら、ワタヤは結構はっきりものを言うやつだった。

 八月のある日、俺が店の裏でタバコを吸っていると、ワタヤがふらりと現れた。

 店の裏は喫煙所だ。店でタバコを吸うのは店長と俺だけなので、他のやつは滅多に寄り付かない。バイトの女の子たちには、文字通り煙たがられてすらいる。


「タバコ、美味いっすか?」


 当たり前のように隣にくると、ワタヤは腰を下ろした。


「別に」


 一口含んで、ふーっと長く吐き出す。暑さと湿気のせいか、いつものピースが、やけに苦く感じられた。


「たいして美味くはねえな」

「美味くないのに、なんで吸ってんですか」


 なんでと言われても困る。ものを食ったり飲んだりするのに、理由は必要ない。タバコもそれと同じだろう。


「高校の頃に手出して、それからなんとなく」


 適当な俺の返事に、へえ、とワタヤは相槌を打った。面白くもなさそうな表情に、話を振ったのはお前だろと言いたくなる。


「タバコが似合う男はかっこいいだろ?」


 隣の無愛想男が黙り込んでいるので、先輩として明るく軽口を叩いてやる。場を和ませようとした俺の気遣いに、目の前の男は呆れた目を向けた。


「かっこいい男が吸うから似合うんですよ」


 ばっさりと切り捨てると、煙たそうに眉を顰める。


「クボタさん。あんた、タバコ似合いませんよ」


 どういう意味だと聞き返そうかと思ったが、面倒なのでやめておいた。タバコが似合わないことは、俺自身がよく知っている。高校時代、つまらない見栄とくだらない反抗で吸い始めただけだったが、それがいつしか習慣になっていた。やめ時を失って、惰性で続けているだけなのだ。


 隣を向くと、ワタヤがこっちを見ていた。感情の読めない黒い目が、俺をじっと見つめている。


「マジ? 似合わない?」

「似合いませんね」


 あっさりとした肯定に、思わず笑ってしまった。


「お前、はっきり言うね」

「すみません。不愉快でしたか」

「別にいいけどさ。でもお前、このタバコが俺のアイデンティティだったらどうするわけ?」

「アイデンティティなんすか」

「いや違うけども」


 どんなアイデンティティだよとつっこみかけたが、言い出したのは自分なので口を閉ざす。

 ワタヤの身体が小さく揺れた。もしかしたら笑ったのかもしれない。


「そんな燃えて消えるようなもんで自己を確立してないで、筋トレとかボランティアでもしたらどうですか?」

「俺の話じゃねえって言ってんだろ」


 そう返しながら、ワタヤに向けて煙を吹きかける。心底嫌そうな顔で「やめろ、マジで」というワタヤに、愉快な気分になった。


「ま、そのうちやめるわ。今日日タバコ代もバカになんねえしな」


 小さくなったピースを灰皿に押し付ける。どこか遠くで、燃えるように蝉が鳴いていた。




「クボタさん」


隣から聞こえた声に、ふと我にかえる。煙をくゆらせたまま、しばらくぼんやりとしていたらしい。


「灰、落ちてます」

「ああ、悪い」


 携帯灰皿を取り出して灰を落とす。フィルターを持つ手が寒さに震えた。

 ついさっきまで頭の中は夏だったので、身体との寒暖差がよけいにつらい。


「まったく、事実は小説より現実的だな。予想外過ぎて、あんまり現実味がねえけどさ」


 とりあえず軽口を叩いてやると、ワタヤは素直に頷いた。


「そうですね」


 静かに張り紙を見つめる横顔からは、なんの感情も読み取れない。


「なんか落ち着いてんね、はじめてじゃないわけ? こーゆーの」


 あまりにも淡白な態度に、つい訊ねてしまう。


「いいえ、はじめてっすよ。ほんとにあるんですね、こんなの。めちゃビックリしてます」

「ビックリって顔じゃないけどね」

「表情筋がかたいんですよ、おれ」

「あ、そ」


 タバコを灰皿に落とし、ポケットからもう一度スマートフォンを取り出す。ぐだぐだとここで喋っていても仕方がない。


「まいったなあ。どこに連絡すりゃいいんだ? これ。消費者センター? あ、消費者じゃねえから関係ないか。労基か?」


 ぶつぶつと呟く姿は情けないが、隣にワタヤが立っているので、不審がられることはないはずだ。

 とりあえず、ネットで見つけた新宿労働基準監督署に電話をすることにした。見当違いかもしれないが、それならそれで適当な相談先くらいは紹介してくれるだろう。


「お前はどうする?」


 総合労働相談コーナーの番号を押しながら、隣に声をかける。


「別に。どうもしません」


 風ではがれかかった張り紙を指先で押さえて、ワタヤは淡々と答えた。


「困んだろうが。せめて昨日までの給料貰わねえとさ」


 どうせ無理だろうとは思うが。そんな金があるなら、夜逃げなんぞするわけがない。

 張り紙を見つめたまま、ワタヤは「ああ」と呟いた。


「でも、俺、来週死ぬんで。あんまり困らないですね」

「ああ、そう」


 軽く返事をして、スマートフォンを耳にあてる。三コール目で、ふと我に返った。


 ―――は?


 あまりにもさらりと言うものだから、聞き流すところだった。


「なにそれ、どゆこと?」


 病気か? 余命数ヶ月とか。……なんか、そんなタイトルの映画があったような気がする。

 間抜けな顔で聞き返す俺に、ワタヤは無表情のまま答えた。


「闇バイトです」


 張り紙から指を離して、ワタヤがゆっくりと振り返る。


「おれ、もうすぐ爆発するんですよ」

◆全3話。次話は1月12日17時公開予定。

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