第一話
2024年1月28日。
私は、今、遺書を書いている。
私は死のうとしているのだ。理由は色々。一つ一つの原因は小さくとも、それが大きくなれば莫大なエネルギーとなり私に押しかかる。押し返そうとしても私の体では、そのエネルギーを押し返すなんてできなくて、これ以上押しかからないようにと必死で支えるのが限界だった。そして、力が尽きると私はそのエネルギーに押しつぶされる。心臓が破裂するのではないかというほどに全方向から圧力がかかって苦しくなる。そんな体から開放されようと、自ら命を絶つことを選んだ。
◇
◇
◇
2006年3月19日。彼女がこの世に生まれた日。
分娩室は彼女の産声と彼女の母親の荒い呼吸が響く。「元気な可愛い女の子ですよ」と助産師の優しい声が聞こえる。それと同時に、顔を見合わせた両親の目から涙が伝う。助産師さんから彼女を受け取った母親は、強く、でも優しく暖かく、彼女を抱きしめた。生命の誕生という、奇跡の瞬間。ここから、彼女のとても長い、人生という名の道が開いた。彼女の瞳は、とても眩しく輝いていた。
宰陽茉梨。明るく周りを笑顔にさせる、ひまわりのような存在になって欲しいという両親の願いでつけられた彼女の名前だ。「陽茉梨、我が家を照らす太陽みたいになれよ」なんてくさい言葉を言った陽茉梨の父親、宰大輔は、眼鏡の奥で優しい笑顔を浮かべていて、それを見た母親、宰日向子も微笑む。飽和してしまいそうなほどの“幸せ”という空気に包まれた空間に、思わずむせ返りそうになる。
陽茉梨はとにかく落ち着きがなく、寝かしつけても全く寝ないし、好き嫌いも激しく、彼女の両親はとても手を焼いた。日向子は体が弱く、持病を持っているにも関わらず、陽茉梨を一生懸命に世話した。大輔も、そんな妻の負担を少しでも減らせるようにと、普段はサラリーマンとして働き、終業後は陽茉梨の世話をするという生活をしていた。そんな生活を続けていたら、陽茉梨が1歳を迎えた頃、日向子の体は限界に達し、倒れて入院することとなった。その間、大輔は仕事に家事、陽茉梨の世話に妻のお見舞い、と目まぐるしい生活を送り続けた。
1ヶ月後、日向子は退院した。日向子は持病を持っているため、普通よりも長い間の入院期間を強いられた。その間、日向子は医師に何度も退院を懇願したが、退院させてはもらえなかった。
日向子が入院してから2週間たった頃から、大輔は食欲不振や体調不良になっていた。大輔は、日向子に心配をかけまいと、日向子が退院してからそのことを話すと、日向子は大輔に病院の受診を勧めた。
次の日、大輔は病院へ行くこととなり、精神科を訪れた。医師から知らされた結果はうつ病。度重なる様々なストレスにより発症したとのこと。大輔は、ひとまず寛解するまでは休職、それから育児も落ち着くまでしないことを勧められた。大輔はものすごく迷ったが、日向子とも話し合い、休職をすることを決断した。