婚約者
聞いたところによると私には婚約者がいるらしい。
かなり地位のある人物らしく侯爵だとか何とか聞いたけれど素直に喜べなかった。
というのも、もし私が昔、本でみた悪役令嬢だとしたらその婚約者は私を振ってその本の主人公である清廉潔白で心優しい女性と結婚するからだ。そしてその悪役令嬢は最終的に没落して、口にするのもためらわれるような惨めな末路を歩むというその本の主人公に感情移入していればスカッとする展開だった。
悪役令嬢はさんざん主人公に嫌がらせをしていたので昔読んだときは感動した記憶があるが、自分が悪役令嬢の立場に置かれていたとしたら、背筋が凍る感覚を覚える。
その本の悪役令嬢に転生したとまだ決まったわけではないがメイドの名前が同一であるのに加えて婚約者の地位まで酷似しているとなれば警戒しておいて損はないはず。
そして、今日その婚約者が主催するパーティーに呼ばれることになっていた。―――
―――パーティー会場につくと高価そうなドレスに身を包まれた気位の高そうな人が大勢おり、萎縮しそうになる。
しかし転生した私ははたからみれば金髪碧眼の長身でクールな女性に映っているはず、恐らくその場に馴染んでいることだろう。そう思いたい。
私はなるべく挙動不信感をださないように精一杯、場に溶け込もうと意気込んでいると
「ベロニカ、久しぶりだな」
突然、後方から声がしたので反射的に振り返った。
きちんと整えられた金髪に、170㎝はあるだろう私より遥かに高身長の男性。
その男性は鋭い目線でこちらを伺っているように見えた。
「………」
ベロニカ?という人物が誰のことか分からなかったのでしばらく黙って様子をみていた。そういえば私、転生した自分の名前すらまだ知らなかった。
「おい、婚約者を無視するとはどういうことだ?相変わらずその間の抜けた鈍感さはなおっていないようだな」
自分が無視されていると感じた男は相当に気分を害したらしい。怒りを含んだ口調で私を詰る。
「ごめんなさい。少しパーティー会場の人混みに圧倒されちゃっててめまいを起こしていたんです」
咄嗟に嘘をついた。本当は自分がベロニカだと確信が持てなかったからだが、そんな言い訳をしたら相当に変な人になってしまう。
「ん、そうなら、そうだと早く言え。全く何もかも行動が遅いヤツだな。少しそこの椅子に座って休んでろ。とりあえず飲み物でも持ってこよう」
「お気遣い感謝致します」
ベロニカ……本には記載されていない名前ね。
私がその本の悪役令嬢に転生したのかどうか確認できないのはその本には悪役令嬢の名前は一切記載されておらず、全て代名詞で綴られていたからだ。だから今までは私がその本の悪役令嬢なのかいまいち確信が持てずにいた。
ただ、今はもう確信した。私はあの本の悪役令嬢に転生している。
この婚約者の乱暴な口調に既視感を覚えた。
昔に本でみた悪役令嬢の婚約者そのものだった。確か名前はクラウスだっただろうか。口調は乱暴でもどこか温かみのある人物。
しかし、本の心優しい主人公に惚れたクラウスは悪役令嬢との婚約を破棄する。
クラウスに捨てられた悪役令嬢は侯爵家の後ろ盾を失いそれは酷い末路をたどることになる。
つまり、私がクラウスに捨てられた場合、バットエンドは確定というわけだ。
ただ、今更もうバットエンドだとかそんなことは私の中ではどうでも良くなっていた。
酷い末路をたどりたくないのであれば、クラウスに嫌われないように立ち回るのがベストだ。
でも、だってこの転生は2度目なのだから。今更、クラウスに嫌われないように愛想よく聖人のように振舞うことなど到底できない。もう精神的に疲労しきっていた。
というかそもそもなぜ私が媚びなければならない?理不尽に転生させられただけの私がなぜ?
言いようのない怒りがふつふつと湧き上がってきた。私は私らしく生きたいだけなのに……
そんなことを考えているとクラウスが何か飲み物を持ってこちらにやってきた。
グラスに揺れている赤い液体。恐らくワインだろうか。
「ベロニカ体調はどうだ?」
体調を気遣っているようにみえるこの男。しかし最終的には私を裏切る未来であることは知っている。この優しさも白々しく思えた。
「………」
私は無言を貫いた。
「とにかく早く体調を治してくれ。こんな気弱なお前じゃつまらない」
私は今、捉えどころのない怒りに支配されていた。この男によって私の人生はメチャクチャにされる。そう考えるとこの男が憎くて仕方なくなる。この理不尽に転生されたという怒りを全てクラウスに吐き出したくなった私は―――
―――「ッッ!!」
男からもらった飲み物の入ったグラスを地面にたたきつけた。
「なッ!?」
突然のことにクラウスは言葉がうまく出ないといった様子だった。
それに畳みかけるように
「クラウス様、失礼ですが別の飲み物にしていただけませんか?一般的にワインは体調の悪い時に飲むものではないと思います」
私は床にグラスからこぼれたワインを見ながらそう言っていた。
「え?ああ……」
クラウスは驚いた表情のまま、何が起きたのか理解できていない様子だった。
恐らく侯爵家の自分に逆らうものなど今までいなかったのだろう。
だが今の私はそんなこと関係ない、もうバットエンド上等なわがまま放題の悪役令嬢を極めてやろうと決意していた。