とばり姫は夜に微笑む ~婚約破棄を了承しました。もちろん取り消し不可ですわ!~ 彼女が顔を隠していた本当の理由。[コミカライズ発売中]
ディスターヴェーク。
かつてこの国には魔が溢れ、人々は長くその災厄に悩まされてきた。
王家は精霊に助力を乞い、平和が訪れた後は、万魔を封じるため力を貸してくれた精霊たちに感謝を捧げようと、季節をつなぐ秋の一夜に、毎年、宴を開くこととした。
王家主催の伝統ある園遊会。
それが万精節の夜宴である。
国王夫妻の登場を待ちながら、夜の庭園で貴族たちは歓談を楽しむ。
各所に配された優しい灯りが会場を照らし、人々の朗らかな談笑が、楽団の調べに乗って星空に届く中。
ひときわ大きな声が、怒気を孕んで響き渡った。
「ローザリンデ・バルチェ! この時この場をもって、お前との婚約を破棄する!!」
一斉に集まった視線の内側にいたのは、たったいま名指しされたばかりの公爵家令嬢、ローザリンデ。
そして、彼女を苛立たし気に睨んでいたのは、唯一の王子にして王太子のオスカー・ディスターヴェーク。
何事か、と人々はふたりの様子を見守った。
いや、正確には三人。
オスカーの後ろには、儚げな風情の華奢な少女がいた。
王太子の背に守られるようにその身を寄せる姿は、婚約者であるローザリンデよりも遥かに親密そうに見える。
ヒソ……
あれが噂の……
王太子殿下の恋人……
王太子オスカーが男爵家の美少女ヴィルマに入れ込んでいて、王立学園では始終そばに置いているという噂は本当だったのか。
彼女は愛妾候補と聞いていたが、公爵家に婚約破棄? どういうことだ?
そんな囁きが、場を巡った。
輝くような美男美女である王太子とヴィルマ。
対するローザリンデは、公爵家の令嬢でありながら、前髪は重く目元を隠す長さで、黒髪であることも相まって容貌がほぼ判らない。
"さては顔を晒せないほどの醜女では?"というのが、貴族間の通説であり、暗色の衣装に身を包む彼女は今夜も地味を極め、華やかな王太子たちとは対極に見えた。
「この愛らしいヴィルマに対する数々の非道な行い! 知らないとは言わせないぞ!」
有無を言わせぬ迫力で、オスカーがローザリンデへの弾圧を始める。
その剣幕に恐れる様子も見せず、平坦な声で公爵令嬢が問い返した。
「非道な行いとは、一体何があったのですか?」
「白々しい! お前はヴィルマの衣服にピンを仕込んだり、本をインクで黒く染めたり、更衣室に閉じ込めるなど、数々の嫌がらせを続けていたらしいな! ヴィルマの様子がおかしいと思って尋ねると、泣きながら俺に話してくれたぞ。不当な扱いを受け続けている、と」
「それがどうしてわたくしの仕業ということになるのです」
「お前しかいないだろう! 俺がヴィルマを厚遇することを妬んで、お前が彼女を攻撃したんだ! なんという浅ましい女だ! "とばり姫"の呼び名通り、外見そのものの陰検さだな」
とばり姫とは、夜の帳のようにその面を隠す、ローザリンデの渾名だった。
「お前のような最低な人間は、我が妃として相応しくない。よって、俺とお前の婚約は白紙だ!」
「……ずいぶん一方的ですこと。婚約の撤回は、国王陛下の同意も得られていらっしゃるのですか?」
「俺はもう十八だ。父上に相談せずとも、このくらいのこと自分で判断出来る。お前の悪行を知れば、父上も俺の見解が正しいとお認めくださるだろう」
そんなことはない。
家同士の取り決めを独断で変更しようという振舞いは、どんな理由があれ咎められてしかるべき行為であったが、オスカーは気が付かない。自身の正義を信じて、自己陶酔中であった。
「ですが、わたくしはヴィルマ様に何もしておりませんよ? それでもですか?」
「謝罪でもすれば、まだ可愛げがあるものを……! いいから俺の前から消えろ! 永久にな!」
嫌がらせの証拠を示すわけでもなく、決めつけのみで事を運ぶオスカーは、ローザリンデの言葉をまるで耳に入れなかった。
彼はただ、ローザリンデが気に入らない。
その一心でヴィルマの訴えを聞き、渡りに船とばかりに婚約破棄に臨んだからだ。
そして心無い言葉を、深く考えずに投げつけた。
ローザリンデが冷静に、オスカーに確認する。
「オスカー殿下からの婚約破棄。王家の総意として受け入れます。ですので、"やはりなかったことにしてくれ"などの懇願は一切受け付けませんから、そのおつもりで」
「誰が懇願などするものか! こっちこそ何を言って来ても取り合うつもりはないから、公爵家の力に縋ろうなどとは考えるなよ」
声を荒げるオスカーの服を、不安そうにきゅっと掴むヴィルマ。
彼女に振り返り、彼はうってかわって優しい声音で恋人に告げる。
「大丈夫だ、ヴィルマ。これでお前を脅かすものは消える。近々、俺の正式な婚約相手として発表しよう。皆に祝福される、明るい未来が開けているからな」
「嬉しい、オスカー様」
「あの……」
ふたりの世界に突入しかけたオスカーに、ローザリンデは声かけた。
「ヴィルマ様におかれてはご災難だったとお見舞い申し上げますが、今後一層のご覚悟をと、ご忠告しておきます。そのうち窓が割れて破片が飛んできたり、上から物が落ちて来たり、階段から突き落とされそうになったりと、命の危機に見舞われるかと思うのですが、どうぞお気をつけくださいましね」
「なっ……! お前!! まだヴィルマに手を出すつもりなら──」
「ですから、加害者はわたくしではないと申しましたでしょう!」
ローザリンデが放った言葉は、語気こそ強くないものの、その場の空気をピシャリと引き締めるに十分な迫力を持っていた。
反射的に姿勢を正しかけたオスカーが己に気づき、誤魔化すように吐き捨てた。
「詳細な予告までしておきながら、まだ自分ではないと言い張るか! なら誰だというのだ!」
「それをやっと尋きますか?」
呆れたようにローザリンデが、首を振る。
「良いでしょう。わたくしの視界をお貸ししましょう」
不可解な一言の直後、ローザリンデは自らの前髪をかきあげた。
「────!!」
途端に現れる切れ長の赤い瞳は、神秘的な輝きをもってオスカーを視界に捉えた。
と同時に、オスカーの目に映る景色が一変する。
「なん、だ。この幻覚は……!」
彼の眼は、屋外の会場、自然の中に浮かんで漂う、たくさんの異界のモノを視ていた。
おぞましい異形のそれらは、オスカーにまとわりつくように揺蕩い、ヴィルマの後ろには。
「ヒッ」
目を剥き首を傾けた怪物が、大きな半身を影に溶かしたまま、ぬらぬらと光る牙をヴィルマに向け、大口を開けていた。
「幻覚ではございません、殿下。これは、いまこの場に在るモノたち。ディスターヴェーク家が万魔を封じた伝説は周知の通りですが、その際、何の代償も払わなかったというわけではございません。王家は彼らの恨みを買い、末代までの怨嗟を受ける血筋となりました。王家の血を遺そうとせん配偶者も、同様に狙われます」
"王室の秘匿授業で習いませんでしたか?"
首を傾げるローザリンデに、オスカーはさぼってばかりいた授業をうっすらと思い出す。
"馬鹿らしい昔ばなし"だと一笑して忘れていた内容に、そんな話もあったような……。
「そのため王家では、魔の眷属を退けられる血筋から、常に伴侶を定めてきました。神官、巫女、聖女……。代々の王妃様のご出身に覚えがあられるはず」
「……」
オスカーは目を瞬かせた。ローザリンデの言った通りだったからだ。
「そしてわたくしは、人界に嫁した夜の精霊の末裔。闇を領域とし、いかなる呪いも届かない。婚約相手がわたくしだったから、今まで彼らは手出し出来なかったのです。しかし、ヴィルマ様は違う──」
ヴィルマは男爵家に引き取られる前まで、ただの平民だった。当然その血に宿る力はない。
はっと息を飲んだオスカーに、ローザリンデが同情するように声をかけた。
「お気の毒です。こんなことになって」
「ま、待て。ではこれから先、ヴィルマはヤツらに狙われ続けるということか?」
「ヴィルマ様だけではございません。殿下、御身も不慮の事故にお気をつけ遊ばされませんと。夜の精霊の加護を失われたのですから」
「ま、ままま、待ってくれ。先ほどの宣言は取り消しとする! そなたを正妃に取り立て、ヴィルマは側妃とするから──」
「懇願は受け付けないと申し上げたのは、ほんの五分前のことでございます、殿下」
すっかり血の気の引いた顔で震えながら、なおも都合の良い提案をするオスカーを、ローザリンデは切って捨てる。
「知らなかったのだ! まさかこんな」
「知る知らないで国の決定を安易に変えられてはたまりません。また、軽々しくお言葉を覆しては、王族として示しがつかぬでしょう。却下です」
「ローザリンデ!!」
「怒鳴ったところで無駄ですわ。それにわたくしには、次の予約が入っておりまして、もうそちらが履行されました」
「予約??」
「はい。かつて熱烈なお申し出を受けたことがあるのです。殿下との先約がございましたので、婚約が反故になるようなことがない限り、お話はお受け出来ない。先様にはそうお返事していたのですが」
思いがけずお応えすることが出来るようです。
ローザリンデの頬は赤く染まり、心なしか嬉しそうに見える。
不愉快そうに顔を歪めて、オスカーが言った。
「お前のような"とばり姫"に求婚するような者が、いたというのか?」
「まあ、殿下! わたくしがこの髪を下ろしていたのは、殿下の周りに集う異形を視たくないからです。霊力のある黒の髪は、視界を上手く遮ってくれますから。普段は、とばりなどおろしてませんわ。特に屋敷では、素顔のままに過ごしております」
ローザリンデの言葉に改めて彼女を見ると、その顔かたちは美しく整い、魅惑的な目元と妖艶な口元は、見惚れるほどに美麗だった。
流れ落ちる黒髪が煌めき、飾り気なく見えたシンプルなドレスは、彼女の黄金律な肢体を引き立て、これ以上なく似合っている。
夜の精霊を体現するとこうであろうというほど、今のローザリンデは魅力に溢れ、艶やかだった。
オスカーは目の前の美姫にあっけにとられた。
(これがローザリンデの素顔だったというのか)
彼女の髪を上げた姿を見る機会なら、いくらでもあったはずなのに。
視界にも入れたくないと、これまでなんの興味を抱かなかった自分を悔やんだ。
そんなオスカーの心のうちを読んだかのように、ローザリンデが言葉を足す。
「もっともご予約のお方は、人を美醜で判断するようなお方ではございませんけれど」
「その相手とは、何者だ?」
自分はこの国の王太子。圧をかけて、身を引かせてやる。
そんな思惑で、オスカーがローザリンデの新しい婚約相手を問うた時だった。
ふいに風が巻き起こり、光の筋が何本も絡み合うと、中空に魔法陣が描き出された。
王城の庭に直接、陣での転移が許されている者などいない。
それが可能なのは、人を越えた──。
「王太子との婚約呪が壊れたようだな、ローザリンデ姫。かねてからの約束通り、次は私の番だ。そなたを迎えに来た」
現れたのは、強力なオーラを纏い、ひとめ見て高貴な身分とわかる男性。
その場のすべてを圧する威を放ち、長髪の美丈夫がローザリンデに声をかける。
「お待たせいたしました、精霊王様」
優雅な礼を見せて、ローザリンデが微笑んだ。
「えっ、あ……、精霊の……王?!」
(ローザリンデの相手というのは、つまり……!!)
自分などが到底手出し出来ない相手が出現したことで、オスカーの声が怯み戸惑う。
「まさか陛下のご要望にお応えできる日が来ようとは、夢にも思いませんでした」
意味深な視線をオスカーに投げかけながらも、ローザリンデは王が差し出した手を取る。
「ふむ。人の寿命分くらい、待つつもりでいたのだがな」
同様に精霊の王もオスカーを見遣る。
その眼光だけで崩れ落ちそうになる中、どうにか直立を保つオスカーだったが、震える身体は止まらない。
そんな彼の様子を見ながら、ローザリンデがこの夜一番の笑みを見せた。
「では、オスカー殿下。宴を中座する失礼、お許しください。国王陛下によろしく、我が父には"ローザリンデは輿入れした"と、そうお伝えくださいませ」
いつの間にかローザリンデの腰には精霊王の手が回されており、寄り添うふたりはそのまま。
淡い光とともに、夜の庭に消え去った。
騒ぎに駆け付けた国王夫妻が見たのは、呆けたような表情の息子と、どこの馬の骨とも知れぬ男爵家の養女。そして彼らを取り巻く、客人たちだけだった。
ここからは後日談となる。
オスカーはその後、厳しい叱責の後に廃太子となった。
生涯の護りを失い、夜宴で見せた短慮な行動から、王太子としての資質を欠くと判断されたためだ。
また、ローザリンデを虚仮にしたオスカーがそのまま王位に就くことで、精霊王との関係がこじれてはと、危惧されたことも要因だった。
次代の王には、その霊力の高さから聖職者となっていた王弟が、還俗して王位に備えることになった。聖女であった前王妃の力を濃く受け継いでいるため、配偶者の力が多少弱くても守護が効くだろうという見立てだ。
ヴィルマはとうに逃げ去っている。魔の眷属に襲われるなど、誰でも嫌だ。
オスカー自身、夜宴以来闇に怯え続け、彼はとうとう聖域である修道院に駆け込み、閉じこもった。
夜宴を騒がせた人物たちが皆退場したのちも、ディスターヴェークは続く。
いつか王家の血が強まり、魔を完全に祓い除ける日を望みながら。
──今年も万精節の夜を迎える。
お読みいただき有難うございました!
もうすぐハロウィンですね! Happy Halloween!!
作中の「万精節」は造語です。万聖節、万霊節の誤字ではありません。紛らわしくてすみません。
そして王子がおバカでも、どうしても叩きのめせず擁護の道を模索してしまう私。思わず裏設定。
オスカーとローザリンデについては、この二人を娶せたことに問題があったと思うのです。
皆それぞれ幸せになってもらいたいものです。
ちなみに精霊王はきっと、ローザリンデの祖先にあたる夜の精霊との過去があったとみています。
もしかして彼女は生まれ変わり…? かも知れないし、よく似ているのかもしれません。
"とばり"を上げたローザリンデも描いたのですが…思う仕上がりにならなかったので、ヒロインなのに絵がないという。てへっ。 と、言ってましたが追記しました(笑)
お話を楽しんでいただけましたら幸いです(*´艸`*)
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【コミカライズ発売記念の追記】
拙絵の一部、この恥ずかしいラフを、漫画では美しくデザインしていただきました!
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下の蘭に☆☆☆☆☆を見つけたら、色を塗って評価してくださると大喜びします♪ よろしくお願いしますm(__)m