第65話 ソフィアとアバンデルト家
「私には父上の仰っている意味が分かりません」
それは武闘祭より少し前。アバンデルト公爵家の屋敷の一室にて。
疑問を投げかけているのはソフィア=ルミナス=アバンデルト。そしてそれを受けるのは父であるディオル=ルミナス=アバンデルトだった。
「この力は悪戯に振るってよいものではない。まして武闘祭の舞台で使おうなどもっての外だ」
ディオルは娘であるソフィアを窘めるようにそう口にする。そしてそれを聞いたソフィアはやはり理解できないといった様子で首を振った。
「この力……魔法が、普通ではないことは私とて理解しております。そしてこれこそがアバンデルト家の、アベル様より連綿と受け継がれてきた証であることも」
「そうだ」
ソフィアの回答に重々しく頷くディオル。しかしソフィアは自身の言葉を否定するようにつづけた。
「ではなぜ、これを人々のために使う道を探さないのですか! 研究し、用途を見定め、世の役に立つ術を……!」
「それは違う」
「な──」
ソフィアの咎めるような言葉を、しかしディオルは一蹴した。
「これは正に我らアバンデルト家の秘奥だ。それを世に知らして何とする。無論己の……家族の身を守るために使うことはあるだろう。だがそれでも本来、これは秘して持ち続けるべき力なのだ」
「使わぬ力に何の意味があるのですか」
「使わぬことにこそ意味があるのだ。それこそがひいてはこの世界のためにもなる」
「……何をおっしゃっているのか、やはり私にはわかりません」
そんなソフィアの様子に、ディオルは「ふう」と嘆息しながら続けた。
「例えば仮にこの魔法を研究し、世のためになる何かを発見したとしよう。その先にあるのは何だ、ソフィアよ」
「それは、より良い世界で──」
「新たなる争いの世界だ」
「なにを……」
ソフィアの言葉を遮ってそう告げたディオルは、続ける。
「人は遠い昔、火を知り、道具を生み出した。そして連綿と続く生の営みが経験を、経験が新たな知識を生み出した。……より良い世の中のためにと生み出された数多のそれらは、しかし人間の悪意という存在によって新たな武器に、争いの火種になっていった」
「……」
ディオルの言葉をソフィアは黙って聞いていた。
「いつの世も、それらは世の善であると同時に世の悪となった。ならば我らが持つこの魔法はどうだ」
「それは……」
そこまで言われればソフィアも気づく。ディオルの言葉のその意味に。
「他の誰もが扱えぬ魔法。しかも四元魔法式と違い、少ない魔力で行使することすら可能な魔法式の幾つか……。我らに受け継がれた魔紋とそれに付随する魔法の知識は、広まれば必ずこの世界に大きな影響を及ぼすだろう」
「………」
「お前の言うように、我らの持つ知識を世に伝えれば新たな礎にすらなり得るだろう。そしてわれらはその伝道者として、今以上にこの世界に名を知られる栄誉を得ることができるかもしれぬ」
「はい──」
ソフィアはその言葉を黙って聞き続ける。
「だがその裏で生まれるのは、新たな争いだ。魔法を使えるものが増えるということは今以上に誰もが簡単に人を傷つける力を持つことと同義。そしてそれらは、我らに止めることができない底知れぬ人間の悪意によって発生するもの。防ぐことの出来ぬ未来となるだろう」
いつの世も、世界とはそういうものだった。
世のためにと生み出された力が、悪意ある人間によって新たな争いの火種になる。小さな火種も集まれば大きな争いに。そして最後には国同士の戦争へと繋がっていく。
確かに皮肉なことに、そんな争いの中で新たな技術、知識が生まれることすらある。
医療などその最たるものだともいえるだろう。戦争の中で生み出された技術が、後々民間に転用されることなどままあった。そうした歴史をディオルは誰よりも重く受け止めていた。
だからこそソフィアはディオルの言葉を否定することができなかった。人々の、民の安息を願う彼女だからこそ、彼の言葉を否定することなどできなかった。
ディオルはそんなソフィアの様子を悲しげに見つめながら、言葉をかけた。
「だがそれでもなおこうして我々がこの力を継承するのは、そんな世の中であってなお、大切な者のために、あるいは正しきことのために力を振るわなければならない事態となった時のためだ」
「……はい」
ソフィアは歯痒い思いでそう答えた。今の彼女には、ディオルの言葉に反論するだけの覚悟も、証拠もなかった。
「今すぐに全てを分かれとは言わない。だが行く行くはアバンデルトの家督を継ぐ者として、我が血筋が果たすべき使命とその意味についてきちんと向き合いなさい」
「……申し訳ありませんでした、父上」
「………よい。私も少しばかり強く言い過ぎた。今日はもう寝なさい」
「はい……」
親子の会話はそこで途切れ、ソフィアは一礼して部屋から退出する。
「はぁ」
部屋を出た彼女の口からは、ただ疲れたからだけではない、様々な感情がないまぜになったような重い重いため息がもれた。
ソフィアは思う。
アバンデルト家が、自分が今持っている力はとても重い力だ。振るうことに相応の責任を伴わねばならない力。だからこそ、本当に自身がこの力を何かのために使うのであれば、その覚悟を言葉にできなければいけない。しかし今の自分には、まだできないようだった。
後には、冷風が窓を叩く音だけが響いている。
この後ある武闘祭の舞台に彼女は立つ。それに一体どんな想いをもって臨めばいいのか。
今の彼女にはまだ、それすらも分からぬままだった──。
面白いと感じて頂けましたら★評価やブクマ、ご意見ご感想等頂けますと幸いです。執筆の励みとさせて頂ければと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。




