第55話 星空の下で
俺は魔獣が倒れたのを確認するとゆっくりと剣を収める。流石にあの一撃を食らって生きてはいないと思ったが、念のため魔獣の生死を確認した後で、その向こう側で狼たちの状態を診ていたエミリアと合流した。
「カイルさん……」
「これは………」
俺はエミリアと共に、親であろう狼と、その近くに項垂れながら寄り添う子狼の様子を見る。しかし一目見ただけでわかった。
おそらくこの親の狼はもう長くない。
その腹部は真っ赤に染まっていたが、近くで確認するとそこには三本の裂傷が深く刻まれていた。おそらく先ほどの魔獣との交戦でやられたのだろう。内臓まで傷ついていると分かるほどの深い傷だった。
「クゥン……」
子狼は、親の顔に自らの顔をこすりつけている。横たわる親の方も、息も絶え絶えといった様子でそれに応えていた。
「どうにか……なりませんか?」
「……これは致命傷だ。骨折や軽微な裂傷なら俺でも簡易治療程度はできるけど、これは手術が必要なほどの重症で、専門的な知識がないと厳しい。それに……この出血量ではどちらにしても」
「──ッ!」
俺の答えに唇を噛むエミリア。
俺も、例え相手が獣であったとしてもこの時ばかりは自身の無力さを悔やんだ。
救いたいと願う存在が救えない悲しみ、後悔。
その感情だけが、なぜか俺の霞がかった記憶の中に存在するのがわかる。
この感情がいつ、一体どの時のことなのか。それを思い出せないのが今はただつらかった。
「ガゥ………」
俺たちが見守ることしかできないでいる中で、親狼が小さく鳴き声をあげる。そして、ゆっくりとこちらを見たのが分かった。
「──……」
既に声を発することすら難しいのだろう。しかしその焦点の定まらない瞳の中に、何か強い想いのようなものが見て取れた。
エミリアはそれに応えるように、ゆっくりと狼たちへと近づき、子狼と横一列になって親狼の前まで来ると、ゆっくりと腰を下ろした。
「ごめんなさい」
一言声をかけながら、優しくその頭を撫でる。撫でられている親狼も、それに付き添う子狼もただ黙ってそれを受け入れていた。
それからどれくらい経っただろう。
今も変わらず夜空には星が輝き、俺たちを照らしている。しかし辺りを彩る雪は、徐々にその勢いを強め始めていた。
「エミリア」
俺がエミリアに声をかけると、彼女はゆっくりと立ち上がる。そろそろ馬車へと戻らないと帰り道が分からなくなる危険もある。
既に親狼から呼吸は聞こえなくなっていた。
「クゥン…………」
子狼はまだ、親に寄り添い続けている。魔獣は倒したとはいえ、子狼自身もまたかなり疲弊しているのが見て取れる。このままこうしていてもきっと長くはもたないだろう。
「カイルさん、一つお願いがあります」
「かまわないよ。エミリアのしたいようにすればいいさ」
「──ありがとうございます」
その質問の意図を理解した俺は、エミリアにそう答える。すると彼女は今度は親に寄り添う狼の方へと向き直り、再び腰を屈めた。
「よかったら、一緒にこないかな」
「………」
狼はエミリアの方をじっと見つめ、しばらくそのままの状態が続いた。しかし、やがて子狼はゆっくりと親の傍を離れると彼女の方へと歩み寄った。そしてその手のひらを確かめるように舐める。
「なんだか、犬みたいだな」
「ふふっ……ですね。どれくらい一緒に行けるかわからないけど、よろしくね」
「ワオォォーーーーーン」
俺たちへの挨拶のようにも聞こえたし、別れの悲しみのようにも聞こえたその鳴き声は、満天の夜空へと吸い込まれていく。
雪は、俺たちを見守るように今はまだ優しく降り注いでいた──。
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あの後、親狼の遺体を丁寧に弔い簡易なお墓を立てた俺たちは、その足で馬車へと戻った。俺はそれと同時に、先ほど倒した魔獣に生えていた一本角を折り、戦利品として回収していた。
そうして今俺たちは再び元の拠点まで戻ってきた。道中、子狼は俺たちについていこうと一緒に歩いていたが、疲労のせいかかなり辛そうにしていたためにエミリアに抱きかかえられながらここまで連れてこられた。
(それにしても、いくらエミリアが優しそうだとはいっても野生の狼があんなに簡単に懐くものなのかね)
シロの場合も多少は思ったが、エミリアはかなり動物に好かれやすい。まぁ彼女の発するオーラというか、空気感みたいなものは確かに心を安心させるのは分かるのだが。
(まぁ、今はそんなことはいいか)
目の前では魔道焚火台の火で暖まるエミリアと、彼女に抱きかかえられたままでいる子狼が少しだけ弱々しげに彼女に頭をこすりつけている。それは確かに彼女が救った命がそこにあることを感じさせた。
「それで、どうする?」
「え……どう、というと??」
俺の言葉にエミリアが首を傾げた。
「その子の名前」
「あー……どうしましょう」
「エミリアが助けた命なんだ。きっと君がつけてくれた方がその子も喜ぶよ」
「そう……でしょうか」
そういって子狼の顔を見つめるエミリア。
「バウ」
まるで、それでよい と言わんとばかりに吠える狼。先ほどの親の雰囲気を見ても思ったが、何となくこの二匹は俺たちの言葉を理解しているような節がある。とはいえこれも今はひとまず頭の隅に置いておこう。
「うーん……」
暫くの間そうしてうんうんと唸っていたエミリアだったが、やがてポツリとその名前を呼んだ。
「……シルバ」
「バウ!」
その名前に、たった今シルバと名付けられた、透き通るような銀色の毛並みを持つ子狼が応えた。
「シルバかぁ……。シロとシルバ………うん。なんかコンビっぽい」
「キュ?」
俺の言葉にシロが反応する。
「というかシルバってことは名前の雰囲気的に男の子なの?」
「だと思いますよ。だってその……」
「あー、はい」
そう言って顔を赤らめるエミリアに俺は分かったといってそれ以上は聞かなかった。というか別に恥ずかしがるほどのことでもないと思うのだが……。
とにかく、だ。
「これからよろしくな、シルバ」
「よろしくね」
「バウ!!」
これからどれくらいこの子狼と共に歩むことになるのかは分からない。いつかシルバも野生へと帰ることがあるのかもしれないが、少なくともそれまでの間は。
この目の前の命を救った者として、その時まで一緒にいよう。
こうして、シロを含めると四人目(?)の仲間が俺たちのパーティへと加わったのだった。
~第3章 王都動乱編~ 了
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