第32話 対決 ~マーダーウルフ戦~
「Gurururu....」
体長は七メートル程度……凡そ平均的といえるそのマーダーウルフは、俺の『雷電槌』をまともに食らいながらもゆっくりと立ち上がり、紅い双眸を更に怒りの赤で染め上げたような様相でこちらを睨みつけていた。
おそらく俺のことは、既に『獲物』ではなく、『敵』として認識しているのだろう。
(さて、どうするか)
咄嗟の一撃だったとはいえ、不意打ちの初撃で仕留められないかという淡い希望は塵となった。となればここからは本当の意味でのタイマンというわけだ。
俺はゆっくりと左手を相手の方へと突き出し、右手に剣を握りしめて切っ先を向ける。さながら刺突をするような構えだが、これは俺がこの五年間で考え抜いた『戦闘スタイル』だった。
左手は魔法を行使するために、そして右手の剣は相手に切っ先を向けることで刃の距離感を掴みにくくさせる。さながら細剣を使ったソレに近しい。
ジルには、「まだまだ改良の余地あり」と言われてはいるが、それでも今俺の考えうる中で最も相手にとっていやな戦い方だった。
(まぁ、あくまで人間を想定した時の話だけど)
目の前の魔獣は、俺のそんな思いを知ってか知らずか、ゆっくりと俺との距離を詰めてきた。口元からはだらだらと涎がしたたり落ちているが、これは食欲のせいというよりは怒りのあまり口元が開きっぱなしだからといったほうがいいかもしれない。
そして俺との距離があと十五メートルあたりに迫った次の瞬間、
「Guaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
大地を蹴り上げ、マーダーウルフが飛びかかってくる。
後ろには少女がいるため、避けるのは却下だ。
(まずは……!)
俺はすぐさま魔法式を展開し、魔法を発動する。
「『大風爆』ッ!」
すると左手から、まるで嵐のごとき勢いを伴った風の塊が発生し、今まさに飛びかかろうとしていたマーダーウルフの顔面へと直撃した。
そして、耳をつんざくような破裂音とともに魔獣は再び大きく吹き飛ばされる。
俺は反動で大きくよろけそうになる体を持ち直し、すぐさま追撃のためにマーダーウルフの方へと駆け出した。
「Guaaaaaaaaaaaaa!!!」
しかしマーダーウルフも横向けに倒れながらも、そのまま地面に顔半分をこすりつけながら大きく口を開け、俺をかみ砕こうと横なぎに顔を突き出す。
「フッ!!」
俺は咄嗟に大地を蹴り跳躍。その攻撃をかわすが、マーダーウルフもすぐにその方向に視線を合わせ、そのまま空中で身動きがとれないであろう俺に向かって再び口を大きく開いた。
「『岩槌槍』ッ!」
しかし瞬間、俺は土の魔法を発動。魔法式の先に岩の柱を生成し、そのまま槍を突き刺すように岩の柱を横っ腹へと突き立てた。
ドォン!という地鳴りとともに岩の塊がマーダーウルフを捉える。それはさながら杭のように魔獣の体を串刺しにしたが、それでもなお魔獣の勢いは弱まらない。ここはさすがの生命力といったところだった。
「……ッ!」
感心もそこそこに、俺はそのまま自然落下に身を任せる。そしてその先にあるマーダーウルフを串刺しにした柱が自身の横にまで来た次の瞬間、柱を大きく蹴ってそのままま魔獣の顔へと突っ込み、
「シッ!!!」
その目を切りつけながら通り抜けた。
それに遅れるようにして ぶしゅり、という鈍い音とともに魔獣の血が噴き出す。
「Guaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!?!?」
そして上がる悲鳴の方向へと俺は再び向き直った。
見れば再び先ほどと同じ位置関係へと戻っている。
「GURAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
しかしマーダーウルフは最早何もわからないままに怒り狂い、その巨体を大きくばたつかせて何とか岩柱の拘束から抜け出そうとしている。このまま放置すればすぐにでも岩柱は壊れるだろう。
(その前に終わらせる)
俺はこれで終わらせるという覚悟とともに剣を収め、再び魔法を発動する。
右手の先から魔法式が展開され、それに呼応するように周囲に雷電が迸り始める。
(まだ精度は悪いけど、今ならいける)
俺はその確信と同時に再び飛び上がり、マーダーウルフの真上へと到達する。
横向きに倒れ、かつ上方向を見る片目を先ほど潰された魔獣は俺の姿を見失い、暴れ続ける。
「ふーっ」
俺は息を大きく吐き出し、右腕に収束する魔力の奔流のままに魔法を発動した。
「───ッ!!『雷電槍』!!!!!」
直後、雷で形作られた巨大な槍のような何かが手のひらから発現する。
そして。
「ッ!!!」
まるで槍投げのようにして、その雷槍を魔獣の顔目掛けて全力投擲した。
瞬間、あの最初の一撃の時の再現のように、闇を切り裂く雷光と轟音が響き渡り、そして──。
「Gua...a.....」
その槍は魔獣の脳天を貫き、そのまま大地を大きく穿つ。
後に残ったのは、チリチリと残る雷電の軌跡と焦げた匂い。そして倒れ伏す魔獣の巨体だけだった。
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「大丈夫ですか?」
「あ、は、はい………」
マーダーウルフが完全に死んだことを確認した俺は、今も少し離れた位置でへたりこんでいる少女の方へ向かい、声をかけた。
どうやら足を怪我してはいるがそれ以外の外傷は見当たらない。何とか間に合ったようだ。
「えっと……その………」
見れば少女はまだ状況をよくつかめていない様子で、俺の顔をじっと見つめていた。俺は彼女に自身のこと、そしてここに来た理由と街の状況について簡単に説明した。
「そう……だったんですね………」
俺の説明が終わるころには彼女も大分落ち着きを取り戻し、ようやく事態を飲み込むことができたようだった。
すると、彼女は足をかばいつつも改めて俺の方に向き直り、姿勢を正して口を開いた。
「え、えっと……もう既にご存じかと思いますが、エミリア=フォーセットといいます。今回は助けて頂いて、その、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる彼女に、俺はむず痒い思いをしながら答える。
「いえいえ、何はともあれ無事でよかったです」
「はい、なんとお礼を言ったらいいか……あ、その……私あまりお金は持ってなくて……討伐依頼の報酬とかも、だせなくて……」
「あはは! いいですよそんなの。それでいったら俺はまだ冒険者登録すらしてないですからね」
「えぇっ!? それじゃあ、どこかの騎士様とか……?」
「いえ、つい先日一人旅を始めたばかりの新参者ですよ」
「えぇ……」
俺が笑いながらそう告げると、少女……エミリアは困惑した様子でこちらを見つめていた。
「えと、そうだ。お名前は……」
「あぁ、そうでした。俺の名前はカイル=ウェストラッドといいます」
「カイル、さん。その、本当にありがとうございました」
「いえいえ。それより足の具合はどうですか?」
「あ! 全然へい……ッ!」
平気だ、と答えようと立ち上がろうとしたエミリアだったが、鋭い痛みが走ったのか顔をゆがめ、そのまま再びへたり込んでしまった。
「その様子だと、歩くのは難しそうですね」
「すみません……」
気づけば既に陽は落ち、森に入ったときよりも更に闇を増している。
俺自身この森の地理に明るくない上にエミリアもケガを負っている。となればこのまま無闇に歩き続けるのは彼女の体力をいたずらに削ってしまうだけだろう。
「とりあえずもう夜ですし、このままやたらに歩き回るのも厳しいでしょう。今日のところはここで野宿しようと思うんですが大丈夫ですか?」
「は、はい! すみません」
「気にしないでください。それじゃあちょっと待っててくださいね」
そういうと俺は、マーダーウルフに一撃を加える前に地面に放りなげておいた荷物を取ってきた。
そして中から医療用の器具と、旅に必要な道具を取り出した。
そして。
「よっと」
俺は近くに、『魔道焚火台』を置く。そして所定の位置に『魔石』をセットして、起動した。すると ボッという音とともに火が沸き起こり、そのまま一定の明るさを保ったまま燃え続ける。
「あの、これは……?」
見たこともない道具に困惑するエミリアに、俺は用意がてらに説明を始めた。
「あぁ、これは『魔道焚火台』っていいます。といっても僕が作って適当に名前つけたんですけど。まぁ簡単に言えば魔力で火を起こす道具だと思ってもらえればいいですよ」
「え……えぇっ!? それってつ、つまり魔法ってことじゃ」
「そうですね」
「あ、危なくないですか?」
彼女はそんな、久しく見ていなかった反応をした。まぁ当然だろう。確かにコスターでは魔道具は普及していたが、それでも未だ世界中の人々にとっては魔法や魔法を使った道具は恐ろしいものであるという認識が一般的だ。
それに、この魔道具はその性質ゆえに現状俺しか作ることができない。それゆえコスター以外の町々にも出回ってはいないのだろう。
少しばかりびくつくエミリアに俺は笑いながら答えた。
「大丈夫ですよ。この魔道具に使ってる魔法式は、ただ火を起こすことしかできませんから」
「え、えぇ……?」
猶更わからない、といった表情を浮かべるエミリアに、俺は自身のことと魔道具のことをかいつまんで説明するのだった(もちろん、転生のことやカミサマとやらのことなどは伏せて)。
「そんなことが……」
用意を済ませた俺は、説明をしながら野宿の用意と彼女の足の応急処置を行った。
魔道焚火台は、ジルとの旅の最中に作った魔道具の試作機だ。魔法式には『弱化』を組み込んだ火の魔法式を使用している。機構としては先ほどエミリアに説明した通り火を生成するだけだが、コスターにいた頃に作っていた魔道具との一番の違いは、その魔法の発動に行使者の魔力ではなく『魔石』と呼ばれる魔力を含んだ石を用いている点だ。
魔石とは基本的に魔獣の体内に生成されるもののことで、強力な魔獣からそこらへんにいる雑魚まで、どれもが持っているというのが通説らしい。
ともかく、それを魔力源とすることで行使者が常に魔力を流し込むという過程が省略できるようになった。そして今回の魔道焚火台に当てはめるなら、今セットした大きさの魔石なら一晩くらいは火を生成し続けてくれるだろう。二束三文で売られているような屑石でこれだけできれば十分といえた。
そんな俺の説明をひとしきりきいたエミリアは何とも言えない表情で俺を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私と同い年……、あ、私も十五歳なんですが、それなのに私よりすごい色々な事をされてるんですね」
「俺の場合は、良い家族と良い環境、それにまぁ、良くも悪くもすごい人が師匠としていたからですよ」
「それでもすごいですよ。私なんて、冒険者としても駆け出しで、採集依頼くらいしかこなせてないですし」
「それを言ったら俺はまだ冒険者ですらないですけどね」
「ふふ」
だいぶ打ち解けることができてきたのを会話の中に感じつつ、俺は続けた。
「エミリアさんだってえらいですよ。故郷の家族に仕送りをするために冒険者になったんでしょう? 誰かのためにそうやって動けることは素敵なことだと思います」
「いえいえいえ! それで結局こんなことになっちゃっうし……というより、その話は誰から?」
「あー、ギルドのリリアンって女性の方から」
「リリアンさんですか、もう、あの人ったら……」
そういうとエミリアは気恥ずかしげに顔を伏せた。
「よし、ひとまず寝床の用意もケガの処置もできましたし、ひとまず今日のところは休んでいてください」
「え、いやそんな! ここまでしていただいたのにまだご迷惑をおかけするなんて、せめて一緒に見張りくらいは……!」
「大丈夫です。師匠との旅じゃ三日三晩寝ずに戦い続けたこともあるので、これくらい楽勝ですよ」
「ひぇ……」
俺が笑顔で答えると、エミリアは若干びびっていた。まぁ俺もあの時は流石にしんどかったが……まぁ今はいいだろう。
「とにかく、今日のところは休んでください。今はまだ緊張の糸が切れていないからわからないかもしれませんが、エミリアさん自身相当疲労しているのが顔を見れば一目瞭然ですよ」
「え、そ、そうですか?」
「そうです。だからほら、寝床に入った入った」
「わわっ」
そう言って俺は彼女を無理やり横にさせ、旅装束を布団代わりにかぶせてやる。
彼女はまたしても少しだけ顔を赤らめていたが、やがて静かに寝息を立て始めた。
(ま、そりゃあれだけ怖い思いをして、森を死ぬ気で駆け抜けてればそうなるよな)
俺は彼女がすうすうと眠る姿を眺めながら、森の木々の隙間から微かに除く星空を眺める。
(初めて自分の力で、誰かを助けられた、か)
五年前、あそこで旅に出ていなければこうしてマーダーウルフを倒せるだけの力もつけられなかったし、何より今横で眠る少女の命を救うこともできなかっただろう。
今は少しだけ、そんな過去の自分の選択を自身で褒めながら星空を眺め続ける。
次に眠るときに見る夢は良い夢になりそうだという予感を感じながら。




