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第31話 黒い影と青い閃光

「はぁ……はぁ……ッッ!!」


 陽が落ちはじめ、徐々に闇が支配し始めた森の中を一人の少女が走っていた。


 エミリア=フォーセット。

 駆け出しの冒険者である彼女は、いつものように簡単な採集依頼を受けてモコイオスの森へと入っていた。そしていつものように対象の薬草を採取し、そろそろ戻るかと考えていたのが夕暮れ前のこと。

 簡単なルーティーン。何事もなく終わる日常の一コマ。


 そのはずだった。


「はぁ……ッ! なんでこんな……ッ!」


 その彼女は今全力で森を駆けていた。今自分がどこを走っているのかさえ分からない。

 元々大きな森ではないとはいえ、森であることに違いはない。自分が通ってきた場所、あるいは人が良く通るであろう道。そういった場所から逸れて走り続ければ迷うことは必然といえた。


 なぜそうしているのか。

 答えは今まさに後ろから凶悪なまでの殺気をまき散らしながら迫ってくる影のせいだ。


「なんでここに……あんな魔獣が……ッ!」


 それはエミリア自身、図鑑でしか見たことがない魔獣だった。

 マーダーウルフ。金級冒険者相当の実力者でさえ討伐に苦労するような怪物。本来であればこんな辺鄙な森にいるはずもないその魔獣は、しかし今まさにこうして彼女に迫っていた。


「Guruaaaaaaaaaaaa!!!」

「ひっ!」


 その咆哮が背中から聞こえる度に背筋が凍りつき、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。それでも「生きなければ」という本能だけがエミリアの足を突き動かしていた。


 もうどれほどこの逃走劇を続けているかさえわからない。

 だが一つだけいえることは、既に彼女は限界が近かったということだ。実力ある冒険者ならばいざ知らず、エミリアは銅級冒険者。実力もそれ相応だった。


 そしてその時は近づいていた。


「うぐっ!?」


 視界も徐々にぼやけかけていた中、エミリアは地面から突き出していた木々の根に足をとられ勢いよく転倒する。すぐさま立ち上がろうとするが、その瞬間激痛が走った。


「ぐっ……ッッ!」


 どうやら足を取られた際にかなり酷く捻ってしまったようだった。あまりの激痛に地面を踏みしめることすらできない。しかし、それでもエミリアはあきらめなかった。


「やだ……ッ!」


 地面に触れる度激痛の走る足を引きずりながら、必死に走り続ける。

 だが、非情にも魔獣との距離は徐々に詰まっていた。

 そしてついにその瞬間が訪れる。


 ビュン、と突風とともに背後から黒い影がエミリアの前へと躍り出た。


「Gururururuuuuu....」

「あ……あ………」


 それはマーダーウルフだった。

 宵闇の中に一層色濃く形づくられた漆黒のシルエットと、血のように紅い双眸がエミリアをじっと見据える。


「ひ……きゃあっ!?」


 思わず後ずさったエミリアだったが、足がもつれそのまま転倒する。

 尻もちをついたまま恐怖で立ち上がれないでいる彼女に、マーダーウルフはゆっくりと近づいて行った。


「やだ……やだよ………」


 エミリアの脳裏に横切るのは故郷の家族のこと。友人のこと。

 冒険者であれば誰しも命の危険がある。それは当たり前のことだ。

 だが今こうして自らがその窮地に相対した時、彼女は「甘かった」と心の底から痛感していた。

 分かっているつもりだった、だが、分かってはいなかった。

 死という事実が眼前に突き付けられた今はじめて、彼女はそれが現実に起こることであるという実感を得たのだ。


(あぁ……みんな……ごめんなさい………)


 徐々に諦めが心を支配する。それに呼応するかのように体から力が抜ける。

 今まで必死に動かしていたはずの体は、もうこれ以上一寸たりとも動かせないほどに重くなっていた。


「Guraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」

「………」


 ひときわ大きな咆哮が聞こえた瞬間、それでもエミリアは眼を閉じなかった。

 最後の意地……、自分の終わりの瞬間からだけは、目をそらさないと言わんばかりに。


 そして──。


 ドゴォン!!!


 瞬間、耳をつんざくような轟音が聞こえたかと思うと、


「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!?!?」


 魔獣の咆哮は、殺意ではなく混乱を含んだものへと変わった。


 彼女は見た。

 自身に飛びかかろうとした魔獣が直後、闇を切り裂く青白い閃光によって吹き飛ばされたのを。


 そして、それを成したらしき、男の姿を──。



 ▼



「この先がモコイオスの森だ! 人の出入りが全くないわけじゃないから道はある。普段冒険者がモコイオスを採集するとしたら大抵その道に沿って進むはずだ!」


 俺は、先ほどの冒険者の男が用意してくれた馬に乗り込みながら一緒に森を目指していた。男は森の入り口までの案内を買って出てくれたのだ。


「わかりました!」


 馬のけたたましい足音に負けじと俺もその声に応える。


(とはいえ、もし仮に件の冒険者がすでにマーダーウルフと接触していた場合、そしてまだ戻らないことを見ると考えられるのは二つか)


 今もまだかの魔獣から隠れる、ないし逃げ回っているか、あるいは既に殺されてしまったか。


(今ばかりは最悪を想定しても仕方がない。やることはただ一つ、冒険者を見つけて救出すること。魔獣の排除は二の次だ)


 とはいえ万が一に備えての心構えだけはしておかなければいけない。

 俺は旅のなかで伸びきった髪を後ろに結い上げて髪紐で縛る。


「ついたぞ!」


 そうこうしているうちに森へと到着する。


「悪いが、こっからは俺はいけない。本当にすまないな」

「いいえ。ここまでしてもらっただけでも十分ですよ」


 それは本音だ。この冒険者の男も、自身の実力を重々理解しているからこそ今こうして悔しそうな表情で俺に謝罪しているのだろう。

 それに俺としても、無理に連れて行っても守らなければいけない人間を増やすだけだと考えていた。


「俺はこのままここで馬を見ておく。救助隊がここに着き次第、状況を説明するつもりだ」

「助かります。それじゃあ」

「あぁ、幸運を祈る」


 その言葉を背に受けながら、俺は森へと入った。



 ---



 森の中を疾走する。

 悠長に探してもいられないと考えた俺は、ひとまず草木の踏み倒され、ならされた道に沿って全力で走っていた。

 元々の旅ではよくこういった環境下で戦うこともあったため、戸惑いはない。

 今はとにかく痕跡を探さなければ。


「ふっ……ふっ………」


 息も全く上がらない。これだけ走り続けても問題なく体が動くのもまた、己の成長を実感させる。


(しかし痕跡はまだ見つからないか……)


 聞けばモコイオスのよくとれる群生地は森の中でも奥の方だという。そこまではまだ少しかかりそうだ。


 そう考えていると、不意に上から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。


「キュイッ!!!」

「シロ!」


 見れば俺に追随するようにシロが飛んでいた。

 まだ会って間もないのもあって今回は入口で待たせておいたはずだが……。


「キューッ!」

「ン……?」


 シロのほうはというと、俺に向かって何かを訴えかけようとしていた。

 俺は立ち止まり、もう一度シロの方を見やる。


 するとシロは、羽をばたつかせながら必死にある方向に嘴を伸ばしていた。


「!……そういうことか!」


 マナバードは魔力を感知する能力に長けた生物だ。

 普段俺たち旅人や冒険者は特定の魔力を覚えさせることによる連絡手段として用いることが多いが、本来この能力は彼らを外敵……異質な、あるいは強力な魔力を纏った存在から遠ざけるためのものらしい。

 そして得てして凶悪な魔獣というのは、その身にそうした魔力を宿しているという。そしてシロは、まだ付き合って間もないというのに今差し迫った事態を理解し、こうして俺を助けてくれていた。思った以上に賢く、そして優しい生物のようだった。


(であれば、この先に……)


 そう思うや否や、俺は強く大地を蹴り上げ、先ほどまでより数段速い速度で再び走り始めた。


 そして、茂みを強引に突っ切り、枝葉に頬を掠めながら走り続けた先に──。


「Guraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!」


 今まさに、一人の少女に襲い掛かろうとする魔獣の姿を捉えた。


「ッ!!」


 俺は咄嗟に右手に魔力を集中させ、魔法式を展開する。

 そして同時に、地面が大きくえぐれる程の力で大地を蹴り上げた。

 そのまま、魔獣の方へと一直線に突進する。


 そして──。


「ッ! 『雷電槌』!!!」


 右手を突き出し、漆黒に染まる魔獣の横っ面を稲妻の一撃で打ち抜いた。

 瞬間、暗闇を青白い光が染め上げ、轟音とともにその巨体が吹き飛ばされる。


「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!?!?」


 魔獣は、何が起こったのか分からないと言わんばかりの声を上げて、そのまま奥にある樹にたたきつけられた。


「え……あ………」


 俺の横では、茫然とした様子で見つめてくる少女……おそらく身なりからしてこの子が例の冒険者なのだろう。俺は脅かさないように静かに彼女に話しかけた。


「とりあえずはもう大丈夫。あとは任せて」

「あ……はい………」


 少女は素直にそう答えると、身じろぎしようとするが


「つッ……!」


 見れば足を負傷しているらしい。となるとここから彼女だけ先に逃がすこともできないだろうし、背負って逃げるのも分が悪い。となると……。


(戦う、しかないなこれは)


 俺はそう判断し、腰に下げた剣を抜いてゆっくりと彼女と魔獣との間に立つ。そして重心を低くして今まさに起き上がろうとしている魔獣を見据えた。


「Gurururu...」


 魔獣はというと、あの一撃をまともに食らったにもかかわらずまだ立ち上がってくるようだ。だがそれでもダメージは確実に入っている。


(この巨体の魔獣がこれだけダメージ食らってて、ジルは平然としてたことに俺は恐怖を感じるよ)


 そんな冗談を心の中で呟きながら、俺は剣を構えた。


 戦いが始まろうとしていた──。

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