第24話 『天雷』の魔紋
ジルの声と共に俺の視界が白で覆われた次の瞬間、不意に周囲が静かになったのを感じた。
俺はゆっくりと瞼を開ける。すると──。
先ほどと同じ空間。しかし明らかに何かが違う空間。
石碑も台座も、飾り気のない壁や床も同じもののはずなのに、それぞれに纏わせる雰囲気は明らかに先ほどまでいた場所とは違っていた。
そして何より、大きな違いが二つあった。
一つは、俺の背後にいたはずのジルがいないこと。そして─
「やはり、貴方はここに辿り着いたのですね」
俺の目の前に立つ、いつぞやの王都で出会った白いローブの女性の姿だった。
「貴方は……」
俺が未だ状況を飲み込み切れない中かろうじて投げかけた言葉に、彼女は王都で出会った時と同じような笑みで答えた。
「また会いましたね、カイル。そしてようこそ、私の世界へ」
「私の……世界?」
それは一体どういうことか、と俺が問いかけるより先に、彼女は答えた。
「ここは、貴方が先ほどまでいた世界とは異なる世界……『位相』の異なる世界というべきかしら。簡単に言えば、貴方の世界の映し鏡のような場所……それがこの世界よ」
「な……」
異世界に転生するという信じられない経験をして耐性がついていたはずの俺だったが、流石にそれでも動揺するほかなかった。
(異なる位相、ときたか……)
「パラレルワールド、みたいなものですか?」
俺は単純に思いついた自身の考えを伝えてみた。
「そうね……理解としては概ね間違いではないわ。ここは貴方の元居た世界を基準に存在する世界。でも、例えば分岐した『もしも』の世界というわけではないの。あくまでここは映し鏡の世界……いうなれば『鏡面世界』とでもいえばいいかしら」
「なるほど……大まかには理解できました。といってもざっくりと、ですが」
「ふふ……むしろ私の説明を聞いてそれだけ落ち着いて理解できるだけでも大したものよ」
女性は、可笑しそうに笑う。
俺はそんな彼女に「聞きたいことがあります」と問いかけた。
すると、「可能な限りで答えるわ」という返答を貰うことが出来た。どうやら今回は王都の時のように時間がないわけではないようだ。
「まずはじめに、貴方の名前は……?」
俺がそう聞くと、女性は少し考え込み、やがてゆっくりと口を開いた。
「ごめんなさい。そうね……セスティア……そう、呼んで下さるかしら」
「わかりました、セスティアさん」
俺が彼女の名前を呼ぶと、彼女は少しだけくすぐったそうに顎をかいた。俺はそんな彼女の様子を見ながら、続けて質問する。
「私と一緒にいたジルさん……女性はどこにいったのでしょう?」
「彼女は元の世界に残ったままよ。今は貴方だけがこの鏡面世界へと移動しているの。だからまた元の世界に戻った時には彼女はそこにいるはずよ」
そう言って彼女は、元々ジルが立っていた位置を指さした。
どうやら俺はしばらくしたら元の世界に戻ることが出来るらしい。それにジルが何かに巻き込まれてたとかでないことにも安堵した。
そして俺は、一呼吸おいて続ける。
「それじゃあ……貴方は一体何者で、何の目的のために私をここに呼んだんですか?」
「そうね……」
俺が核心にあたる質問をすると、彼女は王都での時と同じような様子を見せ、少しして申し訳なさそうに答えた。
「私が何者なのか。そしてどんな目的のために動いているのか。それを伝えることは今はできません」
「今は……つまり、いずれは教えて頂ける時がくると?」
「えぇ……前に言った通りよ。貴方が貴方を見つけた時……この世界に来た本当の意味を知るときが来たのなら、その時は全てを明かすと約束するわ」
「それまでは、精一杯生きろ……ですか」
俺がそう言うと、彼女は微かに笑顔を取り戻して頷いた。
「えぇ、その通りよ。生を謳歌し、友を作り、語らい、愛を育む。それは誰でもない貴方たちだけが持つ特権なのだから。つらい運命や苦難に相対したとしても、挫けぬ心を、支えてくれる仲間を持ちなさい。その先にきっと、もう一度会える道もあるわ」
だから、と彼女は続ける。
「今日ここに貴方を呼んだのは、力を与えるため。暗澹たる世闇を切り裂いて、苦難に挫けそうになる心を支える。その先の道を明るく照らすための力を」
「力……」
「見なさい」
そういって彼女が目線を向けて促した先にあったのは、俺が先ほど見た石碑だった。
俺は彼女に促されるままにもう一度石碑の前に立ち、その内容を見る。
すると──。
「これは……」
そこにあったのは、先ほどまでの古代文字の羅列ではなく、たった一つの記号だった。否、記号ではなく──。
「──魔紋」
そこにあったのは、『天雷』の意を冠する魔紋だった。
俺が石碑にくぎ付けになっているのを見ながら、セスティアは言った。
「それこそが、貴方が持つべき力。世界を覆う偽りの影と、進むべき道を惑わす世闇を打ち払うための導となる力」
セスティアの言葉を聞きながらも俺は、もう一つの事実に衝撃を受けていた。
(何故、『読める』んだ──?)
俺はこれまで、自称神とやらに与えられた眼の力で魔法式や、先ほどの石碑の内容を読み解いてきた。その際は必ず、『眼の力を使っている』ことが分かった。
しかし、今回は違う。俺はこの魔紋を読む時に力を使っていない。
こんな記号、見たことがない。
意味もしらないはずなのに、読める。記憶ではなく、俺の中にあるもっと別の何かが知っていたかのように。
そんな俺の疑念を知ってか知らずか、彼女は更に言葉をつづける。
「今はまだ、未知や疑念、多くの謎が貴方を苛むでしょう。でも立ち止まらないで。貴方がそれでも諦めずに進み続けられたのなら、きっと──」
すると突然、セスティアの声が途切れる。
いや、違う。
見ればセスティアの身体が、否、世界そのものにまるで白い亀裂のようなものが走り始めていた。
「─…ず───から……─っていて……」
「セスティアさん! これは!!?」
「─……」
亀裂は瞬く間に世界を割り始める。彼女の声はもう届かない。しかしまるで見送るような眼差しだけが、ずっと俺を捉え続けている。
そしてそんな眼差しに見守られながら、まるでこの世界に来た時と同じように、俺の視界は再び白に覆われた──。
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「──…い! おい!」
「ん……んぅ………」
「カイル! おい!」
俺を呼びかける声に再び瞼を開けると、飛び込んできたのはジルの顔だった。
「ジルさん……」
「この阿呆! 急に消えやがったと思ったらまた急に現れてきやがって……しかもぶっ倒れて! 心配かけさせるんじゃねぇよ……」
「すみません……」
どうやら元の世界に戻ってきたみたいだ。頭の柔らかな感触が何かと周囲を確認すると、どうやら俺はジルに膝枕をされているようだった。
「す、すみません……おわっ!」
「あぶな! ったく気をつけろ。何があったのかは知らねぇが明らかに疲労してる」
俺はふらつきながらもジルの手を借りて起き上がった。
周囲を見渡しても、もうセスティアはいない。周りの雰囲気も、違和感はなくなっていた。
「とにかく一旦外に出るぞ、長居は無用だ」
「そうですね……そうしましょう」
おそらく、もうここには何もない。漠然とだが、そう感じる。
俺はジルに促されるままに遺跡の外へと出たのだった。




