①生きているかのよう
その夜、ああ、知っちゃあのが見だっきゃ、どってんすびょん。須々木乙彦は、生ぎてら。生ぎで、ウヰスキイば呑んじゃあ。
昨年の晩秋に、須々木乙彦は、この銀座裏のバアにふらど立ぢ寄っだ。そすて、この同ずソフアさ腰ばおろす、十九のさぢよど、雨の話っこすた。
あのどぎど、同ず姿勢で、わんかしゃがんで、ソファさ深ぐ腰ばおろす、いま、高須隆哉は、八重田数枝ど、ウヰスキイ呑みながら、こそらど話っこしちゃあ。
ソフアの傍さは、八づ手の鉢植、なんも変わんねで、ばさど葉ばふろげで、乙彦がじゃめして爪で千切りとっだ痕まで、その葉さ残ってら。
室内のむっつどす光線も八づ手の葉さとっかがっで、高須の顔は、三日月の光ば受げだぐれえに、ばふらど輪廓が分明すて、眼の下や、両頬さ、真黒え陰影がわだがまり、げそど痩せで、おっかねぐ老げで見えで、数枝も、話ながら、時をり、ちらど高須の顔ば横目で見では、それがすっかど別人だ、というのば知っちゃあばって、やっぱす、なんが、まねんた気す。似わるんた。
数枝も、乙彦ば、あの夜こごでかでで呑んで、知っちゃあ。乙彦は、みそくた皮膚ばなげで、そすて顔、どごが畸形の感ずで、決すて高須だんた美男でねえ。
だばって、いま、このバアの薄暗闇で、ふど見るど、やっぱす、似でら。数枝さは、血のづながりちゅうのが、たんげ、いやらすく、気味わりぐ思われだ。




