89.敬愛
「いいか、脅威は建物の周囲に根を張って体を固めている。僕がその根を斬るから、ミトナは核を突け」
私の兄、勇者レンデは軽やかに右側に跳躍した。
新しい敵に向かう脅威が攻撃の手を増やすが、全て一振りで薙ぎ払う。すぐに剣が根を切断し、脅威は禍々しい悲鳴を上げる。
「まだだ!」
レンデは逆側に跳び、一太刀に左側の根も断ち切った。アルトナは自分の武器を握ったまま、呆然とそれを見ていた。
「勇者って…怖あ…」
脅威が立ち止まり、いきなり核がむき出しになる。
「ミトナ!」
躊躇いはなかった。緋色に輝く中心に向かって強く一歩を踏みしめ、駆け出す。真っ直ぐに槍の先端を向ける。脅威の攻撃はアルトナとレンデが全て防御する。
吠えるように叫びながら、槍を核に突き刺す。確かに刺さった手ごたえがあった。
脅威は絶叫した。熱い体液を全身から吐き出しながら膨れ上がり、叫び声で建物の内側をびりびりと揺らす。
「耐えろ!」
魔王と背後の魔物たちは全ての魔力を投下して部屋を維持している。
ガイレルが先頭に立って、次の攻撃から私たちを守ろうとしている。
私とアルトナとレンデは、自分の武器を構えなおしている。
シラナはずっと、私たち全員に回復魔法をかけ続けている。
そして脅威は、大きく爆ぜた。
全ての腕を振り回しては伸ばし、核の残骸を煌々と光らせた後、熱と衝撃波を放って、自分の体のほとんどをずたずたに引き裂いた。
あとに残っていたのは、黒ずんだ紫色の塊だけだった。爆破の中心の地面で弱々しく、糸のような触手を私たちの方に伸ばそうとしている。
「こいつのほうも、案外消耗してたみたいだった」
レンデが呟く。あれだけ恐ろしかった脅威が、今はもう憐れむくらいにうち震えている。
「…何か言っている」
翠色のペンダントが光る。フェイマルが脅威の様子に気付き、ガイレルが歩み寄る。
細い糸のうちの一本がペンダントに触れ、部屋中に声が響き渡る。フェイマルのものではない、穏やかで揺らいだ声だった。
「すまない」
「まさか…あなたは」
部屋の人々が近寄る。まだ危険かもしれなかったが、それでも全員が初めて起こることに対する好奇心に支配されていた。
「君たちが『脅威』と呼ぶものだ。私は…君たち人間や魔族が生まれる前に存在した、世界で初めて知性を持って生きる生物だった」
語り口は静かだった。私たちの沈黙の中、それは懐かしむように言葉を繋いだ。
「今この世界にいる知性を持った生物は、私、魔族、人間の三種類だ。私は長く生き続けるうち、姿を変え続けて、変えすぎてしまった。そのうち理性が膨れ上がりすぎた肉体に圧し潰され、失われたのだ」
脅威は一拍置いて、それから願いを吐き出した。
「私を殺してくれ。私はもう十分生きた。生きすぎたのだ。これ以上生きるべきではない」
それを聞いて、勇者レンデが脅威だったものに歩み寄り、逆手に剣を構えた。
「一つ教えておこう。私の力の断片が、サンチマルという国に飛んだ。そのまま消えることも考えられたが、別の生き物がそれを用いようとすれば、消えずに力は増幅し続ける。私がそうだった。…もし残っていれば、その力も取り払ってはくれないだろうか」
レンデが重く声を吐き出した。目には涙が滲んでいた。
「…必ずだ。必ず突き止めて、あなたを殺し切ってみせる」
脅威には表情がなかったが、あればきっと笑っているだろうと思った。
「ありがとう。…お別れだ」
兄は剣を全力で下ろした。脅威に剣が突き刺さり、弱々しく一瞬光ったかと思うと、白い蒸気となって体は完全に消え失せてしまった。




