86.入れ子
私は城壁の上の魔王軍の旗を下ろした。三十人の兵士たちは全員城壁の上に伏せて敵兵を待っている。
側部の門には台車や瓦礫が山積みになっており、既に通ることができないようになっていた。
「来た、敵兵だ」
判断は各自に任されている。ある程度軍が砦に入り込んだら、私が魔法陣を起動して跳ね橋を爆破させる手筈だ。
やってきた列は想像より人数が多かった。おそらく、私たちを運んでいた軍と合流したのだろう。
私以外の兵士は城壁の上で、降下地点の敵が少ない場所に移動した。
流れ込み、流れ込み、流れ込み…。
「発破!」
私が叫ぶと、緋色の魔法陣が光と熱を放った。
砦の中心の広場が爆破され、同時に城壁の上の兵士たちの気配が消えた。
「流石に…全員は無理か」
私も駆け出して城壁を飛び降りる。赤いローブを着た情報官が目印だった。
「行きますぞ」
頭部が山羊の頭蓋骨になっている情報官が連れてきたもう一匹の馬に乗り、場を離れて他の兵士たちと合流する。
「大体何人が砦に入った?」
「全部で千人くらいいたうちの半分かと」
指揮官が兵士と会話している横に、情報官と私が寄る。
「こちら側の兵士に欠けた者はいません。第一弾は成功ですね」
「そのようだ。これからは魔王城を目指す。我々には真実の軍の行軍ルートが一部記載された地図がある。これを頼りにして接敵を避け、魔王城に向かう」
兵士たちは全員が真っ黒い甲冑を身につけていたが、その内側にいる者たちの種族は様々だった。リザードマンからゴースト、スケルトンまで見本市のようになんでもいる。彼ら全員が滾る闘志を燃やして、指揮官の後ろについた。
「一つ聞きたいんだが、指揮官」
バーヴルの質問に指揮官が頷く。
「魔王軍の勢力はこの領地に点在しているのか?そして居場所はどこだ?」
「…情報官」
「はい。ここに地図がございます」
情報官はローブの下から、魔王軍の派遣先が記された地図を取り出した。
「敵の行軍ルートを辿ると、余剰になる部隊がいくつかございます。兵数は合計で二千ほどでしょう」
「…思いのほか多いな」
私が言うと、情報官はほっほっと笑う。
「我々が少ないだけです。なにせ精鋭部隊ですからな」
「味方の居場所だけを通過して魔王城まで行く道はあるか?」
バーヴルの質問に、指揮官はほう、と声を漏らした。
「なければ作り出すまででございます」
情報官が愉快そうに答えた。作戦が部隊に伝えられたのはすぐのことだった。
静かに接敵する。城の外で取り残された五百人の部隊は慌てふためいていた。
「火を」
私と情報官が、その混乱に火を放った。二つの巨大な火球は直進して敵部隊に直撃する。
「今だ!追撃しろ!」
三十名が、背も凍り付くようなおぞましい鬨の声を上げて攻撃を始める。人数が少なくとも、かき回された部隊への不意打ちには十分だ。
「体勢を立て直す前に離脱しろ!」
一陣の真っ黒い風が、燃える陣形を吹き抜ける。
「ここからは各自判断しろ!隊列を乱すな!」
指揮官は先頭で、後ろを振り返ることなく指示を出した。兵士たちは誰に言われるわけでもなく緩いつながりの陣形をとる。
背後から大声が聞こえて、残りの兵士が追ってきた。つかず離れずの速度を誰もが維持している。
「奴らを逃がすな!何としてでも殺し切るぞ!」
真実の軍が遮二無二私たちを追ってくる一方で、私たちは誰も真実の軍を振り切ろうとしない。
バーヴルが私に指示を出す。私は火球を空に向けて打ち上げた。それからすぐに、情報官が同じように火球で闇夜を裂く。はたから見れば、背後に迫る軍への攻撃に失敗したように見えるだろう。
「怯むな!追いつけない速度ではない!」
真実の軍の戦闘の誰かがそう叫ぶ。その通り、追いつけない速度ではない。
「高所にて迎撃!ここで倒し切るぞ!」
前方に小高い丘が見えた段階で、指揮官が再び指示を出した。
「いざという時の突破は私の指示に従うように」
情報官が飄々と言い放つ。私たちは丘の上で止まり、それを見た真実の軍も丘を取り囲むべく動き出した。
「まさかここまで多いとは思いませんでした。思いのほか作戦が上手くいかなかったようですな」
情報官が敵将に語り掛ける。松明に照らされた敵将の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「随分としらじらしいじゃないか。まだ何か隠し玉でも持っているのだろう?」
「そう思うのであればおいでなさい。我々は魔王軍の精鋭兵ですぞ」
敵将は既に勝ちを確信しているようだった。私の隣でバーヴルが「素人だな」と小さく笑った。
「このような状況になった貴様らに、もはや勝ち目はない。我々と共に来い!」
「先ほども言いましたが、我々は魔王軍の精鋭です。誇りを捨てて生きることは、死体の凌辱を上回る程の恥辱にございます」
「我々は真実を知っているのだぞ!」
一呼吸の間が開いた後、情報官は変わらない声の調子で言い放つ。
「我々も知っていますよ。その上で責務を果たすつもりです」
敵将は大仰に溜息を吐いた。そして、私たちを倒すべく右手を上げた。
「残念だ」
「…そりゃあ、お前の頭の中身のことかい?」
バーヴルがこらえ切れずに笑いだす。他の三十人も、おどろおどろしくどっと笑い始めた。
「何を言って…」
「魔王軍鉄騎五百!敵兵発見の狼煙を確認!戦闘に入る!」
「魔王軍歩兵部隊二百!敵兵発見!戦闘準備!」
「魔王軍騎馬歩兵混成部隊七百!敵数およそ五百!」
「魔王軍常駐魔法部隊六百!大規模防衛魔法を展開!」
暗闇からの声に、敵将の疑問は千切られた。バーヴルは目じりに笑い涙を浮かべて、呆然とする敵軍に告げる。
「久しぶりだ!こんなにも作戦がぴったり嵌るなんてのは!」
敵兵は全員、武器を下ろすしかなかった。
次々に捕らえられた真実の軍を囲む陣形はすぐに組まれ、そのまま魔王城に向かって帰投することになった。




