76.拗らせる
シラナは体に傷が残ってこそいなかったが、ひどく疲弊して立ち上がれそうになかった。幌がなくなった台だけの馬車の上で横になっている。
「姫は…カラギさんは…傷ついたりしてませんよね…?」
「大丈夫だよ。今は魔王軍の騎士さんと話してる」
私が答えると、シラナは口元に笑みを浮かべ、目を閉じて眠った。
魔王の娘であるカラギさんは、カロにこれまでのいきさつを話していたが、私が近づくと話を中断してこちらを向いた。
「シラナはどうですか?…相当無理をさせてしまったので…」
シラナと似たようなことを聞いてきたのに少しびっくりしながら大丈夫だと言うと、ほっとした表情を浮かべた。
アルトナは捕まえた魔法使いから何か聞き出そうと試みていたが、徐々に飽きてきたらしく、全く関係のない貯蓄の質問ばかりして魔法使いを激怒させていた。そんなにも怒るものなのかと思いながら見て見ぬ振りをする。
「よく頑張ってるよ、シラナは」
ガイレルが感心したように寝ているシラナを眺めて呟く。
「僕が覚醒した時は、彼に助けられたから」
指先で柔らかく翡翠色のペンダントを撫でる。フェイマルがその内側にいるペンダントだ。
「気力だけで耐えて覚醒したみたいなものだよ…想像もつかないほどの我慢がないとできないよ」
深刻そうな表情が珍しくて、少し口を開くのが躊躇われた。しかしすぐにガイレルは元の雰囲気を取り戻して「シラナは僕が見ておくよ」と私に言った。
「ミトナ、といったな」
カラギさんに声をかけられて、私はそちらを向く。
「レーグ大臣という男を知っているか?」
「は、はい…私を洞窟に向かわせて、そこに住む魔物に私を殺させようとするみたいな人です」
「なかなか畜生だな…」
「人間の中でもまあまあ珍しいです」
「…そいつは世界を欲しがるか?」
私は、つい数ヶ月前に山賊の皆と一緒に盗み聞きした大臣の言葉を思い返していた。
「この腐敗しきった国家を、世界を変えられるのは私だけだ。魔王を討伐せねばならぬ!奴は勇者一行が和平交渉などできる相手ではない!」
「欲しがっては、いましたけど…実際に手に入れるだけの力があるようには見えませんでした」
ふむ、とカラギさんは考え始めた。
「だが奴は真実の軍によって魔王領にまで手を伸ばし始めている。力をつけている…にしても、急だな」
カロがカラギさんに、出発の準備が整ったと告げた。カラギさんは少し気乗りしない様子で頷いた。
「ここからなら、あまり時間をかけずに城まで着くだろう。長くとも二日程度か」
私たちはそれぞれの馬に乗った。二頭立ての馬車には、ガイレルとシラナが乗っている。
アルトナは最初、魔法使いを縛って馬車の後ろで引き摺ることを考えていたらしいが、全員の強い反対にあって取りやめた。結局、アルトナが隣に並び、逃げようとしたら殺すという条件付きで、騎馬を許された。
「お前さぁ、もうちょっとこう、礼儀とかないの?ずっと人のこと見下す割には口開けば大したこと言わないんだから、せめて不貞腐れた気持ちの悪い顔くらいはマシにしとけよ。ほらとっとと馬に乗れよ」
魔法使いは心底悔しそうな顔をしながら馬に跨った。私はアルトナが味方で本当に良かったと思った。
「…なんだミトナ、そんなに俺が怖いか?」
私の視線に気づいて、アルトナは私の方を向いて言った。
「なんで怖くないって思えるんですか…」
「俺は俺の親父が一番怖いんだから、俺が俺のことなんて怖がるわけないだろ」
カラギさんがその言葉を聞いて、少し緊張したように見えた。アルトナの視線は私より奥にいる彼女にちらっと移った。
「どうかしたか?」
「いや…特には」
アルトナがカラギさんの返事を聞いて、穏やかなような、悪戯っぽいような笑みを浮かべた。
「父親が怖いんだろ」
「そんなことはないよ」
「ふうん…まあ、親だもんな。普通はそんなに怖くないよな」
底意地の悪い軽やかな口調で、無邪気にカラギさんを追い詰める。カラギさんはアルトナから目を逸らした。
「…不器用なだけだよ、父親ってのは。とにかく自分の気持ちを伝えるのが下手くそなんだよ。それだけだと思うぜ」
思っていたよりも柔らかい言葉に、カラギさんは驚いたようだった。
「魔王城に向かおうぜ。なるべく早い方がいいだろ?」
「…ああ、そうだな」
緊張は解けていた。私たちは進み始めた。




