71.振動
私は意識が途切れそうになりながら自分に治癒魔法をかけ続けた。痛みが引く様子はなかったが、それでも何もしないわけにはいかなかった。川の水の冷たさが背中の傷跡を刺し続ける。
川が細くなったところで対岸に流れ着いた。体が冷え切って感覚がない。魔法をかけ続けたせいか、魔力がどんどん体から漏れ出てゆく。
「おい、これはなんだ」
いつの間にか近くまで来ていた誰かの声がする。黒いグリーブを履いた足元だけが見えるが、顔を動かして全身を見る気力がない。
「人間のようだな。今日は豊作だ」
「死んでいるのか?」
「まだ息はあるようだ。連れて行くぞ」
視界が曇る。何か重いものが動くような音を最後に、私は暗闇に落ちていった。
がたがたと揺すられる檻車の中で、再び目を覚ました。手は後ろで縛られ、足には鎖が巻かれている。背中の痛覚が戻ってきて、揺れるたびに檻車の床がと擦れて激痛が走る。喉が痛みでひきつって声が声にならない。
「…起きましたか?」
汗が体中から噴き出しているままで、どうにか頷く。声の主である女性は正座をしていて、薄い桃色の絹の服を着ていた。私の杖は手元にないが、来ているものは流れ着いた時のままだった。
「私たちは『真実の軍』に囚われています。今は軍の本部に向かっている最中です」
もう一度声を出そうとすると、体が跳ねて一気に呼吸が戻った。そのまま激しくせき込んでいると、周囲の騎馬が私の様子に気づいて近づいてきた。
「目が覚めたか。人間が魔王領に足を踏み入れるのは難しいというのによくもまあのこのこやってきたものだ。丁重にもてなしてやる」
私にそう言ってから、近くで同じように馬に揺られている魔法使いらしき人物に何か声をかけていた。
「声は出せますか」
「はい…」
あまりにも小さい声だったが、女性には聞こえたらしい。女性は体勢を変えずに私に語り掛ける。
「私は魔王の娘、名をカラギというものです。領地の視察中に護衛を殺害され、こうして捕虜となっています」
「ま、魔王領の中なのに襲われるのですか…?」
「ええ。魔王に反抗する勢力である『真実の軍』は私を人質として魔王に取引を持ち掛けようとしているようなのです」
そういえば、最初に出会った騎馬も『真実の軍』に所属していると言っていた。思っているよりも大規模な勢力なのかもしれない。
視線を上げてカラギさんのほうを見る。青の肌に深紅の大きな瞳が冴えている。黒い翼はところどころ傷ついていた。人間だったら私と同じくらいの年齢に見える。
「私と引き換えに魔王領の一部を統治させろとでもいうつもりでしょうが、魔王がそんな取引を受け入れるとは思いません」
カラギさんは私に視線を落として質問した。
「あなたは僧侶ですか?」
「はい…仲間と一緒に魔王領に来たのですが、はぐれてしまって」
「仲間ということは、その人たちも人間ですか」
私が頷くと、カラギさんはわずかに表情を曇らせた。
「魔王領に住むほとんどの魔族は一つのルーツを持っていますが、そうでないものもいます。『真実の軍』は、少数派を決して容認せず、弾圧するべく動いています。既にいくつかの種族は根絶やしにされたり、領地の外の人間の住む場所へ追放されているのです。人間のこともそういった少数派として嫌悪し、領地に足を踏み入れることを許そうとしないのです」
そう聞いた途端、仲間の顔が一気に頭の中を横切った。
「あ…」
まさか皆も私みたいに囚われているのではないか、と考えずにはいられなくなる。今の私には、皆ならきっと大丈夫だと信じることしかできない。
「おい、人間」
先ほど騎兵と話していた魔法使いが馬を檻車に寄せて話しかけてきた。
「お前にはほかに仲間がいるのか?」
私が黙っていると、手を縛る縄の締め付けが強くなる。
「どうした。質問に答えろ」
「ひ、一人で来ました」
そう答えると、檻車の隙間から杖で背中を突かれた。
「嘘をつくな。どうせ仲間に捨てられでもしたのだろう?」
魔法使いは薄ら笑いを浮かべて私を嘲る。エギルさんは魔法使いを冷たい視線で睨んでいた。
「まあ捨てるのも分からない話ではないがな。どうせ少数派など役に立たず、コントロールも面倒だ。捨てるのが正しい判断というものだろう」
「私って、皆さんの足を引っ張っていたりしないかなって。皆さんが私のこと、役に立たないって思ってたら、この旅を諦めるべきなのかなって、ちょっと思ってしまったんです」
「私はそう思ったことはないよ」
ミトナさんの言葉が蘇る。
「じゃあ、人間にとっての魔族はどうなるんですか」
「…何だと?」
言葉が口を突いて出る。
「あなたの言い分では、魔族よりも人間のほうが数が多いので魔族は滅びるべきであるということになります。もっと言えば、『真実の軍』の支持者が領土内で過半数でないなら、『真実の軍』が捨てられることこそ魔王領にとって正しいことになるはずじゃないですか…」
魔法使いの怒りが膨れ上がるのを感じたが、言葉は止まらない。
「どうして正しさが不確かだってことに気づかないんですか。自分にとって正しいことを人にさせることが間違いかもしれないって、どうして考えられないんですか。正義は暴力になるって、なんで気づかないんですか」
「貴様…口を閉じろ!」
一層強く背中を突かれ、一番の激痛が走る。
「僧侶さん!」
「大丈夫、大丈夫ですから」
なんとか笑おうとするが、うまく顔が動かない。
「私があなたを、魔王様のもとまで送りますから」
部隊の前進が止まり、号令の角笛の音が響き渡った。
いよいよ『真実の軍』の本部に到着したらしい。




