69.森の恨み
木々は声をボクに投げかける。まだ森に動きはないが、そのうち落ち着いてもいられなくなるだろう。
ボクはあぐらをかいて瞑想していた。今のうちにエネルギーを貯めておかなくてはならない。
「…馬の足音だ」
森は僕にその全てを教えてくれる。森がこれまでどうやって育ってきたか、今何が起きているか、これから起こることをどんなふうに予測するかなど、森の受け取った情報はそのまま僕の受け取った情報になる。
「森の中にカロが入ってくる。急いでいる。…後ろに土煙が見える。近づいてくる」
僕は立ち上がった。木々は答えるように騒ぎ始める。
「力を貸してね」
ボクはそう頼んでから、目的の位置に向かって歩き始めた。
カロが下馬して、獣道の隙間に隠れている。敵からは近いけれど死角になっていていい隠れ場所だ。
「本当に彼に任せていいのか…」
そう呟く声が聞こえる。
「任せてよ」
「…な、なんだと?」
顔が見えないような装備で身を固めているはずなのに、なんとなく顔が分かる。ボクがカロに声をかけて彼が驚いている様子も、思ったよりも硬くなっていないボクの表情も分かる。
「でも、そうか…本当に馬で森に突っ込んでくるなんて」
ボクが歩くと木々はボクを道に案内してくれるが、兵士たちには全く正解とは違う道を示す。
「あんまり散開はしないんだな…じゃあ、広いところで一気にかたをつけよう」
歩き続けると、やがて開けた場所に出た。周囲にはいくつも不自然な切断面の切り株や焼け焦げた跡があり、ここの木は悲しみと怒りで満ちている。
「下手に手を出すから…」
森長ほどではないが、熟達した樵は切ってよい木とそうでない木の区別がつく。また、見習いの樵もそれに従うので、余程のことがない限り木は人や魔物に怒りを抱かない。森に迷い込んだ兵士が思ったよりも大変な目にあってどんどん数が減っているのはきっとそういうことだ。
「ボクがなんとかするよ」
兵士の一団が目の前に現れる。中心には部隊を率いているらしい魔物がいて、ボクに声をかけてきた。
「お前は誰だ!ここで何をしている!」
「ボクは…」
「ここは我々『真実の軍』が支配下に置いた森だ!部外者は直ちに去るがいい!今我々は裏切り者を追っているのだ」
木々が揺れる。風は吹いていない。
「ダメだよ。勝手に森を見下して傷つけるなんて」
「何だと?貴様、我々に逆らうか」
兵士達は殺意を一斉にボクに向ける。
「君たちは君たちが森よりも偉大じゃないことを知っておくべきだ」
「かかれ!袋叩きにして、生かしておくな!」
反射的とも思える速度でボクは指揮官に飛びかかり、その頬を蹴った。指揮官は吹き飛んで森の闇にたちまち飲み込まれた。着地した軍の真ん中で薙いだ右腕に10人が跳ね飛ばされ、捻った上体を戻す反動で振られた左腕にまた10人が激突する。怯みながら槍を構えて突っ込んでくる5人を飛び越えてその後ろの7人に回し蹴りを放つ。陣形を突き破って外側から魔法を唱え、緑の光球が軍の手前の地面で弾け飛んだ。爆風で全員が木やら人やらに体をぶつけた。
木々がぬるりと不気味に動き始める。兵士たちの体をその枝葉で吊るし、ぶんぶんと揺する。兵士が絶叫してもなお攻撃は止まらない。
木々の殺意がボクに流れ込んでくる。同胞を殺された恨み、悲しみ、これからも殺されるかもしれないといえ恐れが元となってみるみる膨れ上がっているようだ。
「ガイレル、そなたは自分の親のことを覚えているか?」
ボクは首を横に振った。それを見て、森長は悲しそうに微笑んだ。
「そなたが森に捨てられていたところを私が拾ったのだ。もしかすると、と思ったが…覚えておらなんだか」
「うん」
唐突なことであまり強く実感することはできなかったが、森長は苦しそうだ。
「そなたは今、そなたを捨てた親やこのことを言わなかった私が恨めしいか?」
「恨めしい…?うーん…」
ボクは自分の気持ちを静かに振り返った。
「そんなことはないです。それじゃどうにもならないことを森長と暮らすうちに知ってしまったので」
ボクの答えに、森長は安堵した表情を浮かべた。
「そう思うことは大事じゃ。私はそれに気づくのに、君よりも遥かに長い時間をかけた」
自分の答えがこれでよかった、とボクも安心した。ボクが何かを恨んでいたら、森長はこんな顔を見せてくれなかったかもしれない。
「待って、みんな」
木々は動きを止めたが、兵士たちの拘束は解かないままだ。
「今回は彼らを解放しよう」
ボクの言葉に、木々の不満が膨れ上がる。理由を求める飢えた思いが痛々しい。
「ここで彼らを殺せば、恨みが連鎖して彼らに伝わり、森ごと焼かれるようなことすらあるかもしれない。だから、ボクは解放するのがいいと思うんだ…」
木々は兵士たちを次々に地面に下ろした。しかし殺意は変わっていない。
「帰ってくれ。もしまたこの森に君たちが入ってくるようなことがあれば、なんとしてでもボクが駆けつけて君たちを裁く。それでなくても、木々が君たちを許さないはずだよ」
声も出ないまま、兵士達はよろよろと立ち上がって木々が作った隙間を通って広場から立ち去っていった。
「…ごめんね。君たちには苦しい決断だと思うけど、耐えてほしいんだ」
合流地点にはもうミトナとアルトナがいるはずだった。カロを連れてボクも向かわなければいけない。




